【185】肩を揉みたい皇妃様
それは、お風呂に入ったリュカオンの毛を乾かしている時のことだった。
魔法で手から温風を出し、リュカオンの体に当てる。そして、手から温風を出したままリュカオンの体をワッシャワッシャと撫でる。
「うむ、気持ちいいのう」
うっとりと目を閉じ、カーペットへうつ伏せに寝転ぶリュカオン。
「これ気持ちいいの?」
「うむ、マッサージみたいで心地良いぞ」
「マッサージ……」
私はまだ肩こりとかはないので、あんまりマッサージの良さが分からない。だけど、リュカオンはウン千年級のおじいちゃんだ。きっと体も凝り固まっていることだろう。
これは……親孝行チャンスでは……!?
もちろん人にマッサージなんてしたことないけど、なんかできる気がする!
リュカオンの毛を乾かし終わると、私はその背中にのしっと跨がった。
「ん? どうしたのだ?」
「リュカオンにマッサージをしてあげようと思って」
「おお! それは嬉しいのう」
マッサージといえば肩だよね。
リュカオンの両肩に手をおく。私の手のサイズで揉むのは無理そうだし、そもそもそんな握力はないので押してマッサージすることにした。
子猫が毛布をふみふみするような感じで私もリュカオンの肩を熱心に揉み込む。
「どうですか~?」
「うむ、気持ちいいぞ」
「ほんと? マッサージ上手?」
「ああ、上手だ」
うちの子はいい子だのうと目尻を下げながらうっとりとするリュカオンは、暫くすると穏やかな寝息を立て始めた。
完全に眠りに入ったのを確認し、私はソッとリュカオンの上から下りた。
「……私、肩もみの才能あるかもしれない……!」
自分の両手を見詰めながら私は独りごちた。
寝ているリュカオンを起こさないよう、私はソッと部屋を出た。すると、すぐに見知った顔に見つかる。
「あら? シャノン様どうされたんですか? お腹でも空きました?」
「怖い夢でも見ました?」
「お部屋の湿度が足りなかったんでしょうか……」
セレス、アリア、ラナが口々に話し始める。
リュカオンとお昼寝をしているはずの私が一人で部屋を出てきたことに驚いたんだろう。すごい心配のしようだ。
私はどれだけ繊細な生き物だと思われてるんだろう……。
困ったように顔を見合わせた三人は、私を抱っこしてベッドにつれて行くことにしたらしい。
まずい、このままだと熟練のお腹ポンポンによって寝かされてしまう……!
「待って待って! 私眠れなかったから出てきたわけじゃないよ!」
「そうなのですか? じゃあどうして……」
「――三人ともいつもお疲れだろうから、私がマッサージしてあげる!」
そう言えば快く受け入れられるかと思いきや、三人の反応は私の予想に反するものだった。
次の瞬間私が見たものは、笑顔のまま固まる三人だった。
私があれ? と思うや否や石像になっていた三人が動き始める。
「目にも口にも入れたいほどかわいいシャノン様のお願いですが、それだけはダメです……!」
「ええ、いくらシャノン様の命令でもそんな畏れ多いことできません!」
「人道に反しますわ……!!」
遠心力で頭が取れそうなほど全力で首を横に振る三人。
あっさり受け入れられるかと思いきや、すごい反発だ。
「……私、人を殺せとか言ってるわけじゃないよ……?」
「むしろそちらの方がまだいいですわ」
「ええ」
「間違いないですね」
「えぇ……」
それは間違いだよ……。
うちの侍女達の倫理観というか優先順位が気になりつつも、掘り下げることは止めておいた。
「――えっと、なんで僕が呼ばれたんですか?」
忠誠心ゆえに私の申し出を断った侍女達だけど、それでも私のマッサージをしたいという希望を無碍にすることはなかった。
そこで、比較的私にもラフに接するクラレンスが呼ばれ、ついでにノクスとその腕に抱かれたテディもついてやってきたのだ。
ソファーに座る私の後ろで横一列に並ぶ侍女達を見て、何が起るんだろうとクラレンスは身構えているようだ。
「シャノン様、どうぞ」
「え? う、うん。あのね、いつもお疲れのクラレンスにマッサージをしてあげようと思って」
セレスに促されて本題を口にする。
クラレンスのことだからささっと肩を貸してくれるかと思いきや、その顔に浮かんでいたのは絶望の表情だった。
「く、クラレンス……?」
「マッサージとは、どういうことでしょうか……」
そんな戦地に行った仲間の安否を問いかけるトーンで聞かれると言いづらいんだけど……。
「ええと、クラレンスの肩を揉んであげようと思って」
