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12.誕生日ケーキはソース味

「……ロクシオ、さん? ご飯の用意、整いましたよ?」


 四人暮らしとなってから半年。大工仕事も得意なグラン主導で家の増築は着々と進み、今では弟子のための小さな部屋がダイニングの奥に三つ、横並びに用意されている。


 その真ん中。ロクシオの名札がぶら下げてある部屋の扉を、グランは震える手で三回ノックした。


 カチャリと音が鳴って錠が外され、軋む音と共に開いた小さな隙間。

 三日月のささやかな月明かりと蝋燭だけが光源の薄暗い部屋の中に、むくれた顔のロクシオがちらりと覗いた。


「……夕ご飯?」

「お、おう……」

「遅すぎるわ。もう私、お腹ペコペコよ」


 グランと決して目を合わせることなく、テーブルに真っ直ぐ、ずんずんと床を踏み鳴らして向かうロクシオ。曲がったヘソが真っ直ぐに戻っていないことは明らかだ。


 時には食事し、時に憩う場所。グランの寝床でもあるリビング・ダイニングは、香ばしく甘い香りで満たされていた。


「……美味しそうな香りね。今日の夕飯は何かしら?」


 空腹は、嗅覚を研ぎ澄ます。呼吸と共に食欲のスイッチが入り、ロクシオの腹の中に住む虫が小さく音を上げた。


「あれ? いつもと……違う?」


 ロクシオの歩みが遅くなる。


 大部屋の中央に鎮座する、無骨なはずのダイニング・テーブルには、花柄レース編みの薄青いクロス。銘々の定位置の前には、銀製のクローシュが四つ。カトラリーとともに整然と、美しくセッティングされている。


 かように洒落た物など本来、冒険者一人暮らしの家にあるはずもない。どれも気遣いのアルクが、食材の買い出しがてらに求めた品々だ。


 さすがの王族である。彼の思惑通りに小道具は、特別な雰囲気を演出していた。


「な、なによ。これ?」


 いざ目の前にすると、違和感が警戒にも近いものとなったらしい。スツールを引く手を止め、ロクシオは思わず立ちすくんだ。


「取って食いはしねぇからよ。まあ座れよ、ロクシオ」

「え、ええ……。何だか、怖いわ」


 動揺しながらもなるべく平静を装い、ゆっくりと席に着くロクシオ。


 彼女が腰を落ち着けた事を確認するとグランは口端を上げ、すっと右手を掲げた。


 小さく頷いたアルクが魔力を操作し、壁掛けのランプの火を一斉に落とす。差し込む月明かりもない大部屋は、一瞬で真っ暗になった。


「きゃっ! な、何??」

「安心しな、ロクシオ。仲間からの贈り物だからよ。おぉい、出番だぞ!」


 それを合図に、テーブルの下に潜むマリアリアが、「ないしょ」にしていた竹カゴの蓋を開く――


 中から飛び出すのは、無数の光の粒。


 解放された喜びを表現するようにそれは、明滅しながら飛行。美しい黄緑色の光の筋を描き、部屋中を美しく彩った。


「蛍……!? こんなに沢山……。とっても綺麗だわ」


 ロクシオの感嘆のため息に、テーブル下のマリアリアは、拳をぎゅっと握りしめた。


 近頃、ロクシオとマリアリアの二人は、寝る前の腹ごなしと言って、よく夜の散歩に出かけている。いつもロクシオは、川べりで歩みを止め、儚い光の粒を目で追っていた。


 蛍の演出は、そんなマリアリアだからこそ知る、ロクシオの大好物というわけだ。


 見惚れるがままロクシオが瞳を動かしていると、したり顔のグランと目線がぶつかった。


「マリアをけしかけたのね……? 弟子を使ってまで、私の機嫌を取りたいっていうの?」


 すっと目を逸らせたロクシオは、緩んだ口元を引き締め直す。


「まぁ、な。だが二人とも、喜んで協力してくれたぜ? 料理も、三人で力を合わせて準備したんだ。ほら、開けてみてくれよ。ロクシオ」


 微笑みを湛えたままでグランは、テーブルの中央に魔道具のランタンを一つ、そっと置いた。


 ロクシオの手によって改良されたそれは、光の色、量は勿論、炎の揺らぎすらも再現可能な優れモノだ。ランタンの火屋の中で揺らめく赤と、蛍の残すささやかな青。クローシュの銀が仄かに照り、部屋は、暖かな光で満たされていた。


