13.壁
グランの視界いっぱいに、抜けるような秋の青空が広がっていた。
随分高いところから落ちたらしい。小柄であっても、筋骨隆々とした身体は重いのだ。
落下した衝撃で、色とりどりの落ち葉がひとたび舞い上がり、ボロボロの身体にゆっくりと降り積もった。
幼少の頃、生意気を言って父に投げ飛ばされた時以来だろうか。
赤や黄色の新しい落ち葉がパリッと割れて生まれる爽やかさと、その下に眠る腐葉土の湿っぽさを同時に感じるのは。生と死の二つが絡まり合った芳醇な香りに、身体がいっぱい包まれるのは。
「……この俺が。『傑剣』のグラン様が負けたってのか?」
三人の若者の歓声と、手をたたき合う爽快な音が、澄んだ秋の空気を伝い、仰向けに倒れるグランの耳に届いた。
目を閉じるグラン。円を作って小躍りし、ハイタッチをして喜びを分かち合う三人の愛弟子の姿が、瞼の裏にありありと浮かんだ。
敗北は悔しいが、どこか嬉しい。「親心」とは、何とも複雑なモノである。
「せんせ。痛く、ない?」
程なくして、三人の愛弟子がグランの許に駆け寄ってきた。
すぐ側に膝を突いたアルクが、腐葉土に触れていたせいで湿った背中を支えて上体を起こし、ロクシオが、衣服に付いた汚れを払い落とす。
すりむいたり、アザになったり、火傷を負った箇所には、マリアリアが小さく真っ白な手を添えた。彼女の掌が淡く黄色い光を放ったかと思うと、深い傷さえみるみる塞がり、ばかりか、痛みすら癒えて消えていく。
「……」
無言のグランはすっかり脱力し、感慨深げに三人の姿をぼうっと眺めていた。
小さかった背中も大きくなり、シャープな中に「動ける」筋肉がびっしり詰まったアルクの体格はもう、一流戦士のそれだ。太陽神の加護のコントロールは完璧で、初歩の身体強化から最高難度の外部放出まで、その扱いは天賦の才と努力が合わさって、一日の長があるグランすら舌を巻くほどだ。
ある日バッサリ切ったロクシオの髪も随分伸び、それと競うようにぐんぐん背も伸びた。今では、すっかり大人の女性の風格を漂わせている。魔力の量、質、魔法への知識の深さで彼女と比肩する者など、南大陸にもはや存在しないだろう。失われた技術――魔法の多重展開や無詠唱――さえ、難なくこなす。
身体の殆どが神聖力で構成されている故、見た目はあまり変わらないが、マリアリアもしっかり成長した。研ぎ澄まされた『眼』力は、あらゆる生物の心理や思考を見抜く。何より、支援や治療、解毒などに使う神聖力を流す『道』の太さは圧巻の一言だ。並の癒やし手が人生で使う神聖力を、一撫で発揮してしまう。さらには、天界から精霊を喚び、その力を借りる術まで身につけた。
あえて言い換えるなら……アルクは瞬時に野菜の皮むきとカットをこなす達人。
ロクシオは世界一の火おこし名人。
マリアリアは旬の野菜や肉の熟成度合いを見極める目利き職人といった具合か。
調理や食事に役立つスキルに特化して成長したのは、師たるグランの指導の賜物に違いない!!
「ありがとよ、マリアリア。……だがなぁ、神聖力の無駄遣いはやめとけ。その力にゃあ、限りがあるんだろ?」
そう言ってグランは、マリアリアの白くて小さい手を優しく包んだ。
一瞬、驚きにぱちくりと目を見開いたマリアリアだが、すぐに顔を伏せ、首をゆっくり左右に振る――
「せんせより、大事なこと。ない、よ?」
相変わらずぽそぽそと言葉を紡ぎながらも、少しの躊躇いもなくグランの治療を続けるマリアリア。真っ白なはずの手の甲が、心なしか赤らんでいた。
「ならよぉ、言い方を変えるぜマリアリア。この痛みは、喜びなンだってな。お前達の成長を、はっきりと感じるのさ。……だからよ、勝手に消えて無くなるまで、味わわせてはくれねぇか?」
「……うん。わかった、よ」
小さく頷くとマリアリアは、治癒の手をグランの身体からゆっくりと離した。
どこか名残惜しそうにしているマリアリアだがその実、手際のよい彼女の力で治療はほとんど済んでいる。グランの身体には、脇腹に掠めたアルクの刺突の、小さな傷が残るくらいだ。
「それにしても強くなったなぁ……お前達。まさか、本当に五年ぽっちでこの俺様を超えやがるとは――」
五年間、ドッヂ・オーブンで調理した鳳凰鳥のハーブ焼きを食べた夜から、全ては始まった。
朝早く起き、涼しい時間帯はハードな基礎トレーニングをこなす。昼前までは畑仕事や家畜の世話に精を出し、効率の落ちる暑い日中は眠って凌ぐ。そして、涼しくなりかけた頃に個別の訓練に励み、夜にはグランの作った美味いメシをたらふく食って、泥のように眠る。
グランだけは、自家製の葡萄酒や醸造酒、近隣の農村の特産であるエールを浴びるほど?んで眠たくなったら眠った。毎日のほどよい疲労が、一番の肴だった。
時には釣りや泳ぎに海に出かけたり、生活費のために冒険者ギルドの依頼をこなしたりして……脱線しながらもまる五年、地道な鍛錬は続いた。
そして迎えた今日の日。半年に一度行われる、試練と称しての実戦訓練。
三人の英雄候補は一週間装備と体調を整え、その時点での最高の力で、グランに挑む。グランもまた、その準備期間ばかりはいっさい弟子達と言葉を交わさず、戦意を研ぎ澄ませて全力で迎え打つのだ。
入門の際にグランが設定した、彼らが北大陸に渡るための条件。それは、三人がかりでグランに勝利する事。今まで余裕なフリをしていたグランだが、試練の度ごとにみるみる力の差は縮まり……とうとうその時が訪れてしまった。
壁は打ち破られた。今日をもってアルク、ロクシオ、マリアリアの三人は、グランの門下を卒業となる。
走馬灯のように五年間の記憶が蘇るとやはり、こみ上げてくるものがある。こういう時こそ笑い飛ばしたいが、どうにも叶わない。
グランの大きなグレイの瞳から熱い雫が溢れ、頬を伝った。
「……せんせ、泣いてる、の?」
「バカ言うな。こいつぁ汗だよ。汗!」
どうしても鼻声になってしまう。
マリアリアの後ろに、微笑むロクシオの姿が見えた。いつもの悪戯な笑顔では無く、何とも爽やかな笑顔を浮かべている。
「あーあー……。はン!! ようやくこれで、ガキの世話から解放されるってワケだ! 元の気ままな生活に戻れるってな! せいせいするぜぇ!!」
掌の底で目尻に溢れる涙をぐっと拭い、無理矢理声を張り上げてグランは、涙声をごまかすのだ。
「グラン先生! あの……――」
「一つずつ言わせろ。おい、アルク!」
「は、はい!」
何か言いかけたアルクだが、覇気に満ちたグランの声に、背筋をピンと伸ばして耳を傾けた。