【166】皇妃様、受付嬢をしちゃいます!
今日も、街は相変わらずの治安の悪さだった。
道ばたには空の酒瓶やゴミが散乱しているし、そこかしこから喧嘩をしているような怒声が聞こえてくる。
皇都と違って規制されていないらしく、歩きながら煙草を吸っている人も多い。
「くちゃい……」
「煙草を吸ってる奴ら皆殺しにしてきましょうか?」
「物騒だねクラレンス」
寝不足だからか発想が乱暴だ。目も据わってるし、いつもの爽やか青年感はどこに置いてきたんだ。
そんなことを考えながらクラレンスを見上げていると、スッと伸びてきた手が外套の首元を引っ張り、私の口から鼻にかけてを覆った。
「煙草の煙は姫の小さな肺にとっていいものではないから、口元を覆ってた方がいい」
「分かった」
フィズに言われた通り、口元をしっかりと覆い隠す。それからついでに、私の胸元から顔を出している子犬サイズのリュカオンの口元もガードしておいた。
「できました!」
「うんかわいい」
被ったフードの上からポンポンと頭を撫でられる。
「……これから、どこいく……?」
ノクスが静かに問いかけてきた。ちなみに、狐はノクスの外套の中でぬくぬくと抱っこされている。
……いいなぁ。
ノクスの腕の中で丸まっているであろう狐を思い浮かべて羨ましく思っていると、フィズがひょいっと私を持ち上げて片腕の上に座らせてくれた。
あらあら、すいませんね。そんなに分かりやすい顔してたかな……。
フィズは私を抱っこしたまま、もう片方の手を自分の顎に持っていく。
「う~ん、とりあえず、北の魔獣をなんとかするべきかな。被害状況もいまいち分からないし」
「僕もそう思います」
フィズの言葉に伯父様が同意する。……その少しわきわきさせてる手は何かな? 今の私達の関係で抱っこはできないからね?
伝わるかは分からないけど、伯父欲が高まっている伯父様を心の中でどうどうと諫める。
事情を知っているフィズは伯父様の挙動にも気付いたらしく、さり気なくドヤ顔を向けていた。
「じゃあ俺が……」
そう言いかけたノクスの声を、近くから聞こえてきたガッシャーンッ!! という音がかき消す。
なんだろう……と思う間もなく、私を抱っこしたままのフィズが動いていた。そして、そのすぐ後ろからノクスやクラレンス、伯父様もついてくる。
音の発生源はすぐに分かった。なぜなら、その建物の入り口の周りには十人程の人だかりができていたからだ。
「――ここって……」
そこは、昨日お話をしたお姉さんが出てきた大きな建物――ギルドだった。
その入り口に、傭兵と思われる体格のいい男性達が集まっている。みんなはやし立てに来ているというよりは、なんだなんだと困惑している様子だ。
「ちょっと、どいてくれる?」
そんな男性達をかき分け、フィズはギルドの中へと足を踏み入れた。
そこには――
「――お姉さん!!」
昨日私達に情報をくれた受付のお姉さんが、壊れた木の棚の下敷きになっていた。私の声に反応しないところを見ると、どうやら気絶しているようだ。
その対面には、かなり動揺した様子で顔色を悪くした男性が立っている。
「す、すまねぇ……俺、そんなつもりじゃあ……」
「クラレンス、ノクス」
「了解です」
スッと前に出たクラレンスとノクスが、素早くお姉さんの救助に取りかかる。
幸いと言っていいのか、下敷きになったのは左脚だけで、素人目に見ても命に別状はなさそうだ。
「はいはい、見世物じゃないんだから関係ない人は散ってね」
伯父様といえば、すかさず野次馬達を解散させていた。野次馬達も自分達がいても何もできないと思ったのか、躊躇しつつも去っていった。
お姉さんは、クラレンスによってすぐに近くの診療所に運ばれた。
そこのおじいちゃん先生に診てもらったところ、左脚は骨折しているけどそれ以外に目立った傷はないようだ。頭もぶつけていたけど、そちらは大したことはないからすぐに目覚めるだろうと言っていた。
なので、私はその場でお姉さんが目覚めるのを待つことにした。
お姉さんに怪我をさせたであろう犯人は現在、ノクスに拘束してもらっている。反省してる感じだったけど一応ね。そして、先程クラレンスも事情聴取のためにそちらに向かった。ノクスだけだと、上手く情報を聞き出せるかちょっと不安だからね。
護衛とは……って感じだけど、フィズと伯父様、そしてリュカオンがいる時点で戦力は十二分だ。
ベッドサイドの椅子に座って目覚めを待つこと十数分。
お姉さんが微かに身じろぎし、ゆっくりと目蓋を開いた。
「……ん……」
「あ、お姉さん、目が覚めた?」
ベッドに乗り上げ、お姉さんの顔を覗き込む。
すると、お姉さんがクワッと目を見開いて私を見返してくる。
「……私、死んだ……? 目の前に天使がいる……ってことは、このかわいい天使ちゃん達を抱っこし放題ってこと? ラッキー」
「残念だけど、まだ死んでないしこの子は抱っこさせないよ」
そう言いながらフィズが後ろから私を持ち上げる。すると、お姉さんがようやく周りをキョロキョロと見回し始めた。
「ここは……診療所、ですか……?」
「そう、棚の下敷きになっていた君をここまで運んできたんだよ」
クラレンスがね。
心の中でフィズの言葉に補足を入れる。
「ところで、どうしてあんなことになっちゃったの?」
フィズの腕の中から問いかけると、お姉さんが思い出すように宙を見上げながら口を開く。
「……そうですね……彼に度々の素行不良を注意したら激しい口論になってしまい、彼が私を突き飛ばしたのです。ですが、おそらくうっかり力が入りすぎたのか思っていたよりも私が吹っ飛び、近くにあった棚に激突してしまったようです。わざと強く突き飛ばされたような感じはしませんでしたので。……というか、もしかしてこの左脚……」
「折れてるようだよ」
「そうですか」
フィズが言うと、お姉さんは冷静に自分の状況を受け入れる。
やけにあっさりだね……。
思わずキョトン顔になると、お姉さんが私を見てクスリと微笑んだ。
「起ってしまったものは仕方がないですから。それに、脚の骨折だけで済んだのはむしろ不幸中の幸いです」
「それは、確かにそうだけど……」
「でしょう?」
前向きなのかなんなのか……。
お姉さんの動じなさに驚いていると、お姉さんがベッドの上でムクリと上体を起こした。
「松葉杖はありますか?」
「うん、お医者さんから預かってるよ」
「いただけますか?」
「分かった。はいどうぞ」
松葉杖を手渡すと、お姉さんはお礼を言いながらベッドを下り、松葉杖を使って立ち上がる。そして、そのまま歩き出したお姉さんに私はギョッとする。
「え!? お姉さんどこにいくの?」
「職場に」
なんてことないように言うお姉さん。
「け、怪我してるんだよ? 今日は休んだら? 頭も打ってたみたいだし」
「……いえ、今のうちのギルドには受付が私しかいなくて……仕事を休むわけには……」
せ、責任感の強い人だ……!! しかも休めないタイプ……!!
