【53】ユベール家の闇
その日、ユベール本家の邸宅で一人の侍女がヒィッと小さく悲鳴を漏らした。
「ヴィラ様何を……!!」
「はぁ、使用人の分際で私に何度も同じことを言わせないで頂戴」
気だるそうに溜息を吐きカツカツと近付いて来るヴィラに気圧され、侍女は後ずさる。すると、カーペットに足をとられ尻餅をついてしまった。
大丈夫? と声を掛けることもなく、ヴィラはただ腰を抜かした侍女に近付いて行く。
「事情が変わったから、あなたの記憶を私に差し出しなさい」
「そ、それはっ、禁忌魔法では……!?」
「そうだけど。だったら何?」
心底分からないといったように首を傾げるヴィラ。法律でも禁止されている禁忌魔法を使うことに抵抗感や罪悪感が全くないようだ。
「私が陛下を手に入れるためには必要なことなのよ。あの美しい御方を私だけのものにするの」
まるでそれが決定事項であるようにうっとりと呟くヴィラ。
ヴィラのその様子に、侍女はさらに恐怖心を掻き立てられた。
「きっ、禁忌魔法を使ったら死んでしまいます!」
「あら、大丈夫よ、死ぬまではいかないわ。人が死ぬと後始末が大変だからってお父様がうるさいんだもの」
まるで父親がうるさくなければ人を殺すことをなんとも思わないような口ぶりだ。
「それに、禁忌魔法を発動するのはあなた一人でではないもの」
「え……?」
未だに状況が上手く飲み込めていない侍女に苛立つヴィラ。
「察しが悪いわねぇ」と言ったヴィラは、隣の部屋と繋がる扉を開いた。
その部屋の中を覗き込んだ瞬間。侍女はヒッと声にならない悲鳴を漏らす。
なぜなら、その部屋の中には見知った使用人達が何人も折り重なるようにして倒れていたからだ。自分と一緒にユベール家に雇われた使用人達が。
「しっ、死んでる……?」
「死んでないわ。さっきも言ったでしょう、人死にを出すとお父様がうるさいって」
ヴィラの言葉で倒れている使用人達を注意深く見ると、確かに皆胸の辺りが上下していた。
「この者達は何か不手際をしてしまったのですか?」
「不手際? そんなことしてないわ。だってこれは罰ではないもの。主である私のために命を懸けるのは使用人として当然のことでしょう?」
口だけでなく、ヴィラは本当にそれが当たり前だと疑っていないようだ。
自分達を同じ人間だと思っていないような口ぶりに、侍女は心の底からの恐怖を覚えた。
そして、ヴィラは隣の部屋に向かい、何かを持ってきた。
分厚い布越しにヴィラの両手に乗っているのは、妖しい光を放つ紫色の水晶だった。
腰を抜かして動けない侍女の耳元にヴィラの真っ赤な唇が寄せられる。
「大丈夫、ユベール家の禁忌魔法の研究はどこよりも進んでいるわ。絶対に死ぬことはないから安心なさい」
もちろん禁忌魔法の研究も法では禁止されているが、そんなことは全く気にも留めていないようだ。
ヴィラはそのまま、甘い毒を注ぎ込むように囁く。
「この水晶にさえ触れてくれれば、ボーナスは言い値で払ってあげるわ。それこそ、一生遊べるくらいの額を。ただし、断ったら―――分かるわね」
最後は疑問形ですらなかった。
この時点で、侍女の選択肢は一つしか残されていなかった。
震える手をゆっくりと、不気味な水晶に伸ばしていく。
「そう、いい子ね」
「ぁっ」
数センチ手前で水晶に触るのを躊躇っていると、最後はヴィラの手に押され、強制的に水晶に触れさせられた。
―――瞬間、信じられない程の脱力感が侍女を襲う。まるで命そのものを吸い取られるような、そんな感覚だった。
床に倒れ込んでもヴィラの視線はさらに光を増した水晶に釘付けだった。床に転がる侍女には興味が失せたとばかりに一瞥もしない。
―――ああ、私は仕えるべき主を間違えたんだ。
