【77】差し入れを持って行っちゃうよ!
朝目が覚めると、私はしっかりと銀色の毛玉さんに抱き着いていた。もちろん、この温かい毛玉さんは私が契約している神獣、リュカオンだ。
故郷からこの帝国に向かう時、魔獣に襲われて死にかけていた私を助けてくれたリュカオン。離宮から使用人がいなくなった時も、セレスの故郷に行った時も、ヴィラ・ユベールと対峙した時も傍にいてくれた、頼りにしかならない神獣さんだ。
思えば、この冬の間にいろんなことがあったなぁ。
そんなことを思いながら体を起こす。寝起きがいいのは私の長所だ。
「よいしょっと」
季節はすっかり春になり、暖かくなってきた分お布団は私を引き留めてこない。
睡眠時間も十分なので寝起きだけど目はパッチリだ。ちょっとでも睡眠時間が短くなりそうだと過保護者ズに強制的に寝かされるんだよね。睡眠不足がダイレクトに体調に響くタイプだからみんな心配してくれてるんだろう。
ピョコンと私がベッドから下りたタイミングで部屋の扉がノックされた。
「ど~ぞ~」
返事をすると私の侍女、セレスが入って来る。朝にも関わらずセレスの髪の毛はキッチリ纏められてるし侍女服の着こなしも完璧だ。
侍女の仕事は私が起きるのよりも早く始まり、私が寝た後に終わる。大変な仕事だけど、私の祖国からラナとアリアが来てくれたことでセレスも定期的にお休みが取れるようになった。休日でも進んで私のお世話をしようとしちゃうのが困りものだけど。
「シャノン様おはようございます。今日もピンクパールのようにかわいらしいですね」
「おはようセレス」
呼吸をするように褒め言葉が出てくるからシャノンちゃんビックリしちゃう。
洗面器に張ったぬるま湯で顔を洗い、綿あめくらい柔らかいタオルで顔を拭けばスッキリだ。
服を着替え、セレスに髪の毛を整えてもらっているとようやくリュカオンが起き出した。寝ぼけ眼のリュカオンの銀色の毛並みが寝グセで乱れてる。
まだいまいち眠気が覚め切ってなさそうなリュカオンがのっそのっそと椅子に座っている私の足元に向かってくる。
「おはようリュカオン」
「うむ、おはよう」
「リュカオンまだ眠そうだね」
「ああ、神獣界ではこんな規則正しい生活はしてなかったからな。寝たい時に寝て起きたい時に起きてた」
「いい生活だね」
そんな話をしていると、ウラノスから来てくれた侍女であるラナが朝のミルクティーを持ってきてくれた。私の舌に合わせた、大分ミルクが多めのティーだ。
ほぼミルクのミルクティーを一口飲んで一息吐く。
なんて穏やかな暮らしなんだろう。
この国に来てからは怒涛の展開だったからなぁ。
モーニングティーを飲み、契約獣を撫で、まったりとした朝を過ごす。
……なんか悪いことしてる気分。
なんだこの罪悪感。皇妃としては正しい生活をしてる筈なのになんかスッキリしない。
あれか、この国に来てからずっと何かしら活動してたから、この優雅な生活に体が順応してないのかもしれない。
「……」
「シャノン様? どうかされましたか? ミルクティーが熱かったですか?」
「ううん、ちょうどいい温度だよ。なんか、こんな優雅な生活しててもいいのかなって思っちゃって」
「まあ、シャノン様ってばなんて謙虚なんでしょう」
ラナが感激したようにそう言う。
別に、このくらい謙虚でもなんでもないと思うけど……。
まあ褒められるのは嫌じゃないから何も言わない。
「あ、じゃあ陛下に何か差し入れをしに行くのはいかがですか? シャノン様のお顔を見たら忙しい陛下も癒されるでしょうし」
妙案だと言わんばかりにセレスが言う。
「差し入れ……でも勝手に王城に入ってもいいの?」