私なんて擦り傷でも負ったらその日はベッドから出してもらえないし、ごはんも全部食べさせてもらうのに!!
なんとか休ませようとお姉さんの周りをうろちょろするけど、どうやら意思は固いようだ。
ううむ、お姉さんは受付がいなくなるから休みたくないんだよね……ってことは、代わりがいればいいわけだ。
となると――
「――わ、私が代わりに受付嬢やるよ!!」
***
「……前が見えない」
「う~ん、やっぱりこのカウンターに立つには背丈が足りてないねぇ」
対面から私を見下ろしたフィズがのんびりとした口調で言い放つ。
ギルドのカウンターは、私の目の位置の少し上の辺りにあった。つまり、カウンターの外側からは私の頭しか見えていないということだ。
私の背丈がちんまりしているばかりに……。
「あ、ちょうどいい木箱があったよ。これに乗ったらいいんじゃない?」
「わぁ! ありがとうフィズ!」
フィズがどこからか木箱を抱えてきて、カウンターの内側にいる私の足元に置いてくれる。
その上にちょこんと立てば、視線の位置がちょうどいい高さになった。
よしよし、これで準備は万端だ。お姉さんに業務内容も聞いてきたし、イメージトレーニングもバッチリ!
ギルドの長にはいつの間にかフィズが話を通しておいてくれた。
よし、誰がきてもばっちこいだ!!
「こんにちは」
「! いらっしゃいませ――って、おじ……じゃなくて、神官さんか」
振り返った先にいたのはお客さん第一号かと思えば、ただの伯父様だった。クラレンスとノクスは警備隊にお姉さんを突き飛ばした犯人を届けに行っていて今はいないけど、一応言い直しておく。こういうのはクセになっちゃうからね。
というか、まだギルドは開いてないから人が来るわけないか。
そして、紛らわしいマネをした当の伯父様は、ニコニコと微笑みながらこちらに歩いてきた。
「キャラメルラテ一つ」
「そういうオシャレなお店じゃないから。あと何してるの」
「かわいいシャノンちゃんのお客さん第一号を僕が他人に譲るわけないでしょ」
なんで誇らしげなんだろう……。
「伯父バカは放っておいて、そろそろギルドを開けようか」
そう言ってフィズがギルドの正面扉を開けに行く。受付のお姉さんが倒れてしまったので、一旦ギルドを閉めていたのだ。
フィズの背中を見送っていた伯父様の視線がこちらに戻ってきたかと思うと、直ぐさま私の腕の中にいるリュカオンに移る。
「シャノンちゃん、神獣様は抱っこしたままやるの?」
「うん、ダメかな?」
「ううん、何も問題はないよ。強いて言えば、シャノンちゃんとミニサイズの神獣様のセットがかわいすぎるくらいかな」
「じゃあ大丈夫だね」
うむうむと頷くと、伯父様は少しビックリしたように目を見開きリュカオンに話しかける。
「どうしよう神獣様、シャノンちゃんがかわいいを水のようにすんなりと受け入れてる……」
「我らがこれだけ蝶よ花よと愛でていればそうもなるだろう」
「かわいいを自覚してる姪も尊い……」
神官さんが伯父バカモードに入ったところで、フィズが「扉開けてきたよ~」と戻ってきた。
いよいよ営業開始だ。
「……な、なんか緊張してきた……」
腕の中のリュカオンを抱きしめると、小さな前足がポンポンと私の腕を叩く。
「案ずるな。こんな寂れたギルドにそんな大勢が押しかけてくる筈もあるまい」
「そっか、そうだよね」
リュカオンがさり気なく失礼なことを言ってるけど、確かにそんなに賑わっているようにも見えない。
フィズと伯父様もすぐ側で手助けしてくれるって言うし、大丈夫か。
――だけどそんな私達の予想とは裏腹に、「なんかちっせぇのがいる」、「人形みたいなのがギルドの受付してる」、「子犬を抱っこした意味分からんくらい顔の整った嬢ちゃんが見られる」とみるみるうちに噂になったらしく、午後には大量の人がギルドに押しかけてきたのだった。