【18】皇帝も大変(side皇帝)
「―――陛下、離宮にこんな書置きが」
「ん~?」
俺は側近から一枚の紙を受け取った。そして中身に目を通す。
「……どうやら暫く離宮を留守にするからって神獣様が俺に向けて書置きを残してくれたようだね」
一体、あの手でどうやって書置きを残したんだろうね。
そのことを考える前に側近の報告が俺の耳に飛び込んできた。
「ところで陛下、離宮には使用人がいませんでしたが」
「は? なんで?」
城で働くような侍女がそんな簡単に職務放棄をするとは思えないけど。あ、ユベール家の者は例外ね。先帝が甘やかしたせいでどこまでもつけ上がりやがったから、そのうち必ず潰してやろうと思う。普通に目障りだし。
だけど、先帝時代に国の中枢まで入り込まれちゃったから中々排除が進まないんだよね。ウラノスと和平するって言ってんのに俺に娘を押し付けてこようとするし。その娘もなんか乗り気だったし。
さらにはウラノスが大嫌いなユベールのせいで俺は姫に近付けないし。
俺は椅子の背凭れに思いっきり体重をかけ、頭の後ろで手を組んだ。
あ~、鬱陶しい。なにもかも鬱陶しい。
さっさと何もかも武力行使で片付けてかわいい奥さんとどこか遊びに行きたいな。もちろん恋愛対象にはならないけど、国のためにたった一人で来てくれた子だから優しくしてあげたい。
―――そう思ってたのに。
「ちょっと兄さんのところに行ってくる」
「ハッ」
側近を部屋に残し、俺は兄の部屋へと向かった。
兄の部屋の前まで来ると、ノックもそこそこに部屋に押し入る。
「ねぇ兄さん」
「なんだ」
兄さんの紺色の瞳がこちらを向いた。
「俺には皇帝としての仕事に集中してほしいから姫の安全の確保は自分に任せろって言ってたよね?」
「ああ」
「じゃあ、どうして姫の離宮に使用人が一人もいなくなってるのかな?」
俺はニッコリと笑って兄に問う。
ほんと、念のため自分の側近に誰にもバレないように離宮を見に行かせてよかったよ。
兄は露骨に目を逸らすけど、俺は逃がす気はない。
「俺への報告、止めてたよね?」
「……」
「罰するために職務放棄した使用人のリストなんて作る必要なんかないよね。全員いないんだもん、配属された奴ら全員が処罰の対象だ。本当ならそんなやつら問答無用で帝都から追い出してしてやりたいけど、皇帝になっちゃったせいでそれができないのが残念だよ。個人的に報復するのは我慢してあげるから、そいつら捕まえて規則に則った罰を下しておいてね。できないなら俺は皇帝を降りるから」
皇帝を降りるというと兄の顔色が悪くなった。
「待て……。使用人には必ず罰を下す。だが、もうちょっと待ってくれ」
「その理由は?」
「使用人のうちの一人にユベール家の息のかかったものが紛れ込んでいた。その者がどうやら姫のペンダントを盗んだらしい」
「終わってるね。殺してきていい?」
「駄目にきまってるだろう」
俺を止める兄を、口元は微笑んだままジトリと睨み付ける。
これでも長年魔獣退治なんかしてたから自分の思考が常人に比べて物騒なのは分かってる。だから我慢をしているわけだけど……。
そして、兄はそのまま話を続けた。
「そのペンダントがユベールの当主、そうでなくても本家の者に渡れば皇妃の所有物を盗んだとして罪に問える。これまでに集めたユベール家の悪事の証拠と合わせれば家ごと潰すことができるだろう」
「だから泳がせてると?」
そう聞くと兄はコクリと頷いた。
「うまくペンダントがユベール本家に渡るように誘導している。周りの者達が次々に罰されたとなれば警戒されるだろう」
「ふ~ん、釈然としないけどやりたいことは分かった」
本当なら今すぐに帝都の土どころかすべての地面を踏めない体にしてやりたいけど。
「―――にしても、ユベールの者が紛れ込んだくらいでどうして全員が職務放棄するなんてことが起きたの?」
そう尋ねると、兄は指で眉間を揉んだ。
「はぁ、そんなことが起きないようにお前の信奉者で固めたのがよくなかったらしい」
この国は古代神聖王国や神獣を信仰している者が多い。そして、俺は古代神聖王国人に近い色彩をしている。なので、俺にもこの色だけで信仰に近い支持をしてくれる者達がいる。
裏切らないだろうとのことでその者達を中心に離宮の使用人達は選出された。だから、本来ならユベールの息がかかった者が紛れ込んだくらいでは全員がいなくなるなんて事態は起こらなかったはずなのだ。
だが、姫と一緒に現れた予想外の存在がその信仰心を悪い方向に作用させた。
今回選出された使用人は信仰心が一際厚い者達だ。なので、姫が自分の契約獣を神獣だと偽った―――と思ったことで姫にかなりの反感を抱き、そこを上手くユベールの息がかかった奴に誘導されたのではないかとのことだ。
姫が元敵国であるウラノス出身だと言うのも彼らの暴走を後押ししたんだろうというのが兄さんの推測だ。
「―――はぁ、姫のことを兄さんに任せたのが間違いだったよ。自分から言い出したことくらいちゃんとやり遂げてくれる? あと、あんな原材料だけ補充してても姫が料理なんかできるわけないでしょう」
「……できないのか?」
「できないよ。離宮の奥底で大事にされてたお姫様だよ?」
「……」
兄が黙りこくってしまった。皇族である自分や俺ができるからって姫も料理ができるものだと思い込んでいたのだろう。
兄さんも割と自分基準で物事を考える人だからな。
「俺の判断ミスだった。もう姫に関することは兄さんには任せないから。政務にも支障はきたさないから安心して」
「……すまん」
姫に関することを兄とはいえ他人に任せたのは俺のミスだ。
神獣様の書置きを読むに、姫はたくましくも自分で侍女をスカウトしに行ってしまったようだ。
あ~、心配。体弱そうだし、途中で体調を崩したりしないかな。
結婚式の夜、ベッドで苦しそうにしていた姫の様子が脳裏に蘇る。
あ~あ、いくら兄に頼み込まれたからって皇帝になんかなるんじゃなかった。
ユベール家なんかよりも、辺境で強靭な魔獣を相手にしてた方が楽だったよ。