【64】狐もドン引きするんだね
ここが安全な場所だと分かった狐はミルクを飲んだ後、砂場の上でぐっすりと寝た。
スピスピと穏やかな寝息を立てる狐を見て獣医さんが感動している。
「あの子があんなに深く眠ってる……よかった……」
心の底から安堵した様子の獣医さん。本当に狐のことを案じていたようだ。
今までいた場所よりもここの方が狐の療養に適していると判断した獣医さんはササッと帰り支度を整えた。
「―――それでは、食事などのあの子に必要な物資は置いていかせていただきます。私も定期的に様子は見に来ますが、どうかあの子をよろしくお願いいたします」
「はい、任されました!」
獣医さんを安心させるようにポンッと自分の胸を叩く。
とりあえず栄養を摂らせてあのガリガリな体をどうにかしよう。あと、今まで全然寝られてなかったみたいだからゆっくり寝かせてあげたいな。
獣医さんは、使用人のみんなに狐のことをよろしくと挨拶してから離宮を後にした。
それから狐は、次の日の朝までひたすら、泥のように眠り続けていた。
ヴィラに酷使された後、治療されている時でも周りを警戒し続けてたらしいからもう疲労が限界だったんだろう。緊張の糸が切れたように狐は眠り続けた。
眠り続けていたせいでごはんを食べていない狐が心配で、私はその日隣の部屋で休んだ。もちろんリュカオンも一緒だ。
そして次の日の朝、狐が目を覚ます。
「あ、おはよう」
「キュッ!?」
私を見て一瞬ビクッとする狐。だけど昨日も会ったことを思い出したのか徐々に力を抜いていく。
「はい狐さんごはんですよ~」
眠り続けていたから胃がからっぽになっているであろう狐に、私は栄養たっぷりのミルクを差し出した。
狐はスンスンと軽くにおいを嗅ぐと、ガブガブとミルクを飲み干していく。
よ! いい飲みっぷり!
思わずそう声を掛けてしまいそうな程のいい飲みっぷりだ。
だけどまだ胃は小さいままらしく、すぐにお腹いっぱいそうな様子になってしまった。
「お腹いっぱい?」
私の質問にコクリと頷く狐。
中々かわいいね。
「よかったよかった。どんどん固形物も食べられるようにしてこうね」
そう言って反射的に狐の頭を撫でそうになったけど、なんとか我慢した。近くに来るのは大丈夫かもしれないけど触られるのは怖がるかもしれないからね。
私ってばなんて配慮のできる皇妃なんだろう。
そんなことを考えていると、狐が飲み干したミルクのお皿を回収しにセレスがソッと近付いてきた。そしてそれに狐が気付く。
「ピギャッ!!」
「ぴぎゃ!?」
セレスが入ってきたことに驚いた狐が変な鳴き声を上げて私の顔面に飛び付き、そのことに驚いた私が変な鳴き声を上げた。
すごいよこの狐。かなり弱ってるはずなのに座ってる私の顔の高さまで跳ねたよ。火事場のバカ力ってやつかな。
もちろん、私の小さな顔面ではやせ細った狐の一匹ですら受け止めることはできず、ピョンッと飛び付いてきた狐と一緒に後ろに倒れた。
そしてあわや後頭部を床に打ち付けそうになったところをリュカオンの尻尾がふわりと守ってくれる。
「わぁ、リュカオンありがとう。尻尾痛くなかった?」
「問題ない」
痛くも痒くもないことを示すようにリュカオンが尻尾をフリフリと左右に振る。
頑丈な尻尾だね。実はムキムキだったりするのかな。
なんとか後頭部にタンコブができるのを免れた私はよっこいしょと起き上がる。すると、私の首に狐がシュルリと巻き付いた。
「おぉ……襟巻き狐……」
一瞬首回りを覆うモフモフに喜んだけど、すぐにそれがブルブルと震えていることに気が付いた。
「……あ~、セレスごめん」
「承知しました」
セレスは少しも嫌そうな顔をすることなく部屋を後にしてくれた。
パタンと扉が閉じてセレスの姿が見えなくなった瞬間、狐の震えが止まる。やっぱり、セレスに怯えてたのか。
狐もセレスが悪い人ではないというのは分かるんだろう、耳をペタンとさせて申し訳なさそうにする姿はなんだかこっちまで申し訳なくなる。
私はよしよしと狐の頭を撫でた。なぜか私には触れられるみたいだから頭を撫でても大丈夫だろう。
予想通り、狐は私に頭を撫でられても怯えたりはしなかった。
「まあ、怖いのは仕方ないからね。ちょっとずつ慣れていけばいいよ」
「キュ~……」
慣れる日が来るのだろうかと言わんばかりの狐が不安気に鳴く。
そんな風に少し暗くなった雰囲気を変えてくれたのは誰あろう、リュカオンだった。
「―――ところで狐、そろそろシャノンの肩から下りてくれ。それ以上乗っているとシャノンが筋肉痛になる」
「?」
狐が首を傾げている間に、リュカオンは狐の項の部分をあむっと咥えて私の肩から狐を下ろした。
「すまんな。シャノンはそこまで重いものを肩に乗せたことがないからどこかを痛める前に下ろさせてもらった」
「……」
狐からの「お前この程度の重さにも耐えられないのかよ」という視線が突き刺さる。
いやいやしょうがないじゃん。こちとら生まれた時からお姫様やってるんだよ? 重たいものなんか持たせてもらえないよ。虚弱なのは生まれつきだし、そんじょそこらの虚弱とは年季が違うわ。
「ねぇ狐さん、私ってば一応かなり高貴な生まれなんだよ?」
試しにそう言ってみると鼻で笑われた。
信じてないなこのやろ~!!
ブルブル震えていた先程とは打って変わって小憎らしい表情をする狐。
切り替えが早いね。
その時、微かに開いていた扉の隙間から廊下の声が聞こえて来た。
「どうしましょう、シャノン様にお皿の片付けをさせるなんて……」
「絶対にそんなことさせたくないけど仕方のないことなのよセレス……!」
「そうよ、これは仕方のないことなの。シャノン様のあの白魚のようなお手手が使用済みのお皿を運ぶのも。……ああ、なんだか目眩がしてきました……」
「ラナ! しっかりして!!」
「「「……」」」
どうやらセレスとアリア、そしてラナが話しているらしい。
みんなの過保護っぷりに私まで目眩がするよ……。
そしてふと狐の方を見ると、今の会話を聞いていたのかドン引きしていた。
狐のドン引き顔……レアだね。
―――その表情は一生忘れることはないと思うくらい、私の中で印象に残った。