【170】二度と船など乗るものか
ギルドの受付作業は、お姉さんがやると言って聞かないのでそのままお任せすることにした。
まだ脚は治っていないので椅子に座りながら作業するようだ。
何か困りごとがあっても昔なじみの傭兵の人が助けてくれると言うので、私は遠慮なく受付の仕事を引退することにした。とても短い受付嬢生活だったね。
なにはともあれ、私達は問題の北方に向かうことにしたのだった。
「なにで行くの? 馬車?」
「姫のためなら馬車でも何でも用意してあげたいところだけど、目立つから今回は馬を借りるよ」
「……私、一人じゃ馬乗れないよ?」
「シャノンは我が乗せるに決まっているであろう。意思の疎通もできぬ馬になど危なくて乗せられん」
普通の馬は意思の疎通はできないけどね?
にしても、リュカオンって他の動物に対して謎に対抗心があるよね。仮にも神獣様なんだからもっと堂々としてればいいのに。
そして、私達は馬を借りに向かった。クラレンスが手続きをしている間、私達は建物の外で待つ。
「……おじ――神官さん、馬に乗れるの?」
「乗れますよ。昔は色々と嗜んでいましたから。まあ、前回馬に乗ってから随分と経っているので若干の不安はありますがね」
……大丈夫かな。伯父様の言う随分前って数十年単位な気がするけど……。
だけど本人は自信満々でお澄まし顔をしている。根拠のある自信だといいんだけど。
「リュカオン、もしもの時は……」
「うむ、仕方ないがこやつも乗せてやろう」
「信用がないですねぇ」
やれやれと肩を竦める伯父様。伯父様もいまいち読めない人だよね。
「――おお……馬だ……」
クラレンスが引き連れてきた四頭の馬たちの迫力に気圧される。人を乗せられるだけあって、どの子も筋肉のついた逞しい馬だった。
私なんて簡単に踏み潰されちゃいそう……。
「あはは、そんなに怖くないよ」
フィズは完全に腰が引けている私をひょいっと抱き上げると、黒毛の馬の前に持って行った。
馬は私の頭に鼻先を近付け、スンスンと匂いを嗅ぐ。
これは……馬界の礼儀的に私も嗅ぎ返した方がいいのかな?
そう思って馬の眉間辺りに鼻を近付けようとすると、頭上からクスクスと笑い声が降ってきた。
「姫はかわいいなぁ。馬の流儀に合わせて匂いを嗅ぎ返すのもいいけど、まずは優しく鼻を撫でてあげてみて?」
私はそろりと手を伸ばし、目の前の子の鼻を優しく撫でてあげた。
黒毛の馬は、目を閉じて私の撫で撫でを受け入れてくれる。
おお……かわいいかも……。
「……シャノン……?」
馬を夢中で撫でていると、隣から嫉妬の視線を感じた。
おそるおそるそちらを見れば、リュカオンが目をかっぴらいてこちらを見ていた。その瞳にはハイライトがない。
「シャノン、浮気か……?」
「う、浮気じゃないよ! リュカオンが一番だよ! あいらびゅー!」
リュカオンを抱きしめてぐりぐりと頬ずりをする。ついでにほっぺにちゅっちゅしておいた。
どうだ? ご機嫌直ったかな?
ちらっと表情を伺うと、まだ半眼ではあるものの表情が柔らかくなっていた。よしよし、いい感じだね。
「まったく、仕方ない奴だのう」
許してくれたらしいリュカオンにペロペロと頬を舐められる。
これで仲直りだね。
「……ねぇ、姫、一応旦那の俺も隣にいるんだけど。これって浮気?」
「フィズ! 話をややこしくしないで!!」
完全に愉快犯のフィズをキッと睨み付けるも、全くのノーダメージだった。むしろ睨む姫もかわいいねぇとほのぼのしている。
「……」
伯父様も血の繋がった身内枠で参加したそうにうずうずしてるけど、ステイだよ!! ノクスとクラレンスがいるからね!
私は伯父様を見詰め、必死に念じた。
それから私達は借りた馬に乗り、島の北方へと向かった。
もちろん、私が跨がるのはリュカオンだけど。まともに馬に乗ったことないし、リュカオンが嫉妬しちゃうからね。それに安心感が違うもん。リュカオンは絶対に私のことを落とさないって信じてるからね。
「こやつらは走ることに特化しているようだが、我の方が乗りやすく、かつ速い!!」
走りながら馬に対して謎に優位を示そうとするリュカオン。
とことん対抗していくね。一体何がリュカオンをそこまで掻き立てるんだろう。
「ん? どうしたのお前達……」
リュカオンの言葉を理解したのか、クラレンスを乗せている馬が加速を始めた。フィズ、伯父様、ノクスの馬も同様に脚の回転を速める。
「む、我に張り合うつもりか。いい度胸だ」
楽しそうに呟いたリュカオンは、馬たちと同様に脚を速めた。その瞬間、顔に当たる風がブワッと強くなる。
そして、リュカオンの鼻先が馬たちを追い越した。
「――すごいよリュカオン! 私達、風になってる!」
「ふふん、そうであろうそうであろう。楽しいか?」
「楽しい!!」
「うちの子は素直でかわいいのう」
ご機嫌が上向きになったリュカオンは、さらに足を速めた。
おうおう、お馬さん達を置いてけぼりにはしないでね?
