【88】お姫様が遊びにきた side教皇
シャノンちゃんと神獣様が遊びに来てくれた。
突然のことだけど、この二人ならいつでも歓迎だ。むしろ毎日来てくれてもいい。
「おじ様お久しぶりです!」
「お久しぶりですね。会えて嬉しいですよ」
本当に。心の底から。
というかうちの姪かわいすぎじゃないですか? 会う度にかわいさに磨きがかかってるんですけど。素直に「おじ様」って呼んでくれるのとか尊すぎ。小さい頃兄さん兄さんって呼んで後をついてきた弟を思い出すなぁ。
はぁ、養いたい。
どうやら、かわいいかわいい姪っ子は僕にお願い事があるらしい。
ふんふん、なんだい? 伯父様に言ってごらん?
時間もお金もあるので大抵のお願いごとは叶えてあげられる。なにせ信仰対象なので、生きてるだけでお金が転がり込んでくるのだ。
そう言うとシャノンちゃんから尊敬の眼差しが向けられた。尊敬されるのは嬉しい。嬉しいけれど、もっとかっこいいところで尊敬されたかったのが伯父心だ。
聞いてみると、シャノンちゃんはどうやら反射神経を鍛えたいらしい。なので、とりあえず運動のできる部屋に移動する。この建物は外観よりも大分広いので運動するための部屋なんかもしっかりとあるのだ。というか運動できないことで弟のストレスが溜まらないように、僕が命じて作らせた。
他にもこの神聖図書館には様々な用途の部屋がある。むしろプライベートスペースの方がメインの図書館よりも広いかもしれない。
昔はよかれと思っていろんな部屋を作ったけれど、一人となった今は部屋が広い分だけ寂しさが募る。いい年してなにが寂しいだよと自分でも思うが、寂しいものは仕方がない。
今日はシャノンちゃんと神獣様が遊びに来てくれたから、いつもよりも建物の中が賑やかだ。うん、嬉しいね。
お金の無心でもいいからもっと頻繁に来てほしいものだ。かわいい姪のおねだりならどんなものでも聞ける自信がある。
―――と、思っていたけれど、うちのかわいいお姫様は中々の無理難題を持ってきてくれたらしい。
「ん」、と神獣様にゴムボールで満たされたバケツを手渡されたので、嫌な予感をひしひしと感じつつ、使い方を聞いてみる。
すると、返ってきたのは予想通りの答えだった。
「シャノンに向けてゴムボールを投げてそれをシャノンが避ける」
なんてことないように言い放つ神獣様。
僕に……! シャノンちゃんに向けて物を投げろと……!?
思わず絶句した。
いやいやシャノンちゃん、なんで君も隣で頷いているんだい? もしかして君がこの非道な提案の発案者なのかな?
真面目な顔をして頷いているあたり、きっとそうなのだろう。
……君、自分の愛くるしさ分かってる? いや分かってないよね。分かってたらこんな非道な提案するわけないもん。
こんなぽやっとした生物に物を投げつけるなんて、想像しただけで心が痛いんですけど……。
二人の中では決定事項になっているっぽいけど、一応抵抗してみよう。
「こんなに愛くるしい生物に物を投げるなんて無理なんですけど」
「なに、シャノンが避けるための訓練だから問題ないだろう。どうせ当たらぬのだから」
なにを言ってくれちゃってるんでしょうこの神獣様は。
常にふわふわぽやぽやしたシャノンちゃんにボールなんか避けられるわけないのに。
もちろんそんなことを神獣様が分かっていないわけもなく、ただ僕にボールを投げる役目を押し付けたいがためだけのセリフだったらしい。
おいふざけんな。
大体、不本意だけどシャノンちゃんには何でも言うことを聞いてくれそうな旦那が……いや、彼はなしだな。彼が上手に手加減を出来ている様子が想像できない。
下手したらかわいい姪の頭が吹っ飛ぶ。それだけは避けねば。
「―――コホン、とにかく、僕は嫌……」
「おじ様」
「……」
見てはいけないと思いつつも声のした方を向くと、そこには両手を組んでお願いポーズをしたシャノンちゃん。
「おじ様、お願い」
澄んだ紫の瞳でこちらをジッと見つめるシャノンちゃん。
弟によく似たその眼差しに、僕が逆らうことなどできるわけがなかった……。
―――反射神経特訓の結果はまあ、想像通りだった。
「あうっ」
「ぺひょっ」
「ぷぴっ」
ことごとくボールにヒットしていくシャノンちゃん。肩の関節が外れてるんじゃないかってくらい弱い力で投げているからシャノンちゃんにダメージはないけど、弱いものいじめをしているようで僕の心が痛む。