 何より煌めているのは、ロクシオの瞳の黒だ。グランは知っている。それが、溢れる期待感を現していることを。


「……次は食べ物? 私はね、餌に釣られた猫じゃないのよ」

「まあまあ、そう言うなって」


 仕方のない奴だなと、グランは小さく肩を竦めた。


 再びすまし顔を作り上げたロクシオが、クローシュの把手に手を伸ばすと、気遣いのアルクが壁のランプに小さな光を入れ、その手元をささやかに照らす。


 蛍の光が、少し朧気になった。


 ロクシオの手によって、ゆっくりと開かれる銀の蓋――


 鋼のしかめ顔が、ついに解けた。


 湯気と共に現れたのは、小さめドッヂ・オーブンサイズの美しい真円だ。

 厚さは約五センティもあり、見事な膨らみである。アルクが数十分かき交ぜ続けたモクモクドリの卵は、立派な仕事を果たしたらしい。



『愛するロクシオ。十歳おめでとう』



 芳醇な香りを放つ黄金色の丸いキャンパスには、グラン特製のどろりソースを使い、下手な字でそう書かれている。


 「ケーキ」の上を蛍が八つ、環を成すように舞った。あらゆる生物と心を通わせるマリアリアの、聖女の権能だ。


「ロクちゃん。たんじょび、おめで、と!」


 テーブルの下に潜んでいたマリアリアが、ひょっこり姿を現した。その両手には、いっぱいのスズランの花束。


 ピンク、白、珍しいカナリア色に水色。楕円型の大きい葉の深緑と組み合わさって五色は、見事な調和を取っていた。


「ありがとう、マリア。散歩中、ふらふらしていると思ってたら、これを探していたのね? ……本当に、嬉しいわ」

「えへ、へ。ロクちゃんに、ね。いつか、わたそ、と、おもってた、の」

「危ない思い、していないでしょうね?」

「だいじょぶ、だよ。せんせに、いわれた、から」

「……そう」


 花束を受け取るとロクシオは、空いた左手でマリアリアの頬をつまんで労う。


「ちなみに、部屋のセッティングはアルクがやってくれたんだぜ! さすが、王族はセンスがちげぇ!」


 いつの間にか隣に立っていたアルクの背中を、グランはバシバシと力一杯叩いた。


「先生やマリーの贈り物とは違って、買ってきた物ばかりなんだけどね。……八歳のお誕生日おめでとう、ロクシー!」

「そう、アルも手伝ってくれたんだ……。いつもワガママ聞いてくれて、ありがとう」


 立ち上がったロクシオはアルクと目を合わせ、小さく頭を下げる。


 美しい所作でお辞儀をし、アルクはそれに華麗に応えた。


「それにしても驚いたわ。私、自分の誕生日を知らないから。当てずっぽうでも嬉し――……!? ま、まさかグラン師! さっきの薄い本!!」

「大事な日だろ? どうしても祝ってやりたくてな。その……色々調べていたンだ」

「……バカ」

「さっきは悪かった。ギルドに、お前の誕生日と好物を調べて欲しいって、断りもせず頼したンだ。だがアイツら、どうでもいい情報を山ほど入れて寄越しやがって……。つい、隠しちまった」

「そう……だったの。私の方こそごめんなさい、グラン師。思い込みで、酷い事言っちゃったわ」

「いや、コソコソしていた俺が悪ぃ! ……焜炉と銅板の時といい、驚かせようとすると、どうにも裏目に出ちまうな」


 恥ずかしそうに顔を伏せ、グランは人差し指で頬を掻く。


「……ややこしいから、エロ本を読むなら地下室にしなさい」

「だから、ンなモン読まねぇって!!」


 口端を上げた二人は目を合わせ、同時に小さく肩を竦めた。


 アルクとマリアリアも、二人やりとりを見て愉悦に笑っている。もう、すっかり元の通りだ。


「それにしてもよぉ、ロクシオ。この料理、何て名前なんだ? お前の故郷、オルサックで食ったんだが、食うのに夢中で聞きそびれちまってな」

「呆れたわ。名前も知らずに、良く再現できたものね。これは、オオコノミヤキ、っていうの。……皆がね、好きな食材を持ち寄って楽しむの」

「オオコノミヤキ、か。なぁるほど、いい名だぜ。何十枚と試作したが、魚介に肉、変わり種まで何にでも合わせる包容力がコイツにはありやがる」

「スラム時代に、母さんがよく作ってくれたわ。お金なんてなかったから、いつもキャベツとコムギコだけだったけど。スラムの仲間と一緒に食べるとね、温かくて、美味しくて……大好きだった。ずっと、忘れていたわ」

「……そうかい。結構うまく出来たからよぉ、覚めないうちに食ってくれ。ケーキは間に合わなかったが、祝う気持ちは負けねぇぜ」

「甘い物より私、こっちの方がずっと好き――」


 久々の好物に目を輝かせたロクシオは、目の前のオオコノミヤキにゆっくりとナイフを入れる――


 現れた断面から、ベーコンと魚介出汁がほどよく焦げた、風味深い香りが部屋中に解き放たれた。その量、質、解像度。クローシュから漏れ出ていた程度のものとは、まるで比較にならない。


 試作を何枚も食し、抵抗があるはずのグランとアルクでさえ、思わずゴクリと生唾を呑み込んだ。歩きっぱなしで空腹のマリアリアなど、目をギラギラと輝かせている。


「あんまり見ないで……。何だか恥ずかしいわ」


 小さく切り分けてフォークに刺し、口元ではふはふと息を吹きかけていたロクシオは、三人の熱い視線に気付いて、思わず顔を伏せた。


 邪魔をしてくる艶やかな黒髪を左手で耳にかけて捌き、大きく開いた口に、オオコノミヤキを運び入れた。


 口を動かす度、みるみる崩れていく表情。


 味と香りは、何より記憶を呼び起こす。ロクシオの頬を伝って、雫が落ちた。


「……おいしいわ。きっと、人類にとって最上の誕生日ケーキね」


 口元にソースを残したままロクシオは呟き、無言でナイフとフォークを動かし続ける。


 グラン、アルク、マリアリアは顔を見合わせて微笑み、同時に大きく頷いた。


 残る三つのクローシュが開かれれば、賑やかなパーティーの始まりだ。


 生地は十分にある。山ほどのキャベツも、雲のように立てたメレンゲも、黄金豚のベーコンだって一冬分。運良く、どろりソースの味によく合うエールは先月、樽で仕入れたばかりだ。


「全然足りないわ」「お代わり!!」「せんせ、まだ、ある?」


「……ったりめぇだろぉ! 俺を誰だと思ってやがる! 今日は宴、明日は休み! 夜通し飲んで騒ぐぜぇ!!」


 上機嫌のグランは木製のエールジョッキを手に、外へ。


 ファイヤーピットに残る炭を集め、早速ドッヂ・オーブンに余熱をかけた。


 半年前まで納屋で深い眠りについていた巨大で黒い鉄鍋は、赤々と光る炭火の上で、今宵も休む事も無く働き続けるのだ。

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