【162】抱っこ紐はできたら遠慮したいです!
一晩が明け、窓からは一筋の光が差し込んでいる。
「……おいお前達、生きているか……」
「な、なんとか……」
「ギリギリね……」
私達三人は、満身創痍で床の上に寝そべっていた。
天下の教皇と皇妃、そして神獣も船にかかればこの有様だ。もしかして、世界最強なのはお船様なのかもしれない。
散々床の上を転がった私だけど、リュカオンと伯父様がクッションになってくれたおかげで痛い思いはしていない。
あ、伯父様の手に擦り傷が……。壁にぶつかった時とかにできたんだろう。
「伯父様、傷が……」
「ん? ああ、この程度大丈夫だよ。むしろ、かわいい姪を守った勲章だと思えば誇らしいくらい。記念にずっと残しておこうかな」
「船から下りたら治すからね」
今日も今日とて伯父様の愛が重い。
床の上で屍になっていると、部屋の扉がコンコンとノックされた。
「――シャノン様、失礼いたします。ご無事ですか!?」
慌てた様子でセレスやオーウェン達が入ってくる。
精も根も尽き果てた私は、床に寝そべったままみんなを迎えた。
いつもは身だしなみに隙のないセレスだけど、今日ばかりは結んでいる髪の毛が乱れているし、服も少しヨレヨレだ。
昨晩は船が揺れに揺れて大変だったもんねぇ。
みんなもまともに睡眠がとれなかっただろうなぁと思っていると、セレスがハッとした表情になった。
「し、シャノン様が床に!!! おいたわしい……」
「シャノン様、失礼します」
オーウェンが私を抱っこし、ベッドの上にソッと寝かせる。
「神獣様は……」
「我は大丈夫だ」
「左様ですか」
答えると、スッと後ろに下がるオーウェン。
その後ろでは、伯父様が「あ、僕のことはスルーですか」って顔で床に寝そべっている。
「に、兄さん……神官様も……」
気まずそうにセレスが指摘すると、オーウェンがようやく伯父様の方に視線を向けた。
「ハッ! も、申し訳ない。シャノン様の方に気を取られていて……」
なるほど、無視したわけじゃなくて伯父様のことは見えてなかったんだね。
「いいえ、主を大切にする、その心意気はとても尊いことだと思いますよ」
忘れられてたことに苦言を呈するかと思いきや、伯父様はなぜか満足そうにオーウェンを褒めた。
あれか、伯父バカ的には姪を第一に考えるというのは合格の行動だったのか。
それからセレスに怪我をしていないかチェックを受けていると、クラレンスがやってきた。
「シャノン様、なんとかその辺の島に船をつけたらしいですけど、下りますか?」
「お、おりる!! いますぐおりる!! ――ぺひょっ」
「あ」
大興奮でベッドから身を乗り出した私は、顔面から床にボテッと落ちた。
「おはよう地面! 久しぶり! 動かない大地!! また会える時が待ち遠しかったよ~!!」
船から下りるや否や、私は大地への愛情を叫んだ。
本当に大切なものって一度離れてみないと気付かないものなんだね。
「あはは、姫が浮気してる」
「浮気認定の範囲が広いのう」
クスクスと笑うフィズに、リュカオンが冷静に返す。
澄まし顔をしているけど、リュカオンも揺れない地面を確かめるように足をふみふみしている。
うんうん、固定された大地のありがたさを身に染みて感じたよね。
微笑ましい気持ちでリュカオンを眺めていると、テディがテコテコとリュカオンに近付いてきた。
「キュッフン」
「ん? おお、狐――じゃなくてテディか。どうしたのだ?」
「キュ、キュキュッ」
「我の心配をしてくれたのか。うむ、船を下りたからもう大丈夫だぞ。何の問題もない」
慈愛に満ちた表情になったリュカオンが、テディの額の辺りに鼻先をスリスリする。
テディも嬉しそうにそれを受け入れ、「キュフッ」とかわいらしい鳴き声を漏らしていた。
心がほんわかするね。寝不足の体に癒しが染み渡るよ。
そう感じたのは私だけではなかったようで、普段は神獣のことを信仰対象として敬っている皇城騎士達も、今は孫を見守る好々爺のような表情をしている。
