25.それぞれの決意
グランがパーティーの戦力外通告を受けた日――三人の英雄のためだけの、名も無い料理宿がオープンした時――から、二年の年月が流れた。
宿の板張りの外装は、日光と風雨ですっかり退色し、彩りを失ったが故の風貌を帯びている。
周囲に広がる畑では、ロズに無理を言って南大陸から取り寄せた野菜の種がすくすく育ち、ナスやピーマン、トマトなど、カラフルな夏野菜が収穫期の真っ盛り。
一年経った頃にロクシオと協力して作った魔獣よけの柵の中には、北大陸の名も無い鶏たちが元気いっぱいに走り回っている。彼女たちは毎朝、新鮮な卵を提供してくれているありがたい存在だ。
宿の地下に掘った氷室だって、常時フル回転。
未知の魔獣肉でも、きっちり下処理して熟成すれば味が乗ることもわかり、既に各食肉の特性や、最適な熟成期間もグランはすっかり把握済みだ。氷室にはいくつか部屋があるが、氷の量を調整し、温度帯別に分けてある徹底ぶりである。
鍋や包丁、調理道具はグラン自ら槌を振るい、その充実度は既に王都の料理店にも引けを取らないだろう。
宿としても抜かりはない。各人の部屋もきっちりと整備され、ロクシオのたっての希望で風呂が増設された今では、四人で過ごした南大陸の家より快適なくらいだ。
そんな、グランの営む料理宿へ、弟子達は宣言通り一日も欠かさず戻ってきている。
魔王直下、強大な四天王に挑む日でも、平然と夕餉のリクエストを出して向かい、戦果を上げて時間通りに帰宅した。
ある四天王の時などは、食後の茶飲み話で勝利の報告を受けたくらいで。驚きのあまり盛大に自家製エールを噴き出したのも、グランにとってはいい思い出だ。
▽
「……グラン先生。僕達、明日から魔王城に籠もります」
三人の食欲はとどまることを知らない。十人前ずつはある料理の山を軽く平らげ、デザートもいつも通りに完食だ。
食後の紅茶を啜る団らんの一時に、少しだけ出来た奇妙な間。静寂を切り裂くように、勇者アルクが重々しく口を開いた。
「そう、か。調査はもう、十分に出来たンだな?」
「うん。お城の中、魔王の力も、ばっちり完璧、だよ」
口元にミルクティの雫を残すマリアリアが、満面の笑みで親指を立てた。
「お前達には恐れ入るぜ……。魔王城を調査しながら、対極にある料理宿まで毎日戻ってたっていうんだからなぁ」
魔王城は北大陸でも果ての果て。全力で馬を走らせてもひと月はかかる距離だ。その上、道中には難所や強力な魔獣が待ち構えている。
「ここが、僕達のホームですから。それに――」
「私の転移魔法なら、一度行った所には瞬時に移動可能よ。けれど、距離が増えればその分魔力消費は増えるわ。だからまあ、少しは大変ね。……たまには褒めたって罰は当たらないのよ、グラン師?」
呆れたように息を吐くとグランは、ロクシオの頭に手を置き、艶の深い黒髪を軽くかき交ぜた。
ロクシオは満更ではなさそうだ。隣では、マリアリアが羨ましそうに指をくわえ、可愛らしくぱたぱたと地団駄を踏んでいる。アルクはただ、優しく微笑む。
こうして寛いでいると、いつもグランは南大陸の家での日々を思い出す。
グランに褒めてもらおうと、三人は競い合って技を磨いたものだ。あからさまなライバル関係が、どこか微笑ましかった。
「もうお前の魔法は理解不能だが……。少し、じゃない事くらいはさすがに分かるぜ?」
常識外れも度を過ぎると、なぜだか笑えてくるものだ。ロクシオの頭を撫でながら、グランは肩を震わせた。視界の端に見えるマリアリアは、相変わらずむくれながらグランを凝視している。
「先生の存在と料理が、それだけ僕達にとって大きな支えなんです」
「ありがとよ、アルク。……だが、それなら何故だ? どうして『明日から』だなんて物言いをする? 明日も今まで通りに帰ってこればいいだろぉ? お前達の力なら、魔王だってすぐ――……」
グランの言葉に、三人は揃って顔を伏せた。
食事の場面以外では、性格も個性も噛み合わない三人だ。戦闘では思いもよらないシナジーを生むチグハグさは、パーティーとしての強さの秘訣でもある。
そんな三人の行動が綺麗に連動したのは、グランの知る限り二度目――グランに料理店を提案したとき以来――だ。不穏な空気に、グランの胸はざわついた。
「せんせ、あのね。……魔王、ね。とっても強そう、なの」
「オイオイオイ。マリアリアにしちゃあ、珍しく弱気じゃねえか……」
「マリアの言うとおりよ。魔王の強大さは、王都の予測なんて遙かに超えているわ」
「勝敗は、良くて五分五分。……といったところでしょうか」
「馬鹿言うな! お前達三人でも届かない敵が、この世に存在するっていうのかよ!」
一応は今も、朝の鍛錬を共にするグランは知っている。
三人の英傑はなおも力をつけ、かつて南大陸最強と呼ばれたグランでさえ、鼻息一つで倒せるほどの強さに至っていることを。
「心配は要りませんよ、先生。勝てない……とは思っていませんから。もの凄く時間がかかってしまうか、最悪、差し違え――」
「行くなッ!!」
グランは無意識にマリアリアの小さな手を取り、両手で力一杯握りしめていた。
「せん、せ……?」
翡翠色の大きな瞳をぱちくりさせてマリアリアは、淡く頬を染める。
「お前達が命を張る必要がどこにある! 世界が何をしてくれた? 北大陸での五年間、王都から補給の一つも、様子伺いの一つでもあったか!? ヤツら、お前達が戦っているとなんてすっかり忘れて、今ものうのうと暮らしてやがるンだぜ!」
大きく息を吐き、グランは更に続けた。
「俺はよぉ、お前達が一人でもいなくなるなんて、絶対嫌だぜ! 世界なんかより、どれだけの人命よりもお前達の存在が大切なンだッ! ……なあ、考え直さないか? 魔王が生きていたってよぉ、お前達なら、自分の命はきっちり守れるじゃねぇか!」
ロクでもないことを言っているのだと、当のグランも分かっている。十二年にもわたる三人の努力と想いを無下にする言葉を、吐き捨て続けていることも。
三人の英雄は顔を見合わせ、優しく口端を緩める――




