【184】幸運な男 side 皇城の文官
「おい! 皇妃様の『お土産争奪! 大抽選会』が開催されるらしいぞ!」
「なんだそれ!?」
一体何が開催されるのかはよく分からなかったが、反射的に椅子から立ち上がる。
ガタッと椅子が倒れる音がしたが、俺のじゃなくて隣のやつのだった。どうやら、隣のやつも立ち上がったらしい。
タイトルのセンスはさておき、なんだか楽しそうな催しだということは分かったからな。そして何より、あの皇妃様が関わってる。
うちの皇妃様は、それはもうとにかくかわいいんだ。
皇妃様の好感度とは裏腹に、そのお姿を見られる頻度はそこまで高くない。巣に籠もる小動物のようにあまり離宮から出ないお人だからな。皇城に来ることもあるが、体があまり丈夫ではないからか滞在時間は長くない。
皇城の敷地は広いので、皇妃様と遭遇できるかどうかは正直運だ。
パーティーとか公の場に出られることもほとんどないしな。
前に一度、陛下と一緒に皇城で開かれたパーティーに参加されたらしいが、それ以来そういった催しに参加する気配はない。
皇妃様が参加されたパーティーは幻の夜会と言われ、そこに参加していた者は暫く茶会や他のパーティーの中心にいたようだ。皇城で働いてるやつらの昼休憩の時も、しばらくはもっぱらその話題で持ちきりだったからな。
あのパーティーのスタッフとして働いていた使用人も一種の英雄扱いだったくらいだし。
皇妃様がこの国にいらっしゃったばかりの頃とは違い、あのかわいらしいお姫様に対する好感度はうなぎ登りだ。
当初はユベール家による皇妃様の悪い噂が蔓延していたし、いつの間にか広がったその噂を鵜呑みにする者も多かった。もちろん噂に惑わされなかった者も少なくはなかったが、ユベール家の手前、あのか弱い少女に手を差し伸べられる者はいなかった。精々が静観を貫くくらいだ。
俺達はもちろん、その時のことを忘れたわけではない。貶めることこそしなかったが、皇妃様を助けようとしなかったことは事実なのだ。
悔やんでも過去は変えられない。だから、俺達がすべきなのはなんとしても皇妃様を、皇妃様の平穏な生活を守り抜くことだけだ。
「――こ、皇妃様! よろしければこちら召し上がってください!!」
皇妃様に向けて小包を差し出す青年。あ、あいつ隣の部署の奴だ。
あれ今人気の菓子店のやつだ。わざわざ街まで行って買ってきたんだろう。そういえば皇妃様の大ファンって噂聞いたことあるな。
「わぁ、ありがと~」
「皇妃様! 『わぁ、ありがと~』じゃないです! 知らない人からもらった食べ物は安易に口にしないでくださいよ」
「わかった」
注意をした護衛に向けてコクリと頷く皇妃様。
だが、せっかくもらったものをポイッとすることはできないようでそのまま手に持っている。
すると、神獣様が皇妃様に渡された包みをスンスンと嗅いだ。
「ふむ、毒はないようだぞ」
「じゃあ食べられるね」
神獣様のお墨付きをもらい、安心して包みを開く皇妃様。
まあ、さすがにこの観衆の前で皇妃様に毒物を渡すやつなんていないだろう。
そもそも、神獣様が常に側にいる皇妃様だ。害そうとしても普通に無理だろ。
陛下本人だってこの国のどんな騎士よりも強いって噂だし。
「おいしそ~」
包みを開き、リスのような小さな口でクッキーを食べ進める皇妃様。
さすが最上級の生まれというべきか、ただおやつを食べているだけなのに絵画のような上品さがある。あとかわいい。とにかくかわいい。
「癒しだ……」
「高い高いしてあげたい」
「おい皇妃様がそんな低俗な遊びで喜ぶわけないだろ。それに皇妃様はお身体が弱いんだ。高い高いなんかしたら酸素不足で弱っちまうだろ」
「皇妃様は高い高いの標高でもダメなのか……」
普通に考えたらあり得ない話だが、あの儚くもか弱い存在ならありえそうなんだよな……。
身分を考えなければ皇妃様もただの十四歳の少女のはずなんだけど、なんか雰囲気が人間離れしてるんだよな。陛下も完璧人間すぎて人間離れしてるが、それとはまた違ったジャンルだ。
そんな会話をしている間にも、どんどん列は進んでいく。
