16.聖女の夢
「……もう。少しも学ばないのね、グラン師は。大人しく最後まで聞きなさい。マリアだからいいものの、神の御言葉を遮れば普通、首が飛ぶのよ?」
「く、首ッ!?」
グランは両手で首に触れ、口を真一文字に結んで震え上がった。
「それで、その海老がどうしたんだい? マリー?」
「アル君、あのね。おっきい、エビ、ね。お空、飛んで、たの」
「バカ言うな! 海老ってのは、だいたい海の底で……――ぐ、ぎぎ」
突如としてグランの口が、痺れて開かなくなった。
ため息を吐き、指先を少しだけ動かしたロクシオの仕業だ。無詠唱の魔法で彼女は、グランの口周りの感覚だけを奪ったのだ。
「……馬鹿は放っておけばいいわ。さあ、マリア? 海老の話よ。どんどん続けて」
「うん。あの、ね。エビ、みんなで、つかまえ、たの。それで、ね。せんせが、お料理、するん、だよ。パンをけずって、ね。からから、あげて」
少しずつ口ごもっていくマリアリア。歳を重ねても、相変わらず口下手なのである。
「ごほっ、ごほっ! ……それくらいにしとけ、マリアリア? さすがにソイツぁ絵空事だぜ。海老が空を飛ぶワケねぇし、パンくずを料理に使うだとぉ? 南大陸中のレシピを見て回ったが、ンなもん、見たことも聞いたことも――」
「せ、先生ッ! 見てください! 空です! 月のあたり!!」
普段は沈着冷静なアルクの絶叫。反射的にグランは西に傾く弓張り月を見た。
淡黄の半円を横切って次々影を作るのは、拳大ほどの……群れ。
「あいつぁ……海老、だな」
「……ですね」
何百何千と、海老の殻を剥いたグランには分かる。間違い無い。
ただ一点、明らかに違っていることがある。それこそが背中に生える立派な羽――
呆気にとられ、口をあんぐりと開けるのはマリアリア以外の四人。
間抜けヅラを見下ろしながら海老の群れは、驚異的なジャンプ力で帆船を跳び越え、音もなく夜の海の中へと溶けていった。
「せんせ。みた、でしょ?」
「ああ。だが全く、馬鹿げてやがる……」
したり顔で、翡翠色の眼を輝かせるマリアリア。グランは思わず嘆息した。
「確か、伝説の海賊フェンクの日誌に、凶悪な海洋生物から逃げるため翼を手に入れた海老の話がありやしたねぇ。あっしだって今の今まで、眉唾だと思ってやしたが……」
「『大海の主』と呼ばれたフェンク・ロズリオットのことね。彼は、稀代の食通としても有名だわ。ねえ、ロズ船長? フェンクは食べたのかしら? あの、空飛ぶ海老」
星をちりばめたように輝くロクシオの漆黒の瞳は、白みはじめた空の群青によく映える。
グランとロズは目を合わせ、小さく肩を竦めた。
「はっはぁ!! 食いモンの話になるといつだって誰よりノリ気だねぇ! 賢者様はさぁ!」
「ち、違うわよ! その……そろそろ朝ご飯の時間だって、そう思っただけ!」
「僕も気になります!」
「わたしも、だよ」
興奮で上気したアルクとマリアリアが、ロズ船長にぐいっと顔を近づけた。
「はっはぁ! この師にして、この弟子ありってところかい! ……もちろん、フェンクは天空大海老と名付けたアレを食ったさ。捕獲は叶わなかったらしいが、運良く数尾、船に降ってきたって話でねぇ」
「天空大海老とは、また大それた名だな……。それで、肝心の味は?」
「邪魔しないで、グラン師。私が聞こうと思っていたのよ!」
ロズのデッキチェアの肘掛けを握りしめ、グランとロクシオもまた、身体を乗り出している。
注目を集めるロズは、恥ずかしそうに人差し指で頬を掻いた。
「絶品だって話だよ。なんでも、飛ぶため身が締まっていて、こりこりして抜群の食感なんだとさ。天空大海老の胃には、この海域の極上な踊布や棘丸が、たっぷり残ってたって話でねぇ」
「そいつぁ……ロクシオにも並ぶ贅沢者だぜ!」
グランは大口を開け、腹を叩きながら豪快に笑った。
「さらにさらに、節ごとに違う味が秘められているって記述もあるのさ! 分けて食っても、丸ごと食っても美味いってねぇ。……何通りもの味わい方が出来るんだとさ。信じられるかい?」
ロズの語り口に、ロクシオとアルクの生唾を飲む音が、凪の海上でいつもよりはっきりと聞こえた。それは、他の何よりもグランの闘志に火をつける音でもある。
「なあ、マリアリア。その新しい料理だ。仮に『天空大海老のパン粉揚げ(エビ・フライ!)』と名付けるが……美味かったか?」
「うん! とっても、ね。みんな、にっこにこ」
「……今日の朝食、決まりね」
いつの間にかロクシオは、船室から樫の長杖を持ち出し、それを中段に構えていた。既に体中に魔力を滾らせ、戦闘態勢をとっている。その闘気は、ドラゴンだって一捻りに出来そうに鋭い。
「捕獲作戦、開始ですね。先生!」
勇者アルクも両の拳を握りしめ、ふんすと鼻から息を吐いた。
「くっく……。おうよ! やってやらぁ!!」
どんな魔獣に対するより、食材確保に燃える。勇者一行は、今日も平常運転だ――