【174】謙遜するにもほどがある
フィズは木の枝を持ったまま、大きく跳躍した。
そして、海辺に着地したフィズは無事だったボロい船を回収すると、それを片腕でかつぎ上げる。
「わぁ、力持ちぃ」
思わずそう呟く。そして、そう思ったのは私だけではないようで、未だに縛られている傭兵二人組も「はぁ? なんだあの跳躍力……飛んでるじゃねぇか」「人間業じゃねぇな。怪力すぎんだろ……」と声を漏らしていた。さっき口元を蔦でグルグル巻きにされてたのにどうして喋れるんだろうと思ったら、噛み切ったらしい。ちぎれた蔦が彼らの足元に落ちていた。
顎が強いね。
ただ、私とは違って二人は驚愕の表情を浮かべている。
伯父様とクラレンス、そしてリュカオンは既に驚きはないのか、平然とした顔でフィズの様子を見守っていた。ノクスに関しては、そもそもあんまり表情が変わることがないので驚いているかどうか分からない。
「船を持ち上げてどうするんだろう……」
私がそう考えたのも束の間、フィズが海に向かって船をぶん投げた。
「わぉ」
予想外の行動に、思わず声が漏れる。
おそらく狙ったんだろう、船は陸とイカの魔獣の中間くらいの場所に着水した。それと同時に、再びフィズが大きく跳躍する。
そして船の上に着地したかと思えば、そこからさらに魔獣に向かって一直線に跳躍した。
「……あれ、船の意味あるんですかね」
どこか遠い目をしたクラレンスがボソリと呟く。
「うむ、ただの足場扱いだな」
クラレンスの言葉にリュカオンも同意する。
船が必要っていうのは、海の上での足場がほしいってことだったんだね。それならまあ、多少ボロくてもよかったわけだ。てっきり魔獣のところまで漕いでいくのかと思ったけど、予想外の使い方だね。
魔獣の眼前まで飛んだフィズは、そのまま魔獣の胸部めがけて木の枝を一閃した。
だけど、さすがに木の棒では切れ味が悪いのか大きな傷は残したものの魔獣の深部には届かず、そこまで大きなダメージは与えられていないようだ。
「ふむ、思ったより固い……というか、弾力があってダメージが逃がされてる感じかな」
海から出ているイカの魔獣の胸部を蹴って距離をとったフィズは、器用に船の上へと着地をする。
『グオオオオオォォォォ!!』
怒っているのか、魔獣が頭の中まで響くような鳴き声を上げる。そのうるささに、思わず私はリュカオンの耳をペションと折りたたんだ。リュカオンの方が耳がいいからね。
すると次の瞬間、海の中から飛び出した三本の巨大な脚がフィズに襲いかかる。
私だったらなすすべなくぺしゃんこにされてしまいそうなスピードだけど、フィズは冷静にそれを見据え、木の枝を持った腕をヒュンヒュンと数回振る。すると、次の瞬間にはイカの脚が三本とも切断されていた。
綺麗な丸い断面だ。なんでただの木の枝であんなにスッパリ切れるんだろう……。
「……フィズは料理も上手そうだね」
「この状況で出てくる感想がそれですか。ただ食材が上手に切れそうなだけですよね。……いや、あの人が何かを出来ないところなんて想像できませんけど……」
私の呟きに、クラレンスが微妙な顔ですかさず反応する。
「だけど、珍しく苦戦してますね。陛下が一撃で仕留められないなんて」
「一撃で仕留められないと苦戦扱いなんだ……」
フィズが強すぎて、もはや基準がおかしくなっちゃってるね。
「ってことは、あのイカ相当強いの?」
「そりゃあ、並の騎士や傭兵じゃあ相手にならないくらいは強いですよ。ただ、陛下の敵じゃありませんが」
キッパリと言い切るクラレンス。
「でも、フィズは苦戦してるんでしょ?」
「足場が悪すぎるからな。おんぼろの小舟を壊さないように蹴る力を加減しているせいで、本来の威力とスピードが出ていない」
私の疑問に答えてくれたのはリュカオンだった。
なるほど、足場であるあの小舟がボロすぎるんだね。
「……仲間があんな化け物の魔獣を相手にしてんのに、なんでこんなゆったり話してんだこいつら……」
「信じらんねぇ……」
傭兵達が「こいつら人の心がねぇな」って目でこちらを見てくるけど、大変心外だ。二人ともフィズの規格外さの一端は垣間見てるはずなのに。
むぅ、と唇を尖らせていると、リュカオンの前足がちょいちょいと私の注意を引いた。
「シャノン、少しあやつ手伝ってやれ。船の上ではないここからなら魔法が使えるであろう」
「あ、そっか、そうだね」
足場がないなら、私が作ってあげればいい話だ。
魔法の練習の成果を見せるいい機会だね!
