【190】猫ちゃん! 猫ちゃんだ!!!
リュカオンを抱き上げたフィズは寝室に入ると、ベッドの上にリュカオンをソッと横たえた。
グッタリとベッドに寝そべるリュカオン。船の中以外でこんなに体調が悪そうにしてるリュカオンは初めてかもしれない。
神無時とよほど相性が悪いんだろう。
「リュカオン、大丈夫?」
グッタリと目を閉じているリュカオンに抱きつき、癒やしの魔法を使う。すると少し辛そうな表情が和らいだものの、まだ具合は悪そうだ。
「シャノンありがとう、少し楽になった」
リュカオンは力なく微笑んだ後、スヤスヤと眠りに入った。
ゆっくり休んでよくなってくれたらいいんだけど……。
だけど、翌日になってもリュカオンはグッタリとしたままだった。もしかして神無時が終わるまでこのままなんだろうか……。
昼前まで寝ていたリュカオンがやっと目を開く。
「あ! リュカオン起きた! 気分はどう?」
「うむ……まだ本調子ではないな……」
もっふりとした毛で覆われているから分かりづらいけど、まだまだ顔色は悪そうだ。
「なにか食べられそう? 持ってくるよ」
「そうだな……軽めのものを頼もうか」
「うん! 任せて!!」
そして、私は勢いよく部屋を出て厨房へ向かった。
「――姫、神獣様の容体は……って、どうしたの?」
あれから数十分後、リュカオンを心配してきてくれたフィズが見たものは、床に座り込みリュカオンがいる部屋の扉をカリカリと引っ掻いている私だった。
その後ろでは、侍女や騎士達が床に直接座る私と扉を引っ掻く私の爪を心配そうに見ている。強くは引っ掻いてないから大丈夫だよ。
「ひ、姫? 飼い主に閉め出された子猫みたいなことしてどうしたの? かわいいけど冷えるから床に座るのは止めな? あとそんなことしたら桜貝みたいな爪が痛んじゃうよ?」
困惑気味のフィズは、とりあえずといった様子で私を抱き上げた。
よしよしと背中を撫でられた後、手をとられて爪が痛んでないかチェックされる。
「うん、かわいい爪は無事そうだね。ところで姫はこんなところで座り込んでどうしたの? 見たところ、この中に神獣様がいるっぽいけど」
フィズが私を自分の片腕に座らせたまま閉ざされた扉に視線を向ける。私の部屋ではなく、私の隣の部屋の扉に。
「いつもは姫の部屋で一緒に寝てるのに、今日はこっちの部屋にいるんだ?」
「うん、実は……」
そう、あれは私が厨房から戻ってきた時のことだ。
リュカオンに何か食べさせてあげようと思い、私は軽食の載ったカートを押すセレスと一緒に部屋に戻った。
「リュカオンただいま! スープ持ってきたよ! ……って、あれ?」
寝室に戻った私が見たものは、もぬけの殻になったベッドだ。
おかしい、さっきまではリュカオンが寝てたはずなのに……一体どこに行ったんだろう。
具合の悪いリュカオンがあちこち動き回るとは思えない。
「リュカオーン!」
廊下に出た私がリュカオンの名前を呼ぶと、すぐに返事があった。――隣の部屋から。
「ここにいる」
「あ、よかった」
すぐ近くから聞こえた声にホッとする。……だけどなぜ隣の部屋に?
まあ、とにかく見つかってよかった。
そう思って扉を開こうとドアノブに手をかける――
「……あれ?」
ドアノブがひねれない。いや、いくら貧弱な私でも扉を開けることくらいはできる。ドアを開こうとしてもドアノブがカチャカチャと突っ掛かってひねれないのだ。
これは……カギをかけられてる……?
そして、中からかけられたのは衝撃の言葉。
「誰も部屋の中に入らないでくれ」
それから、部屋の扉は閉め切られ、一切開かれることはなかった。
決して中を覗かないでくださいってことか。昔話みたいなことするね。
「リュカオン、私は? 私も入っちゃダメなの?」
「………………………できたらシャノンも入らないでくれ」
「!!」
長ーい沈黙の後に返ってきたのは、控え目ではあるが拒絶の言葉だった。
リュカオンに拒否などされたことのない私は少なからず衝撃を受ける。
リュカオンに会いたい……でも、入っちゃダメって言われたし……。でも心配だし……。
がーんとショックを受けつつも保護者が心配で仕方がない私はとりあえず扉の前に座り込み、リュカオンが入ってもいいよと言ってくれるのを待つことにしたのだった。
ちなみに、持ってきたスープは薄いお皿に入ってたので扉の下の隙間から部屋の中に入れた。
しっかり食べてくれるといいんだけど……。
そんな心配とともに、少なからずショックを受けていたところにフィズがやってきたというわけである。
「おー、よしよし、ショックだったんだね。神獣様も体調が悪いから、姫にうつらないように距離を置いてるんじゃないかな。姫を嫌いになったわけじゃないから安心しな」
「そうかな」
「あの親バカが姫を嫌いになるわけないでしょー」
「その通りだ! 我がシャノンを嫌いになるはずがないであろう!!」
「ほらね」
フィズの声が聞こえていたのか、部屋の中から間髪容れずに返答がある。
「おい皇帝、少しの間我はシャノンの側にいることができぬ。シャノンの面倒は頼んだぞ」
「もちろん、任されましたよ」
その後、よーしよーしと私を宥めたフィズは、そのままお布団の中に私をしまい込みお腹をポンポンとして寝かしつけた。疲れたでしょとのことだ。
私が言うのもなんだけどこの皇帝陛下、大分子どもの扱いが堂に入ってきたよね。
一眠りしたら頭がスッキリした。
よく考えたらリュカオンが私を嫌いになるはずなかったね。自覚はなかったけど、初めて距離を置かれたことで私もパニックになっていたようだ。
そういえば、伯父様は大丈夫だろうか。
リュカオンがここまで体調を崩してるってことは伯父様も無事じゃない気がする。……ううむ、心配だ。ちょっと様子を見に行こうかな。
そう思い立った私は、一人で神聖図書館へと向かった。
「伯父様! 伯父様いるー?」
図書館内をテコテコと歩き回るけど、伯父様の姿が見えない。
体調が悪くてまた寝込んでるのかな……。
伯父様を探して歩いていると、見慣れないものが目に入った。
それは、ソファーの上に置いてある白い毛の塊だ。なんだろうこの毛玉。
やけに毛足の長い毛玉だけど、今までこんなのあったかな……。
首を傾げつつも白いそれに手を伸ばす。
……ん? この毛玉、なんか温かいんですけど……。
両手でもそもそと温かいそれを触ると、毛玉がもぞりと動いて三角形の耳が二つ、ぴょこんと飛び出してきた。
「ね、猫ちゃん……?」
温かくて柔らかいその生き物の正体は、紛れもなく猫ちゃんだった。
「なんでこんなところに猫ちゃんが……」
「シャノンちゃん、僕ですよ」
「猫ちゃんが喋った!? ――って、あれ? その声……」
流暢に話した猫に驚いた私だったけど、その声はよく聞き覚えがあった。
そして、その瞳に輝く紫の色彩も見覚えがある。
「……も、もしかして……」
半ば確信を持ちつつも目の前の猫に問いかけると、猫ちゃんは無言でコクリと頷いた。
「お、伯父様が猫ちゃんになってる――!?」
思わず大声を出してしまった私に、どこか伯父様を思わせる顔立ちの猫ちゃんは困ったように微笑んだ。





