20.弾ける、綻ぶ
「……って、はやッ!!」
視線を戻したグランは、目を丸くした。出来上がりの予感を察知した四人は、グランが告げるまでも無く既に列を成していたのだ。
順番はいつも通りにマリアリア、ロクシオ、アルク、最後にロズ船長。
その様子を見て一度はほくそ笑んだグランだが、すぐさま気を引き締め、料理に目線を戻した。油が高温であるが故、少しの油断で焦げてしまう。そうなっては、これまでの苦労が台無しになってしまう。
熟練の眼力でグランは、頃合いとなったエビを揚箸で引き上げた。軽く振って余分な油を落とし、マリアリアが差し出す皿の、キャベツの山に立てかければ――
美しく盛り付けられた無垢の木皿の上は、さながら色鮮やかな絵画のようだ。
光り輝く衣の金色を、瑞々しいキャベツの緑が際立たせている。天空大海老の尻尾のまだらな桜色と、鮮やかなレモンの黄色もアクセントとなり、無上の調和を生み出していた。
「遠慮せずどんどん食ってけよぉ! なんたって、揚げ物の旬は揚げたてだからなぁ!」
知らぬ間に食堂から甲板へ運び出されていたテーブルに、皿を運びながら手早く食前の祈りを終えた一同が着くと、すぐにナイフとフォークをハの字に構えた。
間髪容れず、黄金色の衣に勢いよく入れられる銀の刃。ザク、ザクと小気味の良い音が、未明の船上に共鳴の輪を広げていく。
封じ込められていた湯気が純白の断面から一気に放たれ、芳ばしくほろ甘い香りがテーブルをふわっと包み込む。さらに、じゅわっとあふれ出す極上の海老スープと黄金のラードが、キャベツの山に星降りの煌めきを添えた。
目から鼻から耳から侵食され、理性は完全に『エビ・フライ!』の支配下に……。もう、我慢は限界だ!
最後に盛り付けを終えたグランが着席するのも待たず四人は、小さく切り分けた『エビ・フライ!』を、冷ますことさえ忘れて口に運ぶ。
衣を噛む爽快感のあと、口の中でプリッ弾けると新鮮な海老の身。
口の中が凝縮された海の旨味で満たされたかと思うと、その衝撃は体内を駆け抜け、瞬く間に五感が塗りつぶされた。
気がつけば、グランを含めた五人は揃って口元に手を添え、恍惚に目を閉じていた。息を吐くのも惜しい。誰一人として口を開く者はいない。
食感や香り、味の余韻を、少しでも閉じ込めておきたい心の表れなのだろう。肉厚で、引き締まった締まった海の王者は、噛めば噛むほど味の奥行きを見せ、魅了を続けるのだ。
「伝説の通りだわ……。この天空大海老、節によって味が違うのね。不思議……」
「フェンクの日誌には、こうも書いてあるのさ。天空大海老のヤツは、脱皮の度に捕食する物を変えるんだってねぇ。最初はウニ、次はコンブ……さらには辛みのある小魚――噴海魚って具合にさぁ!」
「本当にグルメな海老なのね。深海の恵みを食べ放題だなんて、羨ましい限りだわ」
「生まれ変わるなら、賢者殿は天空大海老を選ぶってかい?」
「それは無いわね。食べる側でいたいから。気楽な冒険者が良いかしら? ……こうやって、気の合う仲間と旅が出来れば最高だわ」
「はっはぁ! 違いねぇ。違いねぇや!」
腹が満たされれば、心のガードも自然と下がる。
ロクシオの口から零れた本音にロズ船長は、ふくよかな腹を叩きながら高らかに笑った。
「お味はどうだい? 勇者殿?」
「頭の部分はスパイシーで、海老の旨味を引き立てている。火舌果、ニンニク、ショウガに……辛ミソの風味も感じる……。この味、どこかで――」
ロズの言葉は聞こえているのか。アルクは軽く頭をもたげて眼を閉じ、節ごとに切り分けたエビ・フライをじっくり咀嚼し味わっていた。
「……わかった! 中央地方でよく食べた、エビとトマトの甘辛炒め煮に似てるんだ!」
「うん、うん。からうま、だね」
「ねえ? その下の節は、香草に似た風味が立っていると思わない? 緑宝葉と、ローズマリーみたい。エビ・フライの香ばしさに、爽やかなハーブの香りがよく合ってる。……蒸し暑かった、密林の夜を思い出すわ」
