【85】心のお風邪なんだね……!
謂れのない難癖に苛立ちバシバシと白い床を叩くリュカオンの尻尾。
むぎゅっと掴んでもいいかな。
ちらりとオーウェンを見上げる。するとオーウェンも私がなにをしようとしているか分かったんだろう、無言で首を振られた。
オーウェンも段々私のことが分かってきたね。
うちの騎士様がダメというので尻尾に伸びかけていた手をひょこっと引っ込める。素直なシャノンちゃんってばなんていい子なんだろう。
「妃殿下、私の話を聞いておられますか?」
リュカオンの苛つきの原因―――金髪のご令嬢が目を吊り上げて私を見下ろしてくる。
「ん~」
話は聞いてるけど、私にどうしろと?
皇族を護るって使命もある騎士達に近付くなってこと?
令嬢の要求していることがいまいちよく分からず、コテンコテンと左右に首を傾げる。すると金髪の令嬢の後ろで居心地悪そうにしていた他の令嬢達が薄っすらと頬を染めた。そして何やらコソコソと囁き出す。
「妃殿下を間近で拝見するのは初めてですが、噂よりも断然お可愛らしい方ですわね」
「ええ、わたくしも妃殿下のお噂は誇張されていると思っていました。こんなに幼気でかわいがりたくなるお方だなんて……」
「色目を使うの意味が分からず首をかしげる皇妃様……撫でくり回したいですわ……」
なにやらうっとり? した顔でこっちを見てくる人もいるけど、みんな何を話してるんだろう……。
コソコソと話している令嬢達をジッと見つめる。
「クリクリのおめめがこっちを見てますわ! ぎゃんかわ!」
「あ、ぱちぱち瞬きしてます」
「持って帰ってはダメかしら」
「……」
私の耳では聞こえないけど、耳のいいリュカオンは令嬢達が何を話しているか聞き取れているみたい。ピクピクと耳を動かしているリュカオンはどこか遠い目をしている。
そしてリュカオンは私を見上げて言う。
「シャノン、あまり可愛いことをするな。持ち帰られてしまうぞ」
「なにもしてないけど」
とんだ濡れ衣だ。
「貴女方、ちょっと静かにしてくださる?」
金髪の令嬢が後ろの子達を睨み付ける。すると後ろの令嬢達はスンと静まり返った。
後ろの子達を黙らせると、金髪の令嬢は私に向き直る。
「妃殿下、私達にとって騎士様方は憧れの存在です。なので私達は抜け駆けをしないように決まりを作り、それを皆さんに守っていただいております」
「……なるほど? つまり私にもその決まりに従ってって言いたいんだね?」
「ええ、察しがよくて助かりますわ」
ニッコリと笑う令嬢。
いや、まだいいよって言ってないけどね?
もう自分の要求を私が呑んだものだと思っているらしい。せっかちさんだな。
「で、その決まりってなに?」
「はい、一つ、一人の時に騎士様方と話すこと、また自分から話かけることを禁ずる。一つ、公式で定められた日以外で騎士様方の訓練を見学に来ることを禁ずる。一つ、個人的な差し入れを禁ずる。一つ、―――」
それから令嬢は文書を読み上げるようにつらつらと決まり事を述べていった。
「―――最後に、見学可能日以外では極力騎士様に会わないように気を付けること。これで全部ですわ。覚えられまして?」
彼女の中で私がこの勝手な決まりに従うのは既に決定事項らしく、そんなことを言ってくる。
皇妃に提示するにはかなり無茶な決まり事だ。最後のとか、見学の日以外会えないんだったら護衛の任務の時はどうするの? って話だし。
後ろの令嬢達なんか、もう顔が真っ青だよ。
そして、勇気ある令嬢が一人声を上げた。
「えっと、マデリーン様、皇妃様相手にわたくし達が勝手に決めたルールを押し付けるというのは……」
「黙りなさい。伴侶のいる身で他の男性にも秋波を送るのが悪いわ。貴女達もそう思うでしょ?」
マデリーンと呼ばれた彼女は当然のように同意が得られると思っていたようだけど、返ってきた反応は彼女にとっては分の悪いものばかりだった。
「いえ……別にそこまでは……。皇妃様が騎士様方にお守りされるのは当然ですし」
「ええ、むしろ華奢で愛らしい方ならば常時十人くらいの騎士様に囲んで護っていただきたいですわ」
