【71】 『おじ様』 sideリュカオン
もんすたーぺあれんとの誕生に立ち会った我は、その本人に問いかけた。
「そなた、これからどうするつもりだ」
「もちろん、シャノンちゃんを陰ながら支えますよ」
「その先のことだ。シャノンは元々短命の運命だったから、寿命の延びた今でも普通の人間と同じくらいの長さしか生きられぬだろう。……シャノンは、必ずそなたを置いていく」
「……」
そう言うと、教皇は微笑んだまま口を閉じた。その瞳には既に迷いはない。
ああ、とっくにこやつの中で先は決まっていたのか―――。
それからややあって、教皇が口を開いた。
「心の支えであった弟ももういませんし、シャノンちゃんの最期を見届けたら僕もこの生を終わらせようと思います。この世界で、人間の理から外れた僕の居場所はありませんから……」
大分生きましたしね、と笑う教皇。
そうか、こやつは既に疲れ切っていたのだな……。
自分達とは似て非なる生き物である人間のコミュニティの中で、迫害されぬように弟を守りながら手を尽くしてきたこやつの苦労はどれほどだっただろうか。
だが、我は教皇の話を聞いて「はいそうですか」で終わらせる気はない。
「ふん、何を言っておる。世界はここだけではないぞ。シャノンの寿命の終わりを見届けたら、我はそなたを神獣界に連れて行く。神獣の中ではそなたはまだまだ若造だ。暇を持て余した年長者共に精々可愛がってもらえ」
「―――!!」
そう言うと教皇がハッと息を呑む。そして、目を見開いて我の方を見た。
「……置いて行って、すまなかったな」
神聖王国が滅亡した理由を知らなかったこやつは我らが神獣界に還ったことも知らなかったのだろう。こやつの祖父が伝え忘れていたら神獣界があるということすら知らなかった可能性もある。もし知っていたとしても、四分の一しか神獣の血が入っていないこやつでは自力で神獣界へ飛べたかも微妙ではあるが。
まあ、そこは我が連れていってやるから問題ない。
せめて、神獣達には全てを伝えておくべきだったな。あの時は外に行った者達には故郷のことを忘れて幸せになってほしいと考えて何も言わずに神獣界へと旅立ったのだが……。
まあ、過ぎたことをいつまでも考えていても仕方がないな。
我はポカンとした顔をしている目の前の男に意識を戻した。この表情だとなんだか幼く見えるな。
頭の中で色々と考えたのだろう、もしくは全く頭が働いていないのかもしれない。長い沈黙の後、教皇がゆっくりと口を開いた。
「…………そう、ですね。全てを見届けたら神獣界でゆっくり暮らすのも悪くないかもしれません……ね……」
そう言って、教皇は微笑んだ。
それは、いつものどこか無機質な笑顔ではなく、木漏れ日のような、心の底からの笑みで―――。
「うむ」
教皇の言葉に、我は満足げに尻尾をゆらりと振った。
「―――まあ、そんな先のことを今から考えても仕方がありませんね。まずはシャノンちゃんの地位を盤石にしないと」
軽い口調で教皇が空気を切り替える。
「まあ、そうだな」
「僕がいるからにはシャノンちゃんに苦労はさせませんよ。なにせ可愛い弟の忘れ形見ですから。苦労も危険もシャノンちゃんには一切近寄らせはしません」
ニコリと笑ってそう言う教皇からは、なんだか相当こじらせてそうな気配がした。
きっと弟にもこんな感じであったのだろうな……。
「そなたの愛はいささか粘着質なようだな」
「愛なんて絡みついてなんぼですよ」
「……」
サラリと言い放つ教皇。
シャノンの父親がこやつのところから逃げ出した理由がほんの少しだけ分かった気がするな。口が裂けてもこやつには言えないが。
教皇は尚も続ける。
「シャノンちゃんなんて特にか弱いんだから真綿でそっとくるんであげないと」
「シャノンがか弱いのは体だけだ。中身は芯の通った子だぞ。意外にいろんなことが見えているからな。……少し抜けているところがあるのが玉に瑕だが」
「そこが可愛いんじゃないですか」
「……まあ、そうなのだがな」
……こやつは少し、身内に対して盲目的なところがあるかもしれぬな。
シャノンの悪い所をどんなに挙げても全て肯定されそうな予感がする。
まあ、シャノンにあげつらう程悪い部分などないのだがな。
はぁ、結局我もこやつと同じ穴の狢か。
我は全肯定骨の髄まで甘やかし型のこやつと違い、少しは苦労も味わった方がいいという教育方針だ。だが、シャノンは既に通常の十四歳では到底味わわない苦労を既に経験している。
……うん、まあ、既に苦労をしているのだからこの先は甘やかしてもいいのではないか……?