大分身内贔屓の激しい僕から見ても、シャノンちゃんの反射神経は絶望的だった。
だけど、シャノンちゃんは諦めない。さすが弟の子だ。
バケツの中一杯に入っていたボールが全てなくなるまで、シャノンちゃんはめげなかった。ボールが全てなくなるまでというか、バケツの中が空っぽになってももう一度拾い集めて続けようとしていた。
そこで僕の心がぽっきりと折れる。
「もう無理です。これ以上シャノンちゃんにボールを当て続けることなんてできません。心が死にます」
死にますと言ったけれど、心なんてとっくに死んでいた。
恥も外聞もなく床に手をついて項垂れる僕を見るシャノンちゃんの表情は、在りし日の弟によく似ていた。
項垂れる僕の肩を神獣様が前脚でポンと叩く。
「うむ、そなたはよく頑張った。我にもできぬことを成し遂げたのだ。誇れ、そしてゆっくり休むがいい」
「神獣様……」
労いの言葉は受け取りますけど、僕にボールを投げる係を押し付けたのは忘れませんよ。
そういえば、シャノンちゃんはどうして急に反射神経を鍛えようだなんて思ったんでしょう。
「―――でもシャノンちゃん、どうして急に反射神経を鍛えようと思ったんですか?」
「それはねぇ……」
そう言った後、シャノンちゃんは少し黙り込んだ。
首を傾げて宙を見るシャノンちゃんは、あれ? なんでだっけ? と思っているのが丸分かりだ。
だが、幸いにもすぐに思い出したようだ。
「そうだ、夢で包丁を持ったお化けに追いかけ回される夢を見たから、お化けに負けないくらい強くなりたいと思ったの」
うんうん、と頷きながらそう言うシャノンちゃん。
お化けって……! なにこのかわいい生物。
僕は思わず両手で顔を覆った。
「うぅ、かわいい。くだらない動機だけどお化けに負けないように鍛えようとするシャノンちゃんかわいい……!」
お化けくらい僕と神獣様で何体でも倒してあげるよ。
というか、常に隣に最強の神獣様がいるにも関わらずお化けに怯えることなんかないよね。ちょっとズレるところもかわいいなぁ。
その後は向いていない反射神経の訓練を諦め、シャノンちゃんの魔法の練習に付き合った。
うん、最初っからこっちをすべきでしたね。
魔法の練習の過程で、はしゃぎすぎてピエロのお面なんかを引っ張り出し、シャノンちゃんを怯えさせちゃったのは今日の反省だ。
二人が帰ると、辺りは静寂に包まれた。
つい先程まで賑やかだったせいで、静寂が余計耳に突き刺さる。
はぁ、もっと姪と遊びたい。
どうしたらもっと遊びに来てくれるだろうか……。
そんなことを考えながら自室に戻ると、部下からの報告が届いていた。
魔道具によって報告内容が転記された紙を手に取る。内容は、分不相応にもうちの姪に喧嘩を売ってくれた令嬢についての報告だ。
なんでも、占いにハマり始めた頃から少しずつ様子がおかしくなったようだけど、精神系の魔法が使われた痕跡はないらしい。
まさかと思い、念のため教会の方でも検査をしたが、魔法が使用された痕跡はなかったと、報告書には書いてあった。
……となると、可能性としては余程の使い手が巧妙に魔法の痕跡を隠したか、はたまた本当に魔法が使われていないかの二つだ。
まあ、前者の可能性は限りなく低い。城と教会の精鋭がそれぞれ調べても痕跡が見つからないなど、それこそ神獣レベルでないと不可能だ。
令嬢本人が誰かに操られていた演技をしている可能性もなくはないけど、報告書を見る限りその可能性もほとんどなさそうだ。
だが、そうなると令嬢は一切魔法を使わず操られたことになる。そんなことが可能なのか……?
「……催眠術とか? ……フッ、まさかね……」
自分の呟きを鼻で笑う。
そしてその考えを忘れようとし……すんでのところで思い直した。
「……一応調べておくか」
自分のことならばいいが、これは何よりも大切なシャノンちゃんに関わることだ。
あの子を害する可能性のあるものは少しでも潰しておきたい。
今は亡き弟の顔を思い浮かべる。
「―――お前の忘れ形見は、僕が守るから」
幸いにも、自由にできる時間はいくらでもある。
「まずは催眠術についての資料を集めようかな」
ここは図書館、探せば催眠術について書いてある本くらいあるだろう。
そして僕は最愛の姪のため、夜の図書館へと足を踏み出した―――





