10.宴の準備は密やかに
「な、なんだぁ、お前ら!? 伝書カラスが豆鉄砲食ったみたいな間抜けツラしやがって!」
「せんせ。これ、これ。見て、ね?」
珍しくも慌てた素振りのマリアリアが持ってきたのは、先ほどカラス便で届けられたばかりの新聞。それもまた、ロクシオのたっての希望で定期購読するようになった物だ。
「夕刊だとぉ? その焦りよう……まさか!? 北大陸の魔物が攻めて来やがったか!」
机をバンと叩き、グランがスツールをひっくり返して勢いよく立ち上がる。
「……ちがう、の。せんせ。ここ、だよ」
マリアリアが新聞を開き、四隅には、転がっていた酒瓶を置いて固定。細く白い人差し指で迷い無く、ある箇所を差した。……右上の、欄外だ。
「あぁ? さすがに無学な俺だって知ってるぜぇ、そこには日付しか……――ン? 今日が雨神の月、二十七日だとぉ!? オイオイオイ! それじゃあ、今日がロク――むごむごぉ!!」
慌ててアルクが、興奮で声を張り上げたグランの口を塞いだ。
マリアリアは「しーっ」と声を殺して、人差し指を口の前に立てている。
「ダメですよ、先生。折角のチャンスなのに、ロクシオに聞こえて締まったら台無しです」
「ごほぉ! ごほぉ! あ、あぁ、すまねぇ。しっかし、まさか今日とはなぁ……驚いたぜ。バビルスの使いが妙に慌ててやがった理由はこれか」
「絶対に何かの縁ですよ、先生! ……サプライズパーティーをしましょう!」
「サプライズ……だとぉ? 一体なんだ、そりゃあ!?」
「知らないふりしていきなりお祝いして、ロクシオを驚かせるんですよ! プレゼントとご馳走、あとはケーキを用意して!」
「ロクちゃん、よろこぶ、よ!」
「なぁるほど……。そいつぁいい考えだ」
「……わたし、ね。霧神の月、十二日。だよ。十一歳、なる、の」
胸の前に両手で拳を作り、マリアリアはいつもより少しだけ語気を強めた。
「しっかり覚えたよ、マリー。楽しみにしておいて」
「来月だな。あぁ、祝ってやるさ。たっぷりなぁ!」
グランは秋桜色の頭にそっと手を添えた。その手の下、マリアリアは眼を細めてご満悦だ。
「ですが、先生。もうとっくに日が暮れています。王都のパティスリーは、どこも閉まっているでしょう……」
「そいつぁ、仕方がねぇな。ケーキはマリアリアの時に二回分用意すりゃあいいだろうよ。……さすがの俺も、洒落たスイーツ作りの心得はねぇからな。どうする……?」
グランは大きな両手で、頭を抱えてうずくまった。
「せんせ? ロクちゃん、好きなの、なに?」
「……花、だとよ。至大図書館で暮らしていたときには、スズランをいつも部屋に飾っていたらしい。あのロクシオがだぜ? らしくねぇよなぁ? 大方実験用か、燃やすか凍らすかの、魔法の練習用に育てていたんだろぉぜ!!」
額に手を添えて身体を反らし、グランは大口を開けて豪快に笑う。
「……」
「せんせ、ひどい」
無言でぽかりと口を開けるアルク。マリアリアは吐き捨てるようにグランに言葉を投げた。侮蔑を示すジト目を添えて。
「わ、悪かった、無神経だった! ……頼むから、ロクシオには黙っておいてくれよ、な?」
「それは、今からの先生次第ですね」
「……誠心誠意、尽くさせていただきます」
胸を張るアルクの正面に立ち、グランは深々と頭を下げていた。
「わたし、ね。スズラン、しってる、よ。前に、谷の、川辺で、みた、の」
「おぉ! そいつぁお手柄だぜ、マリアリア! 川辺なら近い。今からでも採りに行けるぜ」
「えへ、へ」
頬を染めるマリアリア。両目と口が全て横棒になる様子は何とも愛らしい。
「残るは、ご馳走ってわけか。……今じゃあ信じられねぇが、ロクシオの食への無関心は筋金入りだったみたいでな。ギルドが寄越したあれだけ分厚い報告書にも、何も記されてなかったンだ」
「グラン先生の料理なら、ロクシーは何でも喜ぶと思いますが……。それでも少し、特別感が欲しいですね」
「特別、特別……。ならよぉ、川に下りたついでに、泥竜魚でも捕ってくるかぁ? ドッヂ・オーブンでアクアパッツァを作るんだ! 赤果と緑羽葉、酸黄珠ぶち込みゃあ、見た目も華やかだぜ! ……プレゼントと美味いメシがあれば、あいつの曲がったヘソも戻らねぇか?」
「せんせ、せんせ。お魚。きのう、食べた、よ?」
「ぐぬぬ……――」
代わり映えしないのであれば、当然特別感はない。グランはぎりりと歯を食いしばった。万事休すである。
「好物、好物……そうだ! ねえ、グラン先生! ロクシーの母君の出身地、例の報告書に載っていませんでしたか!?」
「あぁン? 母ちゃんだとぉ? 載ってたぜ。確か……西部のオルサックだったな。ロクシオのヤツ、途轍もない魔力に目覚めてクソ親父が掌返すまで、母ちゃんと二人、オルサックのスラムにいたンだとよ。スラムでの暮らしっぷりまでは、さすがに書かれては無かったが――」
「それですよ! 先生!」
言葉を被せ、テーブルに手を突いてアルクが身を乗り出した。
