【95】ちゃんと面倒をみるんですよ!
「うん、栄養失調以外は特に問題ないよ。大分痩せてるけど、むしろそれだけ食べていなかったにしては健康なくらいだ」
行き倒れ少年の診察をした後、ルークはそう評した。
「だけど、栄養が足りていない状態だということには変わりないから、しっかりごはんを食べるんだよ。倒れるまでごはんを抜くなんて言語道断だからね?」
「はい。ありがとうございました」
そう言って少年はペコリと頭を下げた。相変わらずの、何を考えているか分からない無表情で。
そんな少年を見てルークが眉尻を下げる。
「う~ん、なんだか心配だなぁ。ちゃんと自分でごはん食べられる?」
「がんばります」
覇気の全く感じられない声で、なんか頑張るとか言ってる。
不思議な生物だなぁ、と少年をジーッと見ていると、少年が私の視線に気付いた。
「なん、ですか……?」
「いやぁ、なんだか不思議な生物だと思って」
「? 皇妃様も、かわいすぎて生きてるのが不思議です」
「おぉぅ」
何の曇りもない目で褒められるとなんだか照れるね。
「リュカオン、褒められちゃったよ」
「うむ、変わったやつだとは思ったが美醜感覚は正常なようだな」
「……なんでリュカオンが誇らしそうなの……?」
嬉しくてリュカオンに話し掛けると、なぜかリュカオンの方がドヤ顔をしていた。
リュカオンは耳をピンと立てて胸を張っている。胸を張っているおかげで胸毛がより一層モフンとしていていいね。
「……かわいい……」
「!」
今呟いたのは私ではない。声の発信源を見れば、少年が無気力な瞳を微かに輝かせてリュカオンを見ていた。
そんな少年を見て、私もパァッと瞳を見開く。
リュカオンのかわいさを理解してくれる人がいるなんて……!
どうも、この国の人は信仰心が強すぎてあまりリュカオンのことをかわいいとは思わないようなのだ。尊い……! とか神々しい! って気持ちが勝っちゃうんだろうね。神獣様のことをかわいいと思うなんて畏れ多い……、みたいな感じの人がほとんどだ。
だからこそ、少年の反応は新鮮だった。
「う、うちのリュカオン、かわいいよね!?」
「? ……はい」
少し首を傾げた後、少年はゆっくりと頷いた。私の圧に負けただけかもしれないけど。
だけど、少年の同意を得られたことに私はご満悦で、腕を組んでうんうんと首を縦に振る。
「うちのリュカオン、世界一かわいいの」
リュカオンに抱き着いて首毛にスリスリと頬ずりをする。すると、リュカオンの尻尾がパタパタと動いた。この動きは嬉しい時の動きだ。
「シャノンよせ、照れるだろう」
「そんな嬉しそうな顔でよせって言われても」
顔はもっと言えって雄弁に語ってるよ。
よしよしとリュカオンの頭を撫でていると、少年の視線を感じた。
「どうしたの?」
「いや……なんでもないです……」
「……」
何そのなんでもありそうな感じ。
よくよく観察してみると、少年の視線が向いているのはリュカオンの頭を撫でる私の手だった。
「……少年も撫でられたいの?」
私の言葉に「んなわけ」という顔をする一同。
だけど―――
「―――撫でられたい、です」
「へ?」
「「「え?」」」
私から一拍遅れて呆けた声を出す一同。
そんな私達の反応が見えているのかいないのか、少年はマイペースに自分の頭を差し出してきた。
……撫でろってことだよね……?
これまでの文脈的にはその筈だ。
私はそろりと、椅子に座っている少年の頭に手を伸ばした。
なでなで。
よしよしと頭を撫でると、少年は目を瞑ってそれを受け入れた。表情に大きな変化はないけど、その表情はどこか心地よさげだ。
おお……!
ワンコ、これは紛れもなくワンコだ。だって少年の犬耳が見えるもん……!
「よ~しよしよし」
「……シャノン、何度も言うがそやつは犬ではないからな?」
「分かってるよ。犬じゃなくてワンコってことね」
「うん、何も分かってないな」
少年の頭を撫でくり回す私を、ルークやオーウェン、クラレンスが生温かい目で見守っていた。
そこで、廊下からてちてちと何かが歩いてくる音が聞こえてきた。
「あ、ごはんの催促かな」
ルークが医務室の入り口の方に歩いて行き、扉を開けるとごはんのお皿を咥えた狐が顔を覗かせた。
「キュッ!?」
覗いた医務室の中のあまりの人の多さに驚いて、狐が咥えていたお皿を落とした。
カランカランと、お皿の落ちた音がやけに耳に飛び込んでくる。
まあ、最近ようやく離宮の使用人に慣れてきたばっかりのところなのに、知らない人が二人もいたらそりゃあ驚くよね。狐は超の付く人見知りだし。
そのことにルークも気付いたらしい。
「ああ、そういえば今日は狐の知らない人が二人もいたね。シャノン様、申し訳ないんですけど狐を宥めてあげてくれます? 僕はまだ狐には触れないので」
「分かった」
私は目を見開いたままカチコチに固まっている狐のもとに歩み寄り、その体を抱き上げ―――ようとして諦めた。
「……狐、太った?」
ものすごく重たいんですけど。
そういえば、毎日見てるから分からなかったけど、フォルムも丸くなったような気が……。今の狐は、狐というよりも狸寄りかもしれない。
それに、狐がごはんの催促をしにここに来るのもおかしいよね。ごはんは毎日自分の部屋でもらってるはずだもん。