「というか、最近マデリーン様おかしいですよ? 前はこんな無茶苦茶言う方ではなかったじゃありませんか」
少なくとも皇妃殿下相手にこんな失礼な物言いをされる方ではなかったのに……と誰かが呟く。
ふむ? つまり本来はこんな性格じゃないってことか。
と、いうことは―――
「―――心の風邪なんだね?」
「へ?」
「心がお風邪ひいてるんだよ。今日はもう帰った方がいいと思う。あったかくして寝るんだよ?」
うんうん、調子が悪かったんだね。素面でこんなこと言うなんておかしいもん。
「頭の調子がおかしいなら仕方ないよ。さっきのとち狂った提案は聞かなかったことにするから今日はもう帰りな。ほらほら」
とち狂ったというワードに「シャノン少し口が悪いぞ」とリュカオンがぼやくけど、聞かなかったフリしちゃお。
「なっ―――!」
「そ、そうですわねマデリーン様、調子が悪いようですし今日はもうお帰りになった方がいいかと!!」
「ですです、あ、ちょうどあそこにマデリーン様のお父様が! わたくし呼んで参りますわ!」
ムカッとした様子のマデリーンの言葉を私の意を汲んだ令嬢達が遮る。
そして偶然通りかかったらしいマデリーンのお父様を呼びに一人の令嬢が走り出した。意外にも、そこまで嫌われていないらしい。
「……シャノン様、優し過ぎます。あんな無礼な物言いをされたのに庇って差し上げるなんて」
オーウェンがボソリと呟く。
護衛中にオーウェンが私情を挟むなんて珍しい。思わずぱちくりと見上げてしまう。
すると、マデリーンのお父様が血相を変えて走ってきた。呼びに行った令嬢から事のあらましを聞いたらしい。
装いからしても結構高位の貴族だろうに、娘のために走ってきてくれるなんていいお父さんだ。
明らかに顔色の悪い壮年の男性は私達の前に来るや否や勢いよく頭を下げた。
「神獣様、皇妃殿下、この度は……」
「謝罪は必要ない。それより、そなたの娘はどうやら心が風邪をひいているようだ。なあ、シャノン?」
「うん、ちょっとメンタルの方の調子がよくないみたいだから家でゆっくり療養させてあげて?」
「っ承知しました。ありがとうございます……!」
流石貴族、私達の意図を一瞬で汲むと素早くマデリーンを連れて帰った。
そして残された私達。
すると、一人の令嬢がおずおずと前に出てきた。
「妃殿下、本当に申し訳ございません。マデリーン様をお止めできず……」
「謝らないでいいよ。身分とか元々の関係とかもあるだろうし、口を挟むのは難しかったでしょう。彼女に同調しないでくれただけで十分だよ」
そう言ってニッコリと笑ってみせる。
「うっ、天使……!」
「性格までいいなんて」
「眩しいですわ」
何やら興奮したようにボソボソと呟き合う令嬢達。
「―――ところで、あの娘は前はどんな感じだったんだ?」
リュカオンが令嬢達に聞く。
「神獣様! ……ええと、確かに少し我儘で考えの足りないところはありましたけど、礼節はわきまえていましたよ。ねぇ?」
「ええ、抜け駆けには厳しいですけれど、あんなに理不尽でも、あからさまに人を貶めるような方でもありませんでした」
どうやら周りの令嬢達もマデリーンの態度には内心驚いていたようだ。
そこで、一人の令嬢が何かを思い出したように口を開く。
「……そういえば、占いの話をするようになってからマデリーン様の様子が変わったような……気のせいかもしれませんけれど」
「うらない……」
……はまっちゃったのか。変な占いにはまっちゃったのか。
今日は皇妃様と喧嘩をするといいことがあるとでも言われたのかな。
まあなんにせよ、今日はもう訓練の見学という感じでもなくなってしまったので私達は帰路についた。
私を背中に乗せながら歩くリュカオンがぼやく。
「まったく、シャノンは優し過ぎる。あの無礼な発言を調子が悪いせいにして不問にしてやるなんて」
「だって、普段はあんな感じじゃないみたいだし」
それに、やっぱり普通の様子じゃなかった。
私が悪者だと誰かに言い聞かされていたような不自然さがあった気がする。でも、お父様はまともそうだったし。……じゃあ、一体誰だろう……?