「シャノン様は皇妃様ですよ!? いわば王城は自宅なのですからシャノン様が王城に入ってはいけない道理がありません!」
私の手を取って熱弁してくるセレス。
「そ、そうかな」
「そうです! そもそも、変装しないと王城に入れなかった今までがおかしかったんですよ!!」
「う、うん、じゃあフィズに差し入れしに行こうかな」
「はいっ」
そう言うとセレスが嬉しそうに頷いた。
「では陛下に持っていくものを準備しますね」
「ありがとう」
そう言ってセレスは退室していった。
その後、朝食を食べて身支度を整える。今日の髪型はハーフアップだ。
薄紫色のドレスの裾をヒラヒラと揺らしながら正面玄関まで歩いていく。もちろん、隣にはリュカオンがいる。
「護衛には兄さんがついて行きますからね」
「護衛!?」
なんと、ついに私に護衛がつくのか。
そっか、ユベール家が潰れた今、オーウェン達はもう引きこもってる理由がないもんね。
騎士服に身を包んで正面玄関で待っていたオーウェンは、どこか嬉しそうな、誇らしげな顔をしていた。あんまり表情が動かないオーウェンが珍しい。
「じゃあ行ってくるね」
「はい、先触れは出しておきましたし、陛下の執務室までの道はオーウェン兄さんが分かりますので」
「分かった」
差し入れのお菓子が入った籠をセレスから受け取れば準備は万端だ。
セレス達に手を振り、私とリュカオン、そしてオーウェンは離宮を出た。私の体力のなさは相変わらずなので、王城まではリュカオンに乗せてもらう。
「よし、行こ~!」
「うむ」
「はい」
スタスタと歩くリュカオンに揺られながら思う。そういえば、色々と片付いてから王城に行くのは初めてじゃないかな?
そして、私達は正面から堂々と王城に入った。
……なんか、逆に悪いことしてる気分。
もうちょっと騒がれたりなんなりするかと思ったけど、そこはさすが王城務めと言うべきか、少し視線は向けられるものの特に騒がれたりはしなかった。
それはそれで何だか寂しいね。
階段を上り、やたらと天井が高く、横幅の広い廊下を進むを繰り返すと、フィズの執務室に辿り着いた。皇帝の執務室らしく、大きくて重厚な扉だ。
「ここはシャノンが呼びかけた方がいいんじゃないか?」
「そうだね」
よいしょっとリュカオンから下り、扉をノックする。
「フィズ、こんにちは。シャノンです」
バンッ!
シャノンです、と言い終わると同時に扉が開かれた。
澄み切った水色の瞳と目が合う。
「いらっしゃい姫」
脇に手を差し込まれ、ひょいっと持ち上げられた。
「あ、神獣様と騎士君もいらっしゃい」
「我らはついでか」
「俺はついででもいいですけどね」
半眼になったリュカオンにオーウェンが言う。そんな二人から視線をフィズの方に移した。
「フィズ、お仕事お疲れ様。差し入れを持ってきたから、よかったら食べて」
「ありがとう姫。それじゃあお茶の時間にしようか。アダム、紅茶を淹れてくれ」
「へーへー」
おざなりに返事をしてアダムが紅茶を淹れに行く。そのことに私は違和感を覚えた。
「? どうしてフィズの側近のアダムがお茶を淹れに行くの? アダムの仕事じゃないよね?」
私の疑問には、隣の部屋からお湯と茶葉を持ってきたアダムが答えてくれた。
「ああ、色々と人材を整理したせいで今王城は人手不足でね。これくらいは自分でやらないと。……それに、陛下が城内にスパイが混ざってる気がするってうるさくてね。一応警戒するフリをして陛下を安心させてあげてるんですよ」
「本人の前でそういうこと言うんじゃないよ」
私を抱っこしたままフィズがぼやく。
「フィズ、スパイが潜入してる気がするって、どうしてそう思うの?」