結局、我もシャノンには甘々なのだ。
よっこいしょ、とソファーの上に四足で立ち、ぐーっと伸びをする。
「―――さて、結構長話をしてしまった。そろそろシャノンを起こすとしよう」
「え!?」
時間も時間なのでそう言うと、教皇が信じられないといったような顔をした。
そして教皇は真顔になって言う。
「ぐっすり寝ているシャノンちゃんを起こすんですか? せっかく気持ちよく寝ているのに起こされるなんて可哀想じゃないですか?」
「今起こさぬと食事の時間に遅れる。シャノンが腹を空かせてもいいのか?」
「グッ! それは……!!」
教皇が言葉に詰まっている間に我はシャノンを起こした。
狐の胸元に顔を埋めて寝ているシャノンの背中を鼻先でつつく。
「おいシャノン、起きろ」
「んー、起きました」
「よし、シャノンは寝起きのいい子だな」
「えへへ」
褒めてやると心の底から嬉しそうな笑みを漏らすシャノン。その純粋さでお前の伯父が浄化されそうだぞ。
両手で自分の顔を覆い、「尊い……」と小さな声で呟く教皇の奇行にシャノンは全く気付かないようで、テキパキ……とはいかないが、帰り支度を整えていっている。
あ、教皇がシャノンの代わりに支度をしようと名乗り出たが断られてるな。まあ当然か。
狐はまだ眠っている。仕方ない、帰る直前にもう一度起こすか。狐は支度も何もないからまだ眠っていても問題ないだろう。
そして、シャノンの準備が整った。そこそこ遅い時間になってしまったので、帰りはここから転移で離宮まで飛ぶ。
「是非また来てくださいね」
「はい!」
教皇の言葉に元気よく片手を上げるシャノン。
顔には出していないが、シャノンのその行動に教皇がメロメロになっているのが分かる。今までは気付かなかったが、もしかしたらずっとこうだったのやもしれぬな。
我も軽く挨拶をし、寝ぼけ眼の狐も連れて我は転移をするために力を練る。
そして転移が発動する直前、シャノンが教皇の方を振り返って言った。
「必ずまた来ますからね
―――おじ様」
「へ?」
教皇が瞳を真ん丸にした次の瞬間、我らは離宮のエントランスにいた。
我は先程の言葉の意味を確かめようとシャノンを見上げる。
「シャノン、今のは―――」
「クゥ~ン……」
我の言葉を遮るようにして狐が悲しそうに鳴く。
言葉を中断してそちらを向くと、狐が必死に自分の胸元をペロペロと舐めて毛繕いをしていた。
狐が一生懸命舐めている胸元を見てみると、そこはぐっしょり濡れている。
―――そしてそこは、さっきまでシャノンが顔を埋めていた場所で―――。
まさか、さっきの話を聞いて―――
「リュカオン、お腹空いちゃったね」
「シャノ……」
我が話そうとするのとほぼ同時に、シャノンがガバッと両手を上に突き上げた。
「シャノンちゃんいっぱい食べちゃうぞぉ~!! いっぱい食べて、健康になって長生きしないとね。なんてったって、シャノンちゃんってばみんなに愛されちゃってるから」
そう言って笑うシャノンの目元は、微かに赤くなっていた。
それを見て我は察する。
……全てを、受け止めたのか。
―――ああ、シャノン、お前は我が思っているよりもずっと強いのだな……。
いろんな感情が一気に溢れ出し、それと同時に湧き出てきた涙を堪えられたかどうかは、自分では分からなかった。
***
食堂に向かう途中、我の隣を歩くシャノンが自分のお腹を擦りながら言う。
「食べ過ぎて太っちゃっても、炙ったら脂肪が消えて元に戻るかな」
「……ただ火傷をするだけだろうな」
「脂肪を燃焼させるって言うから物理的に燃やしてもいいのかと思った」
「んなわけあるか」
いつも通りの可愛らしい発言に拍子抜けする。
もしかしたら何も聞いていなかったのかもしれない。
ともかく、この愛おしくて危なっかしい子はしっかりと見張っておかねばならぬな―――。