抽選券は皇妃様が配ると銘打っているが、実際に配っているのは皇妃様の護衛達だ。
皇妃様の細腕に何百枚もの券を配るなんて重労働させられないしな。皇妃様が気取らない方だから感覚がおかしくなっているが、本来はこんな下っ端の前に姿を現すような方じゃないし、券を配るなんて雑用をさせるなんてもってのほかだ。
間近で皇妃様を見られるし、なおかつ皇妃様が直々に選ばれたお土産をもらえるチャンスだから喜んで列に並ぶが。噂を聞いたのか、今日は非番の奴の姿まである。
そして、列をよく見れば俺達レベルでは滅多にお目にかかれない高貴な方々が紛れ込んでいた。
「お、おい……あそこに並んでるのアンダーソン閣下じゃないか?」
「まさか……ほんとだ……」
アンダーソン閣下はこの国が始まった頃から続いている公爵家の当主であり、国政にも深く関わっている御方だ。
つまり重鎮中の重鎮、貴族の中の貴族である。
アンダーソン閣下の前後の奴らが、あまりの畏れ多さに恐々としているのが手に取るように分かる。前の奴は閣下に順番を譲ろうとしているが、閣下は穏やかな笑顔でそれを断っている。
まさかと思い視線を巡らせれば、列の間にちらほらと間隔が開いている場所があった。そこにはやはり、普段は俺達が近付くことなどまずないやんごとなき方々が並んでいる。
いや、なんであなた方ほどの人が大人しく行列に並んでんだよ……! え? 皇妃様が身分関係ない抽選会って言ってたから? いや素直すぎかよ。
普段は会議室で迂遠な言い回しで腹の探り合いをしているであろう人々が皇妃様の言うことを素直に聞いている様子を見ると、なんだか不思議な気分になる。
皇妃様の方を見て好々爺のような顔をしているあたり、孫の言うことを素直に聞き入れる祖父のような心境なんだろう。
あの腹黒狸たちも人の子だったのか……。
いや、皇妃様の孫力が高すぎるだけかもしれないな。なにせ神獣様すら皇妃様の前では親バカと化すらしいから。
現に今も皇妃様がクッキーを喉に詰まらせないかジッと見守っている。その様子は完全に幼子の子守をする父親の姿そのものだ。
……だけど、神獣様は今日も神々しいな……。
その体から醸し出される神聖さでクラクラしちまうぜ。
神獣様を直視するなんて畏れ多いことこの上ないが、ご本獣の意向もあり、たとえガン見したところで咎められることはない。
ただ、俺の信仰心が遠慮しろよと訴えてくるのでチラチラと横目に見るに留めるが。周りの奴らも同じで、神獣様や皇妃様達の様子は遠慮がちにしか見ていない。
何十人もの人間から一斉にガン見されても皇妃様が怯えるだろうしな。
そんな感じで並んでいる間は思考する余裕もあった俺だが、いざ神獣様と皇妃様を目の前にすると頭は真っ白になった。
やばい……緊張する……。
方や最近までは伝説上の存在だと思われていた神獣様、方やこの世のものとは思えない容貌の皇妃様だ。
すげぇ……キラキラしてる……これ本当に発光してるんじゃないか……?
蛍なんか目じゃないぞ……と我ながら意味不明なことを考えてしまう。
手と足が一緒に出るくらいガチガチに緊張する俺を見ると、皇妃様は安心させるようにニッコリと微笑んでくれた。
ええ子や……。
俺はまだ独身だけど孫にいろいろと物を買い与えるじいちゃん達の気持ちが分かった気がする。貢ぎたい……いや、貢ぐんじゃなくてお布施か。
緊張のあまり思考を宇宙に飛ばしていると、俺の手にはいつの間にか数字の書かれた紙が握られていた。
うん、たぶん当たることはないだろうけどいい思い出になったな。この紙は大事に保管しよう。
そして翌日、当たらないのは分かっているが同僚に連れられて当選番号が張り出された紙の前にやってきた。
……………あれ? 俺の番号……あるんだけど……。
あまりの衝撃に俺の頭は真っ白になり、次の瞬間にはバッターンと後ろに倒れ込んだ。
「だ、大丈夫かーーーーー!!!!」
同僚の声を聞きながら薄れゆく意識の中で、俺は今年の運を全て使い切ったことを確信したのだった。
――だが予想とは裏腹にその後一年間、俺は風邪どころか擦り傷一つ負わなかった。
皇妃様パワー、えげつねぇ。