【73】お、お兄ちゃん……?
肖像画を描いてもらうことについての話が一段落すると、フィズが一つ咳払いをして話し始めた。
「―――さて、そろそろ本題に入ろうか。今日は姫に諸々の報告をしに来たんだ」
「おお、やっと私も脱・蚊帳の外ができるんだね」
「その通りだよ」
フィズがコクリと頷く。
フィズは普通の反応だったけど、側近さん―――アダムは面食らった顔をしていた。
「皇妃様……ストレートですね……」
「それがシャノンのいいところだ」
「えへへ」
どうやら、貴族社会特有のオブラートに包みまくった言い回しに慣れ切ったアダムからすると私の話し方は新鮮らしい。
それもそうか、私も離宮に閉じこもってなきゃ貴族社会に揉まれまくってる立場だもんね。これでも一応生粋のお姫様で現在は皇妃ですし。
まあ、育ち方が若干特殊だったからこんなんになっちゃってるけど。
だけど、フィズはニコニコと何度も頷いている。
「うんうん、素直なのは姫の長所だよね。自分の欲望に素直なのが短所の奴らに姫を見せてやりたいよ。まあ、そんな奴らは全員追い出しちゃったからもう姫の目の届く場所にはいないんだけど」
「追い出しちゃったの」
「うん。不要な奴らを追い出したら王城内の人員がスッカスカになっちゃったよ。それでも仕事は以前よりもスムーズに回ってるんだけどね」
ユベール家の権力を笠に着て幅を利かせてた人達がいなくなったから仕事がしやすくなったのか。
「それはいいことだね」
「うん、ただ今のままじゃ一人一人の負担が大きすぎるから優秀な人材を補充しなきゃ。王城内はまだてんやわんやだし、落ち着くのはもうちょっと先かな」
「そうなんだ。フィズも大分忙しいだろうけど、体壊さないでね?」
フィズの体力があるのは知ってるけど、それでも心配……。
そして、フィズを心配する私にアダムが言う。
「大丈夫ですよ皇妃様。この人がそう簡単に体なんて壊すはずありません。辺境の森で一週間不眠不休で戦ってもニッコニコしてた化け物ですから」
「あっはっは、たったの一日でバテる君達が貧弱なんだよ」
「んなわけないでしょう」
「私もそれは違うと思う」
死んだ目で言うアダムに私も同意した。
たぶん丸一日戦い続けたら体力が尽きる人がほとんどだと思う。私なんて最初の一時間で瀕死になる自信があるもん。いや、むしろ一時間ももたないかもしれない。
「ほんと、顔がよくなかったらこの体力おばけの下からすぐに逃げ出してますよ」
「フィズの顔がいいって理由だけで仕え続けてるアダムも私はすごいと思うよ」
本当にそれだけの理由でフィズの側近をやってそうなアダムも中々に変わってるんじゃないかと思う。本人は自分のことを常識人だと思い込んでそうだけど。
むしろ変わり者同士お似合いの主従なんじゃないかな。
「そうでしょうか。ハゲた親父の顔を毎日見るよりもこの完成された美貌を毎日拝んだ方がよくないですか? 性格の良し悪しは別にしても、この人毎日ニコニコしてますし。あ、でも皇妃様が俺を引き抜いてくれるというのならば喜んでついていきます」
「う~ん、それは間に合ってます」
「ガーン」
がっくりと項垂れるアダム。だけど全くショックは受けていなさそうだ。普通に冗談だったんだろう。なんだかんだ二人の相性はよさそうだしね。
「離宮の人手は足りてるから、今は大変なフィズのことを支えてほしいな」
アダムに向かってそう言うと、フィズがいち早く反応した。
「わぁ、うちのお嫁さんマジ天使。アダム聞いた? 今のが天使のお言葉だよ。俺の下で馬車馬のように働けって」
「天使の言葉をいいように改変しないでください」
「俺は天使の意図を汲んでるんだよ」
「それを曲解って言うんですよ」
「二人とも仲いいねぇ」
ほのぼのしちゃう。
私は二人のやり取りをのんびり眺める気満々だったけど、リュカオンはそうではなかったようで、半眼で二人に言い放った。
「そなたら、シャノンの前で漫才を繰り広げる暇があるのならさっさと諸々の後始末を終えてきたらどうだ? 落ち着いた後なら我もゆっくりとそなたらの漫才を観賞してやろう」
「あはは、こちらとしては別に漫才のつもりはないんですけどね。でも姫が笑ってくれるなら芸でもなんでもやりますよ。アダムが」
「断る。と言いたいところですけど、皇妃様の天女のような笑顔が見られるのならば犬のように芸を覚えることもやぶさかではないです」
キリッとした顔でそう言うアダム。
「う~ん、今は気分じゃないからそのうちね」
「え、絶対断られると思ったのに……」
「さっすが姫、そうこないとね」
ちょっぴり絶望してるアダムとは対照的にフィズはニッコニコだ。
うん、私の旦那様、割といい性格なのかもしれない。嫌いじゃないけど。
そこで、アダムがフィズの耳元に顔を近付けてコッソリと話し掛けた。
「―――陛下、そろそろ……」
「ん? ああ、そうだったね」
アダムに言われて何かを思い出したらしいフィズがこちらを向いた。
「姫に会いたいって人がいるんだけど入れてもいいかな」
「うん? 別にいいけど、誰?」
「ん? 俺の兄さん」
サラリと言い放ったフィズは、扉に向かって「兄さんいいってよ~、入ってきな~」と声を掛けた。
ふ~ん、フィズのお兄さんかぁ。
「―――ってそれ皇兄では!?」
私が言うのと同時に、部屋の中に入ってきたフィズのお兄さんがダダダッと走って私の前に跪き、深々と頭を下げた。
「すみませんでしたあああああああ!!!」
え、皇兄が私に頭下げてるんですけど。しかもものすっごい勢いで。
初対面なのにどゆこと?