――リュカオン達が負けん気を発揮したおかげで、目的地である北方の森には思ったよりも早く到着した。
結局伯父様も難なく馬に乗れてたね。ちゃんと根拠のある自信だったか。
ズルリとリュカオンから下りると、すかさずクラレンスが近付いてきた。
「シャノン様、口が渇いたでしょうから水分補給してください。あと、少し髪の毛を直しますね」
クラレンスは私に水筒を差し出した後、櫛を取り出して私の髪の毛をとかした。おかげで元のサラサラな毛並みに戻る。
意外にも主に尽くすのが好きなクラレンスは、私の身だしなみを一頻り整えると満たされたような笑みを浮かべていた。
尽くし系ってやつだね。
傭兵達に見つかると妨害される恐れがあるため、私達はコッソリと問題の森に侵入して様子を見ることにした。
だけど――
「……フィズ、その巨大な風呂敷はなに」
「ん~?」
私に向けて人一人をスッポリと包めそうな風呂敷を広げたまま首を傾げるフィズ。
いやいや、その状態でとぼけようとするのは無理があるでしょ。というか、なんでそんなもの持ってるの。
「……私は荷物じゃないからね」
「姫をお荷物だなんて思ったことないよ」
そういう意味で言ったんじゃないんだけど……。
「一応聞いておくけど、それを何に使う気?」
「抱っこ紐は嫌そうだから、風呂敷で包んで背負おうかなって。あ、もちろん息はできるように顔は出すよ」
「顔だけ出てる方が嫌だけどね? どうせなら全身包んでほしいよ」
「突っ込むべきはそこではないんじゃないか?」
あくまで冷静なリュカオン。
「それに、安定感もないしね。風呂敷は却下かな」
「そっか~、残念」
あっさりと諦めて風呂敷を仕舞うフィズ。
本気で言ってるのか冗談なのかいまいち分かりづらいんだよね。表情は変わらないし。わざわざ風呂敷を準備してるあたり、百パーセント冗談ではなさそうなんだけど。
「――む、誰か来る。みんな伏せて」
フィズが言い終わるや否や、みんなが一斉に伏せて草陰に隠れた。
みんなみたいな反射神経はない私は、リュカオンがササッと伏せてお腹の下に隠してくれた。あったかい。
リュカオンの下で息を潜めること一分ほどすると、ガサガサと乱暴な足音がこちらに近付いてきた。足音の数からして複数人だろう。
あ、今の考察、探偵みたいでかっこいい。
心の中で自画自賛していると、男の人達の話し声が聞こえてきた。お酒を飲み過ぎているのか、その声は明らかにしゃがれている。
「――今日はこのくらいでいいだろ。さっさと帰って飲むぞ」
「ほ〜んと割のいい仕事だよな。宿代も領主の支払いだし、この依頼に当たってる間はランクを維持するためのノルマも免除だしよ。一生ここでダラダラ過ごしてぇな」
「さんせぇ~!!」
どうやら三人組の傭兵のようだ。
「まあ、どっちにしろこの魔獣達を全て討伐するのは骨が折れるしな」
「元凶の魔獣も沖にいるんだっけか?」
「らしいぜ。海じゃ俺達も分が悪ぃよな。まあ、元々まともに戦う気はねぇけど」
「違いねぇや」
ガッハッハッと、貴族令嬢のそれとは真逆の笑い声を上げながら、男達は去っていった。
そして他の人の気配が完全に消えた頃、私達は体を起こす。
「シャノン、頭に葉っぱがついているぞ」
「なぬ」
「たぬきみたいだな」
手を頭の上にやると、髪の毛ではない何かの感触がする。手に取ってみれば、それは青々とした大きな葉っぱだった。
「……か、かわいすぎる……!! たぬき……!」
頭についていた葉っぱをクルクルと回していると、静かに悶えている伯父様が目に入った。伯父様はもう隠す気があるのか分かんないね。
すると、隣から伸びてきた手が、私が持っていた葉っぱをスッと取っていった。
伸びてきた手の主であるフィズは、なぜかその葉っぱを懐に入れる。
いや、なぜ仕舞う。
突っ込むべきか迷っていると、フィズが真面目な口調で話し出したので、私は慌ててお口チャックした。
「……彼らの話から察するに、海の方に今回の魔獣発生騒動の元凶がいるようだね。沖にいると言ってたから、陸からだと仕留めるのは難しいかもね」
フィズの言葉に、私は嫌な予感を覚える。
「ってことは……もしかして……」
「魔獣退治に行くなら船だね。せっかくだし、みんなで行く?」
その瞬間、この島に着くまでの地獄のような船酔いの経験が私の頭の中を駆け巡った。
そして、私はフィズの肩にポンと手を置く。
「「「魔獣退治は任せた(ぞ)!!」」」
私とリュカオン、そして伯父様の船酔いトリオの声がきれいに被る。
船なんて二度とごめんでございます。