「本当かい、ロクシー!? レモンがあれば合うんじゃないかって、あのとき僕は思っていたんだよ!」
「もっと早く言いなさいよ、アル! そんなのって……最高じゃない!」
「わたしも、やる、よ」
眼を合わせて口端を緩めると、三人は競うようにして、キャベツに添えられたくし切りのレモンに手を伸ばした。
「かっか! そのマッチングに今ごろ気付くとは、お前達もまだまだ修行不足だなぁ! ――……ン? 三つ目の節は、仄かに甘みと酸味を感じるぜ。こいつぁ、天空大海老がウニを食った影響ってか……? ああ! 常夏島で食った鬼甲羅果に近けぇンだ。海老とパイナップルを一緒に炒め、酢卵油を和えて食うのはあの島の伝統料理! ンなもん、美味いに決まってるだろぉ!」
額に汗を流しながら、鬼気迫る表情で調理に臨んでいたグランの顔も、今では綻びっぱなしだ。
「……すっげえぜ。一匹の海老の味わいとは、とても思えねぇ!」
「えへ、へ!」
グランの真向かいではマリアリアが眼を細め、後ろ首をぽりぽりと掻いて可愛らしく照れている。
「オイオイ……!? どうしてマリアリアが偉そうなんだぁ?」
「……これ、だよ?」
マリアリアは口元についた黄金色のパン粉を人差し指の先に付け、それをグランの目の前に突きつける。
「かっか! そうだな、違いねぇ! このパン粉が、天空大海老の旨味をまるごと閉じ込めてやがるおかげだったな! ……間違い無くお前のアイデアだ、お手柄だぞ、マリアリア!」
差し出された頭を、いつものように撫でるグラン。
マリアリアは眼を閉じ、満足げな笑みを浮かべていた。
「こほっ! こほん!!」
そんなマリアリアの隣に座るロクシオが、わざとらしい咳払いを一つ。
「仲の良いお二人さん、そろそろいいかしら? 一口目は海老の食感と香りで気付かなかったけど、尻尾の部分、すっごく濃厚だと思うんだけど」
「うん……僕も驚いたよ、ロクシオ。これはまるで――」
「何十匹も海老を砕いて煮込んで、旨味を凝集したみたいだって言いてぇんだろ? 太陽王国の伝統料理、海老をまるごと砕いて煮込んだ、ビスクってスープによく似てやがるンだ。初めて食ったときは海老料理の真骨頂だと舌を巻いたが……。潮風と一緒に食うコイツは正直、あれ以上だぜ!」
「もう! グラン師はいつも手柄を横取りするのね! 私が言おうと思っていたのよ!」
「かっか! すまねぇすまねぇ。話もメシも、美味いモンは早い者勝ちってな!」
「みんな聞いてよ! この間だってグラン師は――……」
味わいの静に、共有の動。話が弾むのもまた、美味いメシの効果である。
話題が次々移ろう間に、五人の皿の上からエビ・フライはもちろん、山と盛られていたキャベツまでもが、きれいさっぱり姿を消していた。
銘々が美味の余韻に浸る中。グランは再び調理台に立ち、牛刀を手に取った。
「とうとう耄碌したのね、グラン師。天空大海老の下処理は全部済ませてあるのよ? あとは衣を付けて揚げるだけ。包丁は必要無いのよ」
「コイツを縦に切って、四つの節を全部まとめて食ったらよ。どんな味がするのか……興味はねぇのか? お前達」
ロクシオの嫌味を一笑に付し、グランは左の口元をつり上げた。
「!! ……そそ、そんな、そんな事って」
「想像するだけで、よだれが溢れてきそうですよ! ……グラン先生」
「それ、ね。きっと、おいしい、よ」
「いいか、お前ら! 料理ってのは、未知との遭遇なンだぜ! こうなりゃ、頭ごと食ってやる!」
爽快感を損なうからと、一度目は最後に取り除いた頭もそのまま、天空大海老を振り上げた牛刀で縦に五分割。それを五尾分、計二十五本。
細長く姿を変えた天空大海老に、パン粉をきっちり纏わせた。
「よぉし、勝負だッ!!」
お代わりは、気持ちが昂ぶっているときに食べるのが至極だ。
いつでも調理が再開できるよう、百六十怒に保っておいたラードの海へ、グランは天空大海老をゆっくりと沈めていく。




