14.旅立ちの視座
「お前は何でもかんでも太陽神の加護に頼りすぎだ! 剣を振る前に、身体を加護の前触れが見える。次の動きが読めちまうンだ。お前の身体能力なら、加護無しでも牽制くらいは十分できンだろ。……いいかぁ? 最高の一撃は、必殺の時に取っておけ!」
「はいッ! 分かりました!!」
懐紙を取り出し、すかさずアルクはペンを走らせた。
勤勉な彼はこの五年、グランの言葉一つ一つを記録し続けてきた。彼の書棚には、そんなノートが何冊も収められている。
「次、ロクシオ!」
「な、なによ……。負け犬のくせに」
「使う魔法の属性だ! 偏りを無くせって、何度言ったらわかる! それから、二種類の同時発動をするときは、強度を同じにしろってのもだ! ここぞって時に片方の魔法をほんの少し弱めれば、最高のフェイクになる。いいかぁ? 敵を手玉に取るンだ」
「練習、するわ。もう! こんな時にもお説教なの? 少しは素直になりなさいよ……」
いつものように唇を尖らせてそっぽを向くが、何事にも必死に打ち込むロクシオの姿を、グランは何度も目にしてきた。彼女はとにかく、ひたむきさと集中力が凄いのだ。
「マリアリアは……――うぉっ! 近いな!」
相変わらず小柄なマリアリアは、グランの懐辺りから、上目で期待の眼差しを向けていた。
「あー、あいつらの怪我だ。何でもかんでも治してやる必要は無ぇ。サポーターにとっちゃあ、ポーションや魔道具を上手く使うのも技術の内だぜ。……お前の神聖力が底を尽きたら、魔王討伐の芽がついえちまう。肝に銘じな!」
「うん。わかった、よ」
マリアリアは小さな胸の前で拳を握り、ふふんと息を吐いた。
素直さこそがマリアリアの最大の武器だ。言うことを確実に遂行するものだから、グランは言葉を選び、彼女には特に気を遣って指導した。
「よぉし! ……これでもう、お前らに教えることは何一つ無ぇ! 荷物纏めて、とっとと出ていきやがれ!!!!」
立ち上がって三人に背を向けたグランは涙を押し殺し、腹の底から声を張り上げた。
「せんせも、いっしょ!」
「……そうよ。言いっぱなしは良くないわ。最後まで面倒見なさい」
「先生の知識と技術がまだまだ必要です! この先もどうか、僕達を導いて下さい!!」
「お前達……――」
袖をつまむ三つの手。グランの動きは完全に封じられた。
同じ釜のメシを食った愛弟子達の表情など、振り返らなくとも分かる。
五年前の夜、門を叩いたときのような、真っ直ぐで力強い六つの瞳が、灼く程にグランの背中に注がれているはずだ――
「ちっ! 完全に騙されたぜ。……お前ぇら、俺のことをなんだと思ってやがるんだ! これじゃあ、体の良い荷物持ちじゃねぇか!」
三日後。家の整理と身支度を済ませた一行は、魔王が支配する北大陸へ向かう旅路の第一歩を踏み出した。
愛着のある場所だが、もう戻ることはないだろう。愛弟子達による必死の「説得」に屈したグランは、ギルド長のバビルスに古い家の権利を押しつけ、彼らの旅に同行することになった。
グランの背中には、馴染みの一番大きいサイズのドッヂ・オーブンが、深く黒光りして圧倒的な存在感を示していた。
さらに、左右の肩掛けのバッグには、包丁一式と選び抜かれた調理器具、当座の調味料を小分けにして込めた瓶がパンパンに詰まっている。
「安心したわ。これで食事の心配は無くなったもの」
お気に入りの群青のローブを羽織り、手には樫の長杖。背負う小さなザックには一人分の野営道具と魔法薬のみが込められているのみ。
身軽な出で立ちのロクシオが、大荷物で汗を流すグランの前にぴょんと跳び、頭を傾けて悪戯な笑みを浮かべた。
「ンなっ! ロクシオ、てめぇ! やっぱりそれが狙いだったのか!」
「……そうよ? だけど、私だけの考えじゃないと思うわ。ほら、見てみなさいグラン師」
ロクシオが指を差す方向へと、グランは目線を動かす。
その先で、アルクとマリアリアは茜色の太陽を眺め、揃って唇を尖らせていた。
「ちっ! 満場一致ってワケか。ま、今までさんざん剣は振るってきたからよぉ。こういうのも新鮮でいいンだが……」
今更気付いても、もう帰る家はない。首を振り、観念したようにグランはたっぷりとため息を吐く。
「しっかし、よりにもよって、こんな大鍋背負って旅に出る羽目になるとはなぁ。どっかのS級調理師じゃねぇンだぜ」
「S級……調理師? 冒険者のランク分けと似ていますね」
ペースを落としたアルクは、グランの背中のドッヂ・オーブンを支えながら問いかけた。
「同じようなモノだぜ。料理人を実力や知識、機転の利き方で上から分けるのさ。……ま、実際には無いンだがな」
「実在、しない……?」
「かっか! 俺の大好きな冒険小説に出てくるのさ。聞けぇ! その主人公はよぉ、剣でも魔法でもなく、鍋と包丁で世界を幸せにしていくんだぜ!」
「すてき、だね」
「それ、『ドワーフ料理がナンバーワン!』のことよね?」
「ロクシオてめぇ、知ってやがんのかぁ!?」
「前に言ったでしょ? 家の本は全部読んだのよ、私。……もちろん、グラン師秘蔵のエロ本も含めてね」
「だからよぉ! ンなもんねぇって言ってんだろぉ……」
いつまでも根に持つロクシオだ。憮然としてグランは、足下の小石を蹴飛ばした。
「……なあ、ロクシオよ。あいつぁ名作だと思わねぇか?」
「そうね。私も好きよ。いい物語だと思うわ。きっと、世界を救うのは食よ。……剣や魔法なんかより、ずっといい」
「せんせに、ぴったり、だね?」
「僕もそう思うよ、マリー。グラン先生! 僕も読んでみたいです、その小説!」
「かっか! 残念だったなぁ、アルク。家にあるもンは全部、路銀にしちまった。あの家はもぬけの空さ」
少しばかりの金貨が込められた革袋を宙に放り投げながら、グランはけらけらと笑う。
「うぅ……残念です。そういうことは、もっと早く教えてくださいよ、グラン先生! ロクシーだって――」
「私、一度読んだ文字は忘れられないのよ。仕方が無いから、暇つぶしに書き出してあげてもいいわ」
「やった! ありがとう、ロクシー!」
「まさか、小説まで一言一句覚えてやがんのか!?」
「当然じゃない」
「くっく……。やっぱとんでもねぇぜ! 俺の弟子達はよぉ――」
時は流れていく。歳を重ねれば身体は衰えるのは自然な事だ。役割だって変化する。アルクとロクシオには背も追い越された。
今度は自分が幽霊だと思われる番かも知れない。
三人の頼もしい背中を眺めながら、北へ北へと真っ直ぐ進んでいくグラン。新たな旅路に、誰よりも胸をときめかせて――
お読みいただきありがとうございます。
第一章、終了です。