それから暫く会話をして暇をつぶしていると、船の点検をしていた船長さんがこちらに歩み寄ってきた。
「――申し訳ありません。船の破損が酷く、修理には一週間ほどかかりそうです」
船長さんはそう言って申し訳なさそうに頭を下げた。
「なに、謝ることはないよ。ここまでたどり着けたのが奇跡レベルの嵐だったんだから。むしろ一週間で済むなら上等だ」
「恐れ入ります。修理はなるべく急ぎますので」
「ありがたいけど程々にね。昨晩は君達も疲れただろうから」
「! ご配慮、痛み入ります」
感激した様子の船長さんはペコペコと頭を下げた後、船の方へと戻って行った。
「――フィズ、私達はこれからどうする?」
「とりあえず、ここがどこなのか確認しよう。方角も分からないまま近くの島を目指して来ただけだからね」
広そうな島だけど、私達が上陸したのは、運悪く人の住んでいない場所だったらしい。目の前に広がっているのは人里ではなく森だけだった。
「まあ、これだけ大きな島ならどこかに人が住んでるでしょ。俺はちょっくら街を探して聞き込みをしてこようかな」
フィズが言い終わった瞬間、私ははいっ! と手を上げた。
「はい姫、どうしたの?」
「私も行きたいです!!」
「ん~……、どうしようかな……。確実に人がいるかも定かじゃないし、この森を抜けるのだってどれくらいの危険が付き纏うか分からないから、できたら姫にはここで待っててほしいんだけど……」
「やだ、行きたい」
だって、知らない島に漂流するなんて人生で一度あるかないかの一大イベントだよ? ここで探検せずに船で待っててどうするの。
本当ならここで騎士達と待っているのが賢い選択だとは思うけど、私の唯一の友達がやりたいことはしなさいって教えてくれたからね。
これからは自分の心のままに生きていくと決めているのだ。
フィズを見上げながら、お願いお願いと手を合わせる。
「――ぐぅっ、こんなかわいいおねだり、受け入れないわけにはいかない……!!」
数分もしないうちにフィズが白旗を上げる。
勝った……!
やったぞ、と両手をグーの形で上げて伯父様を見る。
すると、伯父様はへにょりと相好を崩した。
「ふふ、かわいいですね。レッサーパンダの威嚇ですか?」
「ガッツポーズです」
「おっと」
上手く伝わらなかったらしい。
というか、今は威嚇するような場面じゃなかったでしょ。さては会話を聞いてなかったな。
話し合いの結果、オーウェン達や皇城の騎士には船に残って非戦闘職の使用人や船員さん達の護衛をしてもらうことになった。探索に行くのは私、リュカオン、フィズ、伯父様、クラレンス、ノクス、そして契約聖獣のテディで構成されるメンバーだ。このくらいの人数なら、最悪の場合は転移で船まで戻れるからね。
出発の準備をしていると、フィズが真面目な顔をして口を開く。
「でも、やっぱりこの森に魔獣がいる可能性もゼロではないし、姫がその辺のよく分からない植物を口に入れちゃったりしないかも心配だなぁ……」
私はなんでも口に入れる赤ちゃんかな? 冗談で言ってるならまだしも、本気っぽいトーンなのが気になる。
あと、誰か否定してくれないかな?
なくはないな……みたいな顔で揃って苦笑いしてらっしゃるけど。
私のジト目に気付いているのかいないのか、フィズが尚も続ける。
「木の根に足を取られて転ぶのも心配だし……抱っこ紐で背中に固定しちゃう?」
「「「賛成」」」
「反対だよ!」
一体私をなんだと思ってるんだ。
赤ちゃんじゃないんだし、ちゃんと自分の足で森くらい抜けられ…………。
「……私の体力が尽きたらお願いします」
うん、よく考えたら無理かもしれない。
素直にお願いすると、リュカオンに生温かい視線を向けられた。
「……シャノンは自分を客観視できるところが美点だと思うぞ」
「うん、私もそう思う」
私は自分を過信しないのが取り柄だからね。