***
夕暮れ時、一人の人物がとある屋敷に向かっていた。
「―――全く、頭がいいって噂だったのに勉強ができるだけの馬鹿だったな」
人選を間違えたとその人物は心の中でぼやく。
「おかげで作戦は失敗だ」
そして、その者は目的の部屋の外に辿り着いた。
外套のフードを深く被り直し、逃亡防止につけられた鉄格子の隙間からコンコンと二度、窓を叩く。すると、内側からすぐに窓が開かれてマデリーンが顔を覗かせた。
「占い師様! お待ちしておりました!」
占い師と呼ばれた人物がコクリと頷くと、マデリーンは嬉々として話し出す。
「聞いてください! 占い師様の言う通り、あの浮気者の皇妃を懲らしめようと思ったのです。ですが途中でお父様に連れ帰られて反省するまでこの部屋にいろと閉じ込められてしまいました」
「……」
「ですが必ず約束は果たしてみせます。だから占い師様も約束を守ってくださいましね」
「……」
「占い師様……?」
自分が話しているのに何の反応も見せない占い師にマデリーンは首を傾げる。
それからややあって、占い師が口を開いた。
「残念ですが、貴女とはここまでです。私のことは忘れてください」
「え?」
そう言って占い師がマデリーンの額に手を当てた瞬間、マデリーンの意識はプツリと途切れた。
「―――リーン、マデリーン!」
「!」
父の声でマデリーンはハッと目を覚ました。
「私……」
周囲を見渡すと、薄暗い部屋に父の姿があった。窓は閉まっており、どうやら自分はうたた寝をしていたようだとマデリーンは思う。
「まったく、妃殿下に無礼を働いておいて反省もせず何を寝こけているんだ。あのお方が慈悲深くなければお前は今頃牢の中だぞ」
「……だって、妃殿下は浮気者だって言われたんだもの」
「誰にだ?」
「それは―――」
……あれ? 誰にだっけ。
誰にそう言われたのか、マデリーンには全く思い出せなかった。誰かに言われた気はする、だが、それが誰だったのか、名前はおろか、性別や姿ですらさっぱり思い出せない。
だが、先程の皇妃とのやり取りは鮮明に思い出せた。
マデリーンは、自分が皇妃に吐いてしまった暴言とも言える発言を思い出してサァッと血の気を引かせた。
「……私、あんな小さな子に酷い暴言を吐いてしまったわ……」
先程とは一転、酷い後悔に苛まれたマデリーンは頭を抱えてその場にうずくまった。
翌日、シャノンのもとに一通の手紙が届いた。マデリーンからの謝罪の手紙だ。
「お、どうやら心のお風邪が治ったみたいだよ。よかったねぇ」
「……昨日のと同一人物が書いたとは思えぬ程まともな文だな」
手紙をシャノンと一緒に覗き込んでいたリュカオンが言う。
「だね。一応フィズに報告しておこうかな」
「もうしてある」
「お、お仕事が早い」
シャノンはマデリーンの変わりように違和感を覚えてフィズに報告をすることを提案した。しかし、リュカオンはそんなものがなくとも、自分のかわいいシャノンが悪口を言われたということを愚痴りたくてフィズに報告を入れていたのだった。
そんなことは露知らず、頼りになる契約獣にぽすんと寄り掛かって再び手紙に目を通すシャノン。
「曖昧な記憶、急な性格の変化……きなの臭いがぷんぷんするねぇ」
「……きな臭いと言いたいのか?」
「さっすがリュカオン、私のことよく分かってる」
むぎゅっとリュカオンに抱きつくシャノン。
様子のおかしい令嬢が罰を受けないように大人顔負けの機転を利かせたと思えば、こんな頓珍漢なことも言う。そんなシャノンがリュカオンは愛おしくて仕方がない。
「シャノン、昼寝するか」
「まだ午前中だよ?」
そうは言いつつもいそいそと寝る体勢に入るシャノンに、リュカオンの口元はついほころんでしまう。
―――この子にどうか、平穏な日々を。
我が子同然のシャノンを腹の下に抱き込みながら、リュカオンはそう願わずにはいられなかった。