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22.潮目

「不味いわね……」


 ジト目で睨み付けてくるロクシオの漆黒の瞳が、中年ドワーフ男、グランの心を真っ直ぐに射貫いた。


「仕方ねぇだろぉ! 昨日、麹豆塩(ミソ)だって切らしちまったンだ……」


 がっくりと肩を落として深くため息を吐くとグランは、野営地のトライポッドに吊されたドッヂ・オーブンの中を、大きな木匙でくるりと混ぜた。


 その中には、赤や黄色、青色といった毒々しい色合いのキノコ。さらに、先ほど討伐したばかりの、死後硬直で固い謎めいた魔獣の薄切り肉が、浮かんでは沈んでいく。


 味付けは塩と、嗅げばツンとする名もなき草だけ。お世辞にも、良い香りとはいえない。見た目だってグロテスクで、食欲をそそる要素など皆無だ。


「私たちが弟子入りするとき、グラン師は確かに言ったわよね? 『弟子にするからには、食うには困らせねぇぜ!』って」

「ああ、言ったぜ! 確かに言った! だが……わかンだろ? この北大陸は、未知の食材ばかりだって事くらいよぉ!!」


 一行が旅する北大陸は、人類が住まう南大陸と広大な海を隔てる人類未到の地。有史以来、魔王が支配者として君臨し続ける魔境だ。人類にとって、あまりにも強大な魔獣が跋扈し、植物も異形ばかり。その生態系は今も、謎に包まれている。


「言い訳はなんて聞きたくないわ! ねえ、アル……? もう私、限界なのよ」

「分かってる。分かってるさロクシー。だけど……――」


 空色の瞳が曇っている。グランの正面に腰掛けるアルクは顔を伏せ、歯を食いしばった。


「はっきり言いなさいよ、アル。貴方、それでも勇者なんでしょ! ……不味いご飯じゃ私、これ以上はとても戦えないわ」

「ねえ、ね。アル、君。このままじゃ、あぶない、よ? せんせ、死んじゃう」


 少し傷んだ秋桜色の髪を後ろで束ねた聖女マリアリアが、アルクの袖をちょこんとつまみ、真剣な眼差しで訴えた。


「……分かったよ、マリー。確かにもう、潮時だね」


 薪の爆ぜる音を合図に、丸太を転がしただけの椅子からゆっくりと立ち上がる勇者アルク。向かい側に座っていたグランの目の前に跪くと、重々しく口を開いた。 


「グラン先生、今まで本当にありがとうございました……ッ!!」


 ぎゅっと閉じた眼からは、大粒の涙が零れる。夜の焚き火の赤を映したそれは、彼の、グランへの感謝の気持ちと心苦しさを表しているようだった。


「ああ、俺はもう用済みって事だな。……ずっと覚悟はしていたンだ。だから、これっぽっちも気にすることはねぇぞ、アルク、ロクシオ、マリアリア」


 ひよっこだった勇者アルク達を世界最強にまで育て上げ、今まで導いてきたという自負がある。冷静な口調とは裏腹に、グランの心中には、マグマの溜まりの中のような複雑な対流が存在していた。


 このままでは、泣き言や恨み節、あるいは命乞いにも似た無様な言葉達が、喉の火口から噴出してしまうかも知れない。


 『坑道は掘っても墓穴は掘るな』というのは、ドワーフ族に古くから伝わることわざだ。黙して語らずこそが、ドワーフの矜持なのである。


 こみ上げてくる胃酸と罵詈雑言の全てを呑み込むと、グランは立ち上がり、さっと踵を返した。そして、右手を小さく挙げ、無言で一行に別れを告げる。


「ま、待って下さい、グラン先生!!」


 慌ててアルクは、帰路への一歩目を踏み出したグランの肩を掴んだ。


「止めてくれンなよ、アルク。正直言って俺はよ、少しほっとしてるんだぜ? この歳じゃあもう、お前達の歩く速度にだって――……」

「お願いがあります、先生!! ……先生には、この場所で宿を開いて欲しいんです!」

「……あぁン? 宿……だぁ!?」


 突拍子もない提案に、グランは振り返らずにはいられなかった。『目線の切れ目が金剛石との縁の切れ目』という、心変わりを是としないドワーフの、至上の格言さえ忘れて。


「はい! 僕達だけの料理宿です!!」


 身じろぎ一つできない。グランの肩に添えられた勇者アルクの手には、竜の中でも最高のパワーを誇る岩竜さえ封じる程の力が込められていた。


 彼らを弟子にして十年経つ。苦楽を共にし、いくつもの死線を潜ったのだ。グランは十分に理解している。アルクが冗談を言うタイプでは無いと。


「死に体のドワーフ男に情けをかけるとはな……。見損なったぜ、勇者アルク! 引導を渡すなら、はっきりしやがれ! 追放だとか! 役立たずだとか! 田舎へ帰れだとかよぉ!!」

「……せんせ、あのね。わたしたち、三人でいっぱい、話し合った、の」


 いつの間にかグランの正面に回り込み、両手を広げて立ちはだかるマリアリア。彼女は口数こそ少なく引っ込み思案だが、一度決めたらテコでも動かない頑固者だと知っている。


「おいおい、マリアリア。まさか、お前まで俺を辱めようってのか!? 俺に少しでも感謝の気持ちがあるなら……せめて、ああ、せめてだ! お前達の事を忘れさせてくれよ! 新しい人生を歩むことを許してくれ。……俺は未練も、これっぽっちの妬みだってお前達相手に抱きたくはないんだ」

「……だめ、だよ」


 グランは語気を強めて訴えかけるが、マリアリアは目を伏せ、首をゆっくりと左右に振るばかりだ。


「グラン師の実力程度では、この先の戦いには全く役に立たないわね」

「ロクシオぉ……。相変わらずお前は辛辣だなぁ」


 真横から聞こえた淡々とした声に拍子抜けし、グランはがっくりと肩を落とした。


 一部の感情が欠落したような、歯に衣着せぬ物言い。ハーフエルフの賢者のロクシオは鼻先で笑う。


「……けれど、誇りなさい。本来、グラン師の料理の腕は至高なのよ」


 ロクシオに同調するように、勇者アルクは小刻みに、聖女マリアリアは大きく首を縦に何度も振っていた。

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