コテンと首を傾げ、頭上にクエスチョンマークを浮かべていると、フィズが教えてくれた。
「姫の離宮から使用人が全員出ていった出来事があったでしょ? その時、俺には皇帝としての仕事に集中してほしいから姫の安全の確保は自分に任せてほしいって言われて、姫を見守るのは兄さんに任せてたんだよ」
「ほうほう」
「だけど使用人がいなくなった時、ユベール家を陥れる証拠を集めるためだけに姫の状況を俺に報告しなかったんだ。わざわざ嫁ぎに来てくれた姫に不便な思いをさせてしまったことと、姫の窮状を利用する形になってしまったことを兄さんは謝っているんだよ。もちろん、全てが兄さんのせいってわけじゃない。俺からも、改めて謝らせてほしい。この国に来てからの貴女の待遇、本当に申し訳なかった」
「すみませんでした」
フィズの後に続いてお兄さんにも再び謝られた。
今、私にはこの国の皇族のつむじが二つ向けられている。かなりレアな経験なんじゃないかな。ロイヤルつむじにロイヤル謝罪だよ。
「元々怒ってないから謝らなくてもいいよ。仕方ない状況だったのは分かってるし」
「顔だけじゃなくて性格もいいなんて、姫は何、本当に女神か何かなの?」
「普通の女の子だよ」
「あはは、この子ってば普通の意味分かってないや」
なぜか上機嫌になったフィズに「高い高いしてもいい?」と聞かれたけど丁重にお断りしておいた。だって今きちんとしたドレス着てるから崩れちゃうと困るんだもん。高い高いは今度、もっとラフな格好をしてる時にやってもらおう。
そこで、未だに頭を下げたままのお兄さんが消え入りそうな声で言う。
「……顔を、上げてもいいだろうか……?」
「だってよ姫、いい?」
「もちろん」
顔を上げたお兄さんの顔はフィズそっくりだった。でもフィズよりもどこか神経質そうな感じがするし、何より髪と瞳の色が違う。
フィズは白髪に水色の瞳だけどお兄さんは金髪に紺色の瞳をしている。
お兄さんとパッチリ目が合う。すると即座にお兄さんが片手で目元を覆った。
「こんなにか弱そうな子を俺は……」
「うんうん、反省してね兄さん」
「ほんとに気にしなくてもいいのに」
むしろ罪悪感で泣きそうになってるお兄さんの方が可哀想だよ。
「せめてもの詫びとして、食材はかなり質の良いものを手配していたのだが……」
おっと、オルガ絶賛の食材を用意してくれてたのはお兄さんだったのか。
皇族であるお兄さんが言う「質の良いもの」だからかなりの高級品を手配してくれたんだろう。
……ん? そういえば私、食材の質が分からなかったどころかそれを使って無謀にも料理に挑戦し、失敗したような気が……。
……。
「お義兄様!! そんな過ぎたことはもうどうでもいいのです! 大事なのは未来なんですから! 私達はもう身内なんですから仲良くしましょう。私のことはシャノンと呼んでください」
「あ、ああ、シャノン様は元気な子だな……」
「様は要りません。呼び捨てに抵抗があるのならばちゃん付けでお願いします」
「ああ、分かった。シャノンちゃん……」
うんうん。
ちゃん付けで呼ばれると心なしか距離が縮まった気がする。
ん? ということは私もちゃん付けで呼び返すべきなのかな……?
う~ん、何か違う気もするけどとりあえず呼んでみよう。
跪いた状態から立ち上がったお兄さんを見上げ、私は言った。
「―――お、お兄ちゃん……?」
「「「「!?」」」」
なぜか、その場にいた全員がクワッ!! と目を見開いた。リュカオンまでもがみんなと同じ反応をしている。
とんでもない衝撃を受けたようにプルプルと震えるみんな。
そして、その中で一番最初に口を開いたのはフィズだった。
「ひ、姫、その呼び方は止めておいた方がいいかもしれない」
「ああ。シャノン、その呼び方は破壊力が強すぎるから、無難に『お義兄様』あたりでいいと思うぞ」
フィズの言葉の後、リュカオンが即座に続いて言った。
リュカオンが言うならそっちの方がいいんだろうね。
リュカオンには絶対の信頼を置いているので、リュカオンに言われたことは素直に従います。
「じゃあ、私はお義兄様って呼ばせていただきますね」
「あ、ああ、そちらの方がいいかもしれんな」
そう言ってお義兄様がコクコクと頷く。
「こんな可愛らしい皇妃様にお兄ちゃんなんて呼ばれたら、昔から妹を欲しがってた殿下はただの貢ぎマシーンになっちゃいますもんね」
「アダムお前は黙っていろ」
アダムの肩を叩くお義兄様。だけど体格のいいアダムには全く効いていない。
―――まあ、なにはともあれ、義理のお兄さんとの和解には成功したようだ。