「う~ん、なんとなくというか、野生の勘? 嫌な予感がするんだよね。こいつらは全く取り合ってくれないんだけど」
いつも通りの軽い口調でフィズが言う。
「そりゃそうでしょ。何の根拠もないのに勘だけでスパイがいそうって言われても」
「ん~、まあそうなんだけどね。でも、他国の間者が潜入するとしたら今だと思わない? 王城の使用人を大量に補充してるんだし」
「そう思って審査は慎重にやってますよ」
アダムがカップに紅茶を注ぎながら言う。意外と慣れた手付きだね。
そして、アダムがチラリとこちらを見た。
「ほら、陛下が脅かすからシャノン様が不安そうな顔をしてますよ」
「え!? ごめん姫。そうだよね、間者なんて聞いたら怖いよね」
「ううん、それは大丈夫。リュカオンもオーウェンもいるし」
私も王族だし、間者って言葉を聞いたくらいじゃ怖がったりしない。
フィズは私のことをとんでもなく繊細な心の持ち主だと思っているのか、かなり過保護だ。
「陛下ってば、守るものができたせいで過敏になってるんですよ」
アダムがウインクをして私に言う。守るものって……私か。
「ふん、鈍感な奴らはこれだから」
「陛下が過敏になり過ぎてるんですよ。今回もシャノン様に負担がかからないよう、事前に王城勤めの者達にシャノン様を見かけても騒がないように通達してたんですよ?」
呆れ顔のアダムがテーブルに紅茶の入ったカップをセットしながらそうぼやく。きっとその命令を伝達したのはアダムだったんだろうな。
にしても、神獣であるリュカオンが一緒なのに全く騒がれないと思ったらそんな通達がされてたんだね。おかげでここに来るまではスムーズだったけど。
「お前何言ってるの? 人混みに揉まれたりなんかしたら姫が疲れて寝込んじゃうよ」
……うん、確かにフィズはちょっと過敏過ぎるかもしれない。
いつもニコニコしてるフィズが真顔だし、多分本気で言ってるんだろう。もはやツッコむ気力もないのか、アダムは苦笑いで黙々とお茶の準備をしていく。
準備ができると、リュカオンがソファーに飛び乗った。
「ほれ、そなたらも席に着け。茶は熱いうちに飲むのがよいぞ」
「は~い」
フィズの腕からズリ落ちるように下りる。ひょいっと身軽に下りられるような運動神経は私にはないからね。
そして私はテコテコと歩き、リュカオンの隣に腰かけた。フィズも私達の対面のソファーに腰掛ける。
「にしても、姫が来てくれるなんて嬉しいなぁ。姫なら先触れもいらないから好きな時に来てね」
「うん、ありがとう。あ、でもそんな頻繁に来てもいいの?」
「もちろん。ここはもう姫の城でもあるんだから。あ、姫が来てくれるなら廊下全部に絨毯を敷こうか。姫が転んでも大丈夫なように」
「フィズは私のことを歩き始めたばかりの赤ちゃんだと思ってるの?」
思わず怪訝な顔になっちゃった。
「ほら、この人、シャノン様のことになるとちょっとおかしいんですよ」
アダムも呆れ顔でフィズの隣に腰掛ける。
確かにちょっと過敏かもしれないね。
「……まあ、シャノンの体の強度を考えるとそれくらいしてもいいやもしれぬな……」
「こっちもか」
リュカオンが真剣な顔で何やら考え込んでるかと思えば、本気で王城の廊下全てに絨毯を敷くことを考えていたらしい。
そういえば、この狼さんも大概過保護だったね。
「そんなのお金がもったいないからいいよ。それに私の行動範囲はそんな広くないし。あっちこっちをうろうろする体力ないもん」
そう言うと、この場にいる私以外の全員が「ああ……」という顔になった。
私の貧弱さを心得てくれてて何よりだよ。
そして、私の体力がなさ過ぎたおかげでなんとか王城の廊下全面絨毯化計画は回避することができた。