【96】うちの旦那様は拗ね方が器用
少年が暫くの間離宮に滞在することになったところで、名前をまだ聞いていないことに気付いた。
「ねえ少年、少年のお名前はなんですか?」
「名前……」
そこで、少年はなにかを思い出している時のように宙を見る仕草をした。
「……ノクス……です……?」
え、今考えた?
思わずそんな言葉が口をついて出そうになった。ついついそう思っちゃうくらいには、自分の名前に馴染みがなさそうだったのだ。
「えっと、じゃあノクスって呼べばいい?」
「はい。好きに呼んでください。ノクスでも、犬でも」
「いや、さすがに犬とは呼ばないよ!?」
散々ノクスをワンコと称してきた私だけど、本人に面と向かって「犬」と呼ぶ勇気はない。というか、それは人としてどうなんだろう。
ギョッとする私を見て、ノクスは何が悪いんだろうとでも言いたげに首を傾げていた。うん、ノクスはもうちょっと訳あり感を隠した方がいいかもね。
「……とりあえず、倒れたばっかりなんだし今日はゆっくり休んでね」
「いえ、もう満腹になったので働けま―――」
「ドクターストーップ!! 少なくとも今日は働かせないよ。ここでゆっくりすること!」
ノクスの言葉を遮り、ルークが勢いよく言い放った。そしてそのままルークが続ける。
「ただ、何もしないで……っていうのも君にとっては居心地が悪いだろうね。う~ん、じゃあ今日は狐のお世話係を頼もうかな。シャノン様、それでいいですよね」
「うん、もちろん」
ルークのやりたいことをなんとなく察したので、私は快く許可を出した。
「だって。ノクス君もいい?」
「はい」
「よしよし、じゃあ早速最初のお仕事なんだけど、狐と一緒にお昼寝してくれるかな?」
「え」
生気のないノクスの瞳が微かに見開かれる。まさか仕事でお昼寝を頼まれるとは思わなかったんだろう。
無表情の人の表情に変化があるとなんだか嬉しくなるよね。
「狐様を寝かせるだけなら、俺は寝なくてもいいのでは……?」
「キュッ!?」
様付けで呼ばれたのが嬉しかったのか、ノクスの腕の中にいる狐がピンッと耳を立てて瞳を輝かせた。そしてそのまま嬉しそうにノクスの顔に頭を擦りつける。
そんな狐に、リュカオンは生温かい視線を向けていた。リュカオンは逆に様付けで敬われるのが当たり前の存在だから、様付けで喜ぶ狐がかわいく見えるんだろう。
ぐりんぐりん頭を擦りつけられているノクスの質問に答えたのは、ルークだった。
「その狐ちゃんは繊細な子だから、見張られている状態だとよく眠れないと思うんだ。でも、その実寂しがり屋さんだから側にいてあげてほしい。僕達にはそれぞれやることがあるし、狐の警戒が完全になくなったわけじゃないからね。その点、君はなぜかとても懐かれてるから狐のお供にうってつけの存在ってわけだよ!! 分かってくれたかな?」
「……はい」
「よしよし、分かってくれて嬉しいよ、じゃあ狐の部屋に案内するね~」
この間、ずっと毛玉を抱っこしていたノクスは、ニコニコ顔のルークに連行されていった。
よっ! 鮮やかなお手並みですね。
思わず背中にそんな掛け声をしてしまいそうになるくらいには、スムーズな流れだった。
ばいば~いと二人の背中に向けて手を振って見送れば、医務室の中には私とリュカオン、そしてオーウェンだけになった。
「―――さて、それじゃあ行こうか」
リュカオンとオーウェンを引き連れ、私は再び離宮を出た。なぜなら、やらなければいけないことがあるからだ。
「フィズお待たせ~。遅くなってごめんね」
「やあ姫」
フィズの執務室に急いで駆けつければ、フィズが出迎えてくれた。いつも通りの笑顔で―――と言いたいところだけど、どこか違和感がある。
柔和な微笑みを浮かべてはいるけど、どこか強張っているような……? う~む。
コテンと首をかしげ、まじまじとフィズを観察する。
ジー。
「ん? どうしたの姫、そんなかわいい顔して。そんな顔されてもお金しか出ないけど」
「お金が出れば十分じゃない?」
私のツッコミにフィズはふむ、と言った後、どこからか財布を取り出した。
「いくら欲しい?」
「本気、リュカオン、この人本気だ」
「皇帝も少々頭のネジが外れておるからのう」
「……リュカオン、もってなに?」
薄々勘付きつつも聞いてみると、チラリとこちらを見て溜息を吐かれた。
誰の頭のネジが外れてるって?