おずおずとそう言えば、クラレンスは長い沈黙の後にゆっくりと口を開いた。
「………………なるほど。お断りさせていただきます」
「え!? 断るの!?」
「当たり前じゃないですか! 主にそんなことさせられません!!」
「なんでよ! その主のお願いだよ!?」
「僕の主の手にペンを扱う以上の重労働をさせられるわけないでしょう!! というか主に肩を揉ませるなんて、自分の存在が許せなくなりますよ!!」
あ、そういえばクラレンスってば意外と忠誠心高めの主人至上主義者だった。慟哭するクラレンスを見て、私の侍女達もうんうんと頷いている。
これはいくらおねだりしても聞いてくれないやつだね。
だけど、この肩もみテクニックを誰かに見せて褒められたい私は諦めず、ターゲットを変えることにした。
そう、愛らしい狐を抱っこする黒髪の少年に、
「の、ノクスは……?」
「? シャノン様が、肩、もんでくれるんですか……?」
あんまり凝ってないですけどどうぞ、と快く肩を提供してくれるノクス。
おお……。
これまでの経緯のせいか、あっさりすぎて逆に心配になっちゃうよ。というか、クラレンスや侍女ズ的にこれは許容なのかな。
あれだけ拒否反応を見せた四人だから、ノクスの肩を揉むのも反対されるんじゃなかろうか。そう思い、ちょうど目の前にいるクラレンスの表情を窺い見る。私の視線を受けたクラレンスは、真顔でコクリと頷いた。
……それはなんの頷きなんだろう。
「ノクスはかわいいから大丈夫です。シャノン様と同じ小動物枠なので」
「……そっか?」
よく分からないけどノクスはいいらしい。侍女ズもうんうんと頷いている。
なんの括りかは分からないけど、みんなの気が変わらないうちに実行しよう。
ノクスには絨毯の上にお座りをしてもらい、その肩に手をかけて力を入れる。
すると――
「――シャノン様……触って……ます……?」
「がーん」
精一杯の力を込めたのに、触ってるかどうかも首を傾げるくらいらしい。
ショックを受けていると、ノクスが不思議そうに首を傾げながら続けた。
「……でも、なんか癒やされます……ねむく……なる……」
そのまま吸い込まれるように絨毯の上に横になるノクス。
目蓋でその黒曜石のような瞳を覆い隠すと、すーすーと穏やかな寝息を立て始めた。
「キュ? キュキュッ!?」
テディが前足でノクスの頬をぺちぺち叩くが、全く起きる気配はない。
すごい、爆睡だ……!
やっぱり肩もみの才能があるんじゃなかろうかと感動していると、部屋の扉が開かれた。
「――姫やっほ~。遊びにきたよー……って、この子なんでこんなところで寝てるの?」
絨毯の上でスヤスヤと眠りこけるノクスを見て首を傾げるのは麗しの皇帝陛下だ。
ちょうどいい! フィズなら肩も揉ませてくれるだろう。
「フィズ! ここ座って!!」
「ん? 今日はなんの遊びをしてるの?」
クスクスと笑いながらも席についてくれるフィズ。
「今みんなに肩もみをしてるの」
「おー、またかわいいことをしてるねぇ。じゃあ俺もお願いしようかな。結構凝ってるから気をつけてね」
「うん!」
フィズってばいつもお仕事でお疲れだもんね。これは気合いを入れねば……!
そう意気込んだ私だったけど、手を握りしめてフィズの肩を叩いた瞬間、思わぬ手応えに固まることしかできなかった。
「……かたい……鉄……?」
「肩だよ」
到底人体とは思えぬ硬さに衝撃を受けていると、当の本人は「デスクワークも多いからねぇ」と微笑みながら私の手をソッと包み込んだ。
「姫の白魚のような手に鋼鉄のような肩を叩かせるわけにはいかないから、今日はここまでにしよう」
そして私はフィズによってひょいっと抱き上げられると、そのまま侍女ズに受け渡された。
「君達、頼んだよ」
「「「かしこまりました」」」
返事をした侍女ズは既に用意してあったオイルやら何やらを丁寧に私の手に揉み込んでいく。
慣れないことをして手を酷使したんだからしっかりケアしてもらいなさいってことらしい。
……これは、はなから私にちゃんとマッサージをさせる気なかったね。過保護なフィズがあっさりと肩を揉ませてくれたからちょっとおかしいとは思ったけど、手っ取り早く諦めさせるためだったんだろう。
そんなことを考えている間にクラレンスがフィズの肩を触っていたけど、「うわ硬すぎ……! 人体とは思えない……」とドン引きしていた。
その会話を聞きながら、次こそは絶対にフィズの肩こりを解消してみせるぞと心に決める。
――ちなみに、侍女達のマッサージは信じられないほど疲れがとれました。さすが本職である。