「どういう意味だ? アルクよぉ」
「オルサックの食文化は、一風変わっていると聞いたことがあります。それが、ヒントになるんじゃないかって!」
「なぁるほど。俺も一度だが、オルサックを旅したことがあるから知ってるぜ。果実や野菜、スパイスををたっぷり煮込んで寝かせた『どろりソース』って調味料、前にハンバーグをに添えて食わせてやったろ? アイツぁ、オルサックで教わった調味料なンだ!」
「ハンバーグ、とっても、おいしかった、よ」
「かっか! ありがとな、マリアリア!」
「あの時のロクシオ、いつもより多く食べていた気がします。ひょっとしたらスラムでは、母君の手料理を食べていた……? となれば、ロクシオが食に興味を失った原因、至大図書館とオルサックの食の違いにある可能性が――」
「いい洞察じゃねぇか! さすがは俺の弟子だぜ、アルクよぉ!」
グランはアルクの頭に手を置き、ぐしゃぐしゃと髪をかき交ぜる。アルクは誇らしげに、鼻孔を広げてふんすと息を吐いた。
さすがに成長期だ。アルクの背は半年の間に随分伸びた。百五十センティと、ドワーフとしては背の高いグランだが、あと数年で追い越されてしまう。グランは今だから出来ることを、しっかりと噛みしめていた。
「ですが、肝心のレシピがないといけませんね。王都の書店、閉まっていなければ良いのですが」
「待ちやがれ! 俺を誰だと思っていやがる! ……頭はイマイチだが、味の記憶力は誰にも負けねぇぞ!」
「せんせ。すごい、ね!」
背伸びして、グランの頭に目一杯手を伸ばすマリアリア。
腰をかがめて称賛の撫でる手を受けいれるグランだが、目端にはしっかり、腕組みして何度も頷くアルクの姿が映っていた。
「……いや、そこはフォローしろよ」
「あ……。すみません」
「謝ンなって……余計に悲しくなるじゃねぇか」
「すみませ――……あっ!!」
「……まぁ、いいさ。オルサックへの遠征の時によぉ、名物料理を食ったから覚えているぜ。確か……コムギコを魚介の出汁で溶いた生地に、ざく切りにした翡翠球を山ほど入れて、卵と一緒に混ぜ込んで焼くンだ」
「? ……想像が難しいですね」
腕組みしたアルクが、そのまま首を傾げた。マリアリアなど、目をぐるぐると回してしまっている。
「実は俺もよぉ、食える物になるのか半信半疑だったぜ。だが、鉄板で焼くと表面はカリッ、中身はもっちりで、斬新な食い応えになりやがった! 味も勿論、豚バラや海の幸を乗っければ、キャベツと生地に具の味が染んで最高に美味い。濃厚などろりソースの上で踊る煌魚の削り節、色と香りが鮮やかな海緑粉……見た目だって抜群なンだ!」
「おいし、そ」
「その料理、食べて――作ってみましょうよ、先生!」
「くっく……。漏れてんぞ、アルク。てめぇが食いたいだけじゃねぇのか?」
「それは認めますが……もちろん、一番はロクシオのためですよ!」
「よぉし、やってやるぜ! 試行錯誤の時間はたっぷりあらぁ! ……プレゼントも忘れちゃいけねぇ。マリアリアは谷にひとっ走り、スズランを採りに行ってきてくれ。ロクシオが作った魔道具のランタンを忘れないようにな。もうすぐ日が落ちる。足下には、くれぐれも気をつけるンだぜ?」
「わたし、けが、なおせる、よ!」
「そういう問題じゃあねぇよ。バカヤロウ」
言って、グランは優しく人差し指でマリアリアの額を押した。
「ふへ?」
けれどもマリアリアは、頬に人差し指を添えて、ぽやっと首を傾げていた。どうにもピンときていないらしい。
「怪我したら痛ぇだろ? お前だけじゃねぇ、俺もだ。ロクシオも、アルクもそうさ。……ま、心配させんなって事だ」
「……うん。わかった、よ。せんせ」
粉雪のような白い頬を淡く染めるマリアリア。逃げるように納屋へと向かい、彼女にとっては大きな採取用の竹カゴ二つを肩に掛け、魔道具のランタンを右手に。
グランとアルクにぺこりと頭を下げると、川へ向かってふらつきながら走り去っていった。何度も転びそうになりながら。
「聞いてンのか……。危なっかしいったらないぜ」
「マリーなら大丈夫ですよ。先生の指示を守らないはずありません」
「そうかぁ……?」
「そうですよ」
アルクは口端を上げた。
「お前が言うならそうなんだろ。よし、アルクは市にひとっ走り頼む。カツオの削り節とアオノリに……ああ、酸味も欲しい。炎根漬の刻みも買ってきてくれ。肉と卵は、いい具合の物が氷室にあるから事足りる。……俺は、ともかく試作だな。覚えちゃいるが、作るのは初めてだからよ」
「分かりました! では、馬を――」
「走って行け。これも訓練だ。怪我と、野盗にはくれぐれも気をつけるンだぜ? ……まぁ、マリアリアほど、心配はしちゃあいねぇが」
「分かりました! ……なんとか今日中に再現して、ロクシオを驚かせてやりましょうね、先生!!」
「おうよ!」
二人がハイタッチする、心地の良い音が部屋中に響く。
時計は、六の刻を打ったばかり。時間はまだまだたっぷりある――