「足場、足場か……」
どうしようかと考えながら魔力を練り上げる。
そしてフィズの方を見れば、青い海が目の前に広がっていた。
水がいっぱい……そうだ!
「えいっ」
私は海に向かって魔法を放った。
すると、魔獣の周りの海水がパキパキと凍り始める。
……せっかくだし、周りを全部囲っちゃおう。
魔獣をグルリと囲うよう、海水を円状に凍らせる。
これでフィズも戦いやすくなったことだろう。フィズが力強く蹴っても砕けないよう、分厚めに凍らせておいたし。
すると、フィズがこちらを向いて笑みを浮かべた。
「姫! ありがとう!」
「どういたしましてー! ケホッ」
大声で応えたら咳が出た。普段はこんな大きな声は出さないからね。
氷で囲ったことでイカの魔獣も動き回れなくなったので、フィズも戦いやすくなったことだろう。
すると、再び後ろから酒焼けした声が聞こえてきた。
「こんな遠くから魔法を……? しかもあんな規模で……」
「こっちのガキも化け物だったか」
なんか失礼なこと言われてるな……。そう思った次の瞬間には、ノクスとクラレンスが傭兵達の口に再び蔦を巻き付けていた。
「ノクス、さっきよりも厳重に巻くよ!」
「任せろ……」
「キュッ!」
狐もせっせと蔦を咥えて運んできている。ノリノリだね。
すると、足元のリュカオンが私の方を見上げてきた。
「シャノン、疲労感は?」
「大丈夫! まだまだ元気だよ!」
離宮でコツコツ練習してたおかげで、特に疲労感はなかった。私も成長したものだね。
あとはフィズが魔獣を倒すのを見届けるだけだ。
私の出した氷の上に立ったフィズは、木の枝を構え直していた。
「……ねぇ、なんかあのイカ光ってない?」
「光ってる……というか、帯電しているようだな」
目の前のフィズを脅威だと感じたのか、魔獣の方も魔法を使うことにしたようだ。
パチパチと青白い光が魔獣から発される。
あれは……雷の魔法かな。海と相性抜群だね。
「フィズも苦戦しちゃうかな」
「それはないな、まあ見ておれ」
――リュカオンがそう言った次の瞬間、イカの魔獣が輪切りになっていた。
イカリングだ……。
スパパパッと無数の輪切りにされたイカリングが、バシャバシャと海に落ちていく。
「……リュカオン、速すぎてなにも見えなかったんだけど」
「奇遇だな、我もだ。瞬きの間に終わってた」
「ただいま~」
そんな会話をしている間に、フィズが私達のところに戻ってきていた。いつの間に。フィズは全てが速いね。
すると、ニコニコと微笑むフィズが私を抱き上げた。
「姫、足場を出してくれてありがとう。いやぁ、足場が不安定だと力が出せないなんて、俺もまだまだ精進が必要だね」
「……いや、もう精進は必要ないんじゃないかな……?」
もう十二分すぎるほど強いよね? これ以上強くなってどうするんだ。
実力のありすぎる人がする謙遜って、全く意味ないんだなぁとシャノンちゃんは思いました。