財布からお金を取り出したそうなフィズに向けてふるふると首を振ると、大人しく財布を仕舞ってくれた。よしよし。
もしもお金に困ることがあったらフィズにたかろう。
にしても、やっぱりフィズの様子がどこかおかしい気がする……。
疲れているというよりは……笑顔のまま拗ねてる……? なんて器用な。
ふ~む、とフィズを見上げていると、スススッとアダムが近付いてきた。
「陛下ってばシャノン様の差し入れをそれはもう、数年に一度のイベントがごとく楽しみにしてますから。今日はそれがなくてガッカリしてたんですよ」
「おいアダム」
「しかも、人助けのためとあればシャノン様の手作りサンドイッチを食べた相手を怒ることもできず、ましてやかわいいかわいいシャノン様を怒るなんて論外なので珍しく拗ねてるんです」
「おい」
「いいじゃないですか。拗ねてるのはシャノン様にもお見通しみたいですし」
ね? と聞かれたので、うんと頷いておいた。
「フィズ、ごめんね? そんなに楽しみにしてるとは思ってなくて……」
少し困ったようなフィズの顔を見上げてそう言うと、フィズが屈んで私と視線を合わせてくれた。
「いや、謝らないで。姫は何も間違ったことはしてないんだから。むしろ、皇妃でありながら使用人にも躊躇いなく手を差し伸べられる姫を、俺は何よりも尊く思うよ」
「フィズ……」
なんだか堪らない気持ちになり、私は心の赴くまま、フィズの首に手を回してギューッ!! と抱きついた。
「姫?」
「フィズっ、私、もっと料理の練習をして、もっともっといろんなごはんをフィズに食べさせてあげるからね!」
「―――っ!」
フィズは声にならない声を上げると、そのまま私を抱き上げて強く抱き締めた。
「かわいい……っ! かわいすぎる……!! こんな尊い生物がこの世にいるなんて。神に感謝……いや、姫が神か……」
最初は興奮気味だったフィズの声音は徐々に落ち着いていき、最終的には真顔で何かを呟いてた。
「フィズ、なに言ってるの?」
「気にしなくていいですよシャノン様。陛下は疲れてるんです」
「お疲れさまなのね」
「はい、だからどうか陛下を労ってやってくれませんかね」
「もちろん!」
お嫁さんですからね、いつでも旦那さんを労いますよ。
「フィズ、ちょっと休憩する? お昼寝とかどうですか?」
「うん、いいね。お昼寝にしよう」
忙しいだろうけど、フィズはあっさりと受け入れてくれた。これでちょっとでもフィズが癒されてくれるといいんだけど……。
「―――確かにお昼寝だけど……逆じゃないかな……」
予想外だったなぁ、と少し遠い目をする私とは違い、フィズは鼻歌を歌いそうな程ご機嫌だ。
若干拗ねていた先程とは打って変わって、今のフィズは上機嫌だ。
下から見ても絶世の美男ってすごいなぁ……。
私は寝ころびながらほぼ真上にあるフィズの顔を見上げ、そんなことを考えていた。
―――そう、私は今、フィズの太ももに頭を乗せてソファーの上に横になっているのだ。
お昼寝をするフィズを寝かしつけてあげようとしたら、なぜか私がソファーの上に寝かされた。そして、細いけどよく鍛えられた太ももに頭を乗せられたのだ。
疑問符を浮かべる私に気付いているのかいないのか、フィズは「頭ちっちゃい、かる~い」などと言ってニコニコしている。
「……フィズ、おお昼寝だよ?」
「ん? うん、お昼寝。今アダムがブランケットを取りに行ってるからね」
「フィズが寝ないと休まらなくない?」
「ううん、姫が寝てるのを見た方が癒されるからこれでいいんだよ」
「そうなのね」
「うん、そうなのよ」
ポンポンと私の頭を撫でながらフィズが話す。話している声が大分穏やかなので、癒されるというのは本当なんだろう。
どうやら、フィズはこのまま私を寝かせ、自分は仕事をするつもりらしい。
私としてはいつでも寝られるけど、このまま寝ちゃってもいいものなのかと迷う。すると、私が寝そべっているソファーの横までリュカオンがテコテコとやってきた。その口にはアダムが持ってきたであろうブランケットが咥えられており、リュカオンは器用に私のお腹から足元にかけてをブランケットで覆う。
「シャノン、皇帝がいいと言うのだから寝てしまえ。小さくてふわふわで愛くるしいシャノンに膝枕をして寝かせられるだけで元気が出るというものだ」
「急に親バカ出してきたねリュカオン」
「何を言う、お前は世界一かわいいのだから当然だ」
スリッ、と鼻先で頬を擽られる。
リュカオンってば、たま~にとってもデレる時があるよね。
フィズはそこまでの信仰心はないっぽいけど、一応国の信仰対象である神獣の親バカ発言を聞いたら微妙な気持ちにならないかな……?
チラリとフィズを見上げる。
「かわい~、あったか~い。うわ~、ちゃんと生きてるんだね。ほっぺもふわふわだ~」
あ、なんにも聞いてないや。
侍女達が私を愛でまくる時と同じ顔をしてるもん。やっぱりお疲れなのかな。
まあ、されるがままになっているだけでフィズを労うことができるなら儲けものだ。
ぽけーっとした顔で、私はただただ頬を揉まれ続けた。顔を触られるのは嫌いじゃないので何の苦にもならない。むしろ優しく頬を触られるので眠くなってくるくらいだ。
くぁ~っとあくびを一つし、本格的に眠るために鼻先までブランケットに埋もれる。寝ていいって言ってたしね。
じゃあおやすみなさい。
そのまま、私は国の最高権力者を枕にしてお昼寝を決め込んだ。
膝の上で私が寝てたら絶対に仕事なんか捗らないと思ったけど、私が寝た後のフィズの仕事の取り組み様には鬼気迫るものがあったらしい。
寝てただけなのに、アダムに大層感謝されてしまった。