そこで、侍女はようやく選んだ主が間違っていたことに気が付いた。
ユベール家の黒い噂は知っていたけれど、前の主に反感しか持てなかったこともあって目先の金に流されてしまったのだ。
―――今更気付くなんて……。
その時、侍女の脳裏にはわざわざ使用人である自分達のところまで挨拶にきてくれた、小さなお姫様の姿が浮かんでいた。
―――ごめんなさい、お姫様。
そう思ったのを最後に、侍女の意識は闇に溶けた。
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「―――ん?」
何かが聞こえた気がして窓の外を見る。だけど窓からは相変わらずはらはらと降る雪が見えるだけだ。
「シャノン、どうかしたか?」
「いや、何か聞こえた気がしたんだけど……気のせいだったみたい。考えてみたらこの離宮に他の人が来ることなんてないはずなのにね」
「たしかにな」
そう言ってリュカオンがゆらりと尻尾を揺らす。
視界の端でゆらりゆらりと揺れるモフモフをついつい掴みたくなっちゃうけど我慢だ。
魅惑の尻尾が視界に入らないように再び窓の外を見る。
そういえば、出て行った使用人達ってどこに行ったんだろう。
王城に行った時は見かけなかったから、みんな実家に帰ったか他の家に雇われたんだと思うんだけど。
もうちょっと出会い方が違ったらあの時のみんなともセレス達みたいな関係を築けたのかな……。
なんとなくそんなことを考えてしまった。
まあ、今さら考えてもしょうがないことだよね。
「どうしたシャノン」
「ん~? なんでもない」
そう言って何やら調べものをしているリュカオンの背中の上にのしっと乗っかる。
先程からリュカオンはソファーの上で本を読んでいた。そのかわいらしい手でページをめくってるんだから、本当に器用だよね。
「リュカオンさっきから何調べてるの?」
「禁忌魔法についてちょっと、な。どうやら我がいた時代よりも随分発達しているようだったし」
この前神聖図書館で禁忌魔法の本をちょっと読んでたもんね。
この離宮にも書庫はあったから、きっと今読んでる本はそこからとってきたんだろう。
「ふ~ん、何か気になることでもあったの?」
「シャノンがユベール家に感じた不気味な気配がちょっとな。気のせいにしてはシャノンの怯えようが普通じゃなかったから」
「それと禁忌魔法がどう関係あるの?」
そう聞くと、リュカオンのモフッとした手がページの上に乗せられた。もしかして指を差しているつもりなのかな。
「ほら、ここに敏感な者は禁忌魔法の気配を感じることがあると書いてあるだろう?」
「うん」
「シャノンが感じたのはそれなんじゃないかと思ってな」
……たしかに、そう考えたら私が感じた不気味な気配にも納得がいく。
でも、一応は大貴族であるユベール家がわざわざ禁忌魔法に手を出したりするものなのかな。禁忌魔法は命懸けって聞くし、本人達が使ってるってことはなさそうだし、ユベール家の周りに不自然な死者が出たら分かりそうなものだけど……。
私が少し不安になったのが伝わったのか、リュカオンがその話題を打ち切った。
「まあ、気を引き締めていく分には問題ない。記念式典にはもちろん乱入するのだろう?」
「もっちろん!」
和平記念式典の十日前になったけど、まだ招待状らしきものは届いていない。このタイミングで招待状が届かないならもう来ないだろう。まあ勝手に行くからいいんだけど。
当日は皇妃としてみっともなくない程度には着飾っていくつもりだ。セレスなんてずっと張り切りっぱなしだし。
今は怯えている場合じゃないと、スゥッと息を吸って気合を入れる。
―――記念式典、きっとそこでユベール家との決着がつく。