となれば、犯人は一人だ。
「……ルーク?」
「えへへ、ごめんなさい。狐と仲良くなりたい一心でつい、その、おやつを……」
「あげちゃったんだね? 私には全てお見通しだよ!」
「随分わかりやすい謎を解く探偵だな」
「リュカオン、細かいことは気にしないの」
せっかく人が探偵気分になってるんだから。もう解く謎は残ってないけど。犯人もほぼ自白しちゃったし。
貧弱な私の腕で持ち上げるには重すぎたので、驚いて毛が逆立った狐の背中をしゃがんで撫でてあげる。
「よ~しよ~し、怖くないよ~」
「キュ」
背中からお尻にかけて撫でてあげれば、狐は少しだけ落ち着いたようだ。逆立った毛が収まっていく。
「―――狐ちゃんを怯えさせちゃったみたいですし、僕達はおいとましましょうかね」
クラレンスが少年に話かけると、少年もコクリと頷いた。
「ありがとうございました」
「いえいえ、ちゃんとごはん食べるんだよ~」
「はい。クラレンス……さんも、運んでくれてありがとうございました」
「どういたしまして。では皇妃様、失礼いたします」
「失礼します」
二人は一礼すると、離宮を後にするために出口のあるこちらに歩いてきた。
二人と入り口にいる私達がすれ違う瞬間―――
「キュ?」
「ん? どうしたの狐」
狐が真ん丸な瞳で二人―――というか、少年のことを見上げる。
そして、少年に向かって飛び付いた。
「キュッ!」
「え!?」
突然のことに私はポカンとするだけだったけど、少年は少しもちっとした狐を難なく受け止めていた。
「こら狐、餓死寸前だった人に飛び付いちゃダメでしょ」
「キュ~……」
「大丈夫ですよ、俺……頑丈なので……」
ペタンとした耳を、狐を抱っこしていない方の手で少年が撫でる。撫でる方は慣れていないのか、ぎこちない手付きだ。
ややぎこちない手付きで頭を撫でられた狐は、まあるい瞳をパァッと輝かせて少年の顔をベロベロと舐め回した。
「うぶっ」
「キュ~ッ!」
「おお、狐ってば大興奮だね」
「極度の人見知りのこやつが珍しいな」
私の隣に並んできたリュカオンがそう言う。
そんな私達のことなど全く意に介さず、狐は少年の顔全体を舐め回す。
「狐、少年はそろそろ帰るんだから離れないと」
引き離そうと狐に手を伸ばすと、ギンッと睨まれた。
おうおう、狐のそんな表情、今まで見たことないよ。シャノンちゃんびっくりしちゃうじゃない。
「ギューッ!!!」
「り、リュカオン、狐がすごい怒ってる」
「どうやらこやつから離れたくないようだな」
「え~、これって帰さないぞってことなの?」
人嫌いのくせに、何がそんなに琴線に触れたんだか。というか狐のそんな鳴き声聞いたことないよ。
「グーッグーッ!!」
「あ、また鳴き声変わった。しかも大分へんてこな鳴き声」
「こんな弱った子をそのまま帰すなんて、どういうつもりだって言ってるみたいだぞ」
「えぇ~? 狐ってばいつの間に父性なんて芽生えてたの」
そんなキャラじゃないでしょうに。
「まあ、狐はイヌ科だからな。同類だと思ってるんじゃないか」
「ああ、なるほど」
「なるほどじゃないですよシャノン様」
我慢できなくなったのか、これまで黙っていたオーウェンからのツッコミが入った。
「キュッ! キュキュッ!!」
狐が少年にヒシと抱きつき、こちらに向けてなにかを訴えてくる。
「キュ~、キュキュッ!」
「そやつを離宮に置けと言ってるようだぞ。自分には弱っている同族を見捨てることなどできないと」
「狐と少年は別に同族じゃないからね?」
私が言うのもなんだけど。
そこで、ルークが一つの案を口にした。
「その少年が回復するまで、一時的に離宮預かりってことにしちゃえばいいんじゃないですか? ぼんやりしてそうで心配ですし。もちろん、シャノン様がよければですけど」
「キュ!」
お前、ナイスアイデアだ! と言わんばかりの表情で狐がルークを見る。
「狐が気に入ってるくらいだから悪い子じゃないだろうし、私はいいけど。少年はどう?」
「俺はなんでも……」
本当になんでもよさそうな顔で少年が言う。私がこれまで出逢ってきた人間の中で、されるがままって言葉が一番似合う人かもしれない。
「じゃあ、とりあえず彼の上司には僕の方から伝えておきますね」
「ありがとうクラレンス。後で私の方からもフィズに伝えておくね」
「はい。では、僕はこれで失礼します」
一礼すると、クラレンスは颯爽と帰っていった。
そういえば、クラレンスはお仕事中だもんね。付き合わせて悪いことしちゃったな。
私がクラレンスを見送っている間、リュカオンが狐に向けて何やら語り掛けていた。
「いいか狐、そなたが言い出したのだから、そなたが面倒をみるのだぞ」
「キュッ!」
やる気満々の狐がいいお返事をする。
「おやつも半分こだ」
「キュッ!?」
ショックを受けたような顔になった後、狐がそろりと少年を見遣る。
「これ、不満そうな顔をするでない。そなたは最近太ってきたから、ちょうどいい機会だ」
「キュ~ン」
ぺしょんとなる狐、かわいい。
結局、狐は自分のおやつよりも少年を保護することを選んだようだ。
いい子いい子。
―――なにはともあれ、一時的にではあるけど離宮に新たな仲間が加わりました。





