【161】無駄な教義を作っちゃいけません!
昼寝から目覚めた後も、私達はひたすら部屋の中で船酔いと戦っていた。
「シャノン様……冷たいお水をお持ちしました……」
セレスがソッとコップを差し出してくる。
「あ、ありがとう……」
一気に飲むと気持ち悪さが悪化しそうだったので、ちみちみと水を飲む。セレスはリュカオンと伯父様にもお水を持ってきてくれたらしく、二人も同じようにしていた。
「やっぱり、外の空気を吸いに行かれませんか? 部屋の中にいるよりは気分がマシになるかと」
「気持ちは嬉しいんだけど……今動くと大惨事になりそうだから止めておく……」
「左様ですか。ああ、シャノン様……おいたわしい……!!」
ううむ、まだ船の揺れに慣れる気配がない……。リュカオンと伯父様も同じようで、二人とも揃って青い顔をしている。
つよつよ種族の弱点発見だね。だって、船に乗ってから一時間くらい経ったけど到底魔法なんて使える気がしないもん。
「……リュカオンを仕留める時には船に乗せるのが一番だね……」
「我を仕留めようとするでない、物騒な。……いや、最後はシャノンの手にかけられるのも悪くはないか……?」
「真剣に検討しないでね、物騒だよ」
保護獣の愛が日に日に重みを増してるね。
セレスが退室してから暫くすると、リュカオンがスンスンと鼻をひくつかせた。
「どうしたの?」
「雨の匂いがする。窓は閉めておいた方がよいかもしれぬな」
船乗りさん達の長年培ってきた予測的には、雨は降らないという話らしかったけど……。まあ、天気なんてどうなるか分からないもんね。
私が一番近いから窓を閉めに行ってあげましょう。
ヨタヨタと歩き、開いていた窓を閉じる。さらば新鮮な空気。
「ぐぅっ……!! よちよち歩きのシャノンちゃんもかわいい……!! ああ、小さい時のシャノンちゃんも見たかったなぁ……」
テンションが上がったかと思えば急に病み始める伯父様。忙しいね。
「弟にあやされるシャノンちゃんの、夢の光景が見られるチャンスがあったのに……! ああ、過去の僕はなんてつまらない意地を張ってたんだ……」
「それは過去の己を恨むしかないな。というかそなた、自分の弟のことを『天使』などと呼んでいたのか……」
伯父様にリュカオンがドン引きの視線を送る。
いやいや、あなたも似たようなものですよ? 私に対して「目に入れても痛くないし、口に入れても不味くない」って感じで甘々じゃないの。
リュカオンには今度鏡を見せてあげよう。
リュカオンの追い打ちもあり、伯父様がますますどんよりとして落ち込んでしまった。
うんうん、体調悪い時って思考もついついマイナスに寄っちゃうよね。よく分かるよ。
にしても、こんな伯父様見たことないな……。
「シャノンちゃん……神獣様……僕はもうダメかもしれません……船酔いも悪化の一途で……」
「おいしっかりしろ。かわいい姪にいいところを見せたくはないのか」
「見せた……い……」
「伯父様ーー!?」
ガクッと力尽きた伯父様のもとに慌てて駆け寄る。
どうやら、神獣の血が薄い分、私の方がまだ二人よりは船酔いの程度がマシらしい。それでも気持ち悪いのは悪いんだけど。
よしよしと伯父様の背中を撫でてあげる。
「うぅ……うちの姪っこが優しい。天使だ……」
するとその時、船がグラリと揺れて足が縺れた。
「あ」
足の踏ん張りがきかず、ポスンと伯父様の上に乗ってしまう。
「ぐえっ」
体重をかけた場所が悪かったらしく、伯父様の喉から発されたとは到底考えられないような音が出た。
「ご、ごめん伯父様」
「大丈夫だよ。ミスティ教では背中の上で天使が尻もちをつくと幸福が訪れるっていう言い伝えがあるんだ。僕も今、姪の成長を実感して幸せな気持ちになったから問題ないよ」
「ほう、神聖王国の頃には聞いたことのない逸話だな。いつ頃から語られるようになった話なのだ?」
興味を持ったリュカオンの耳がピンと立ち上がる。
「たった今です。なにせ、僕が教義そのものですから。部下に広めるように指示すれば、明日にでも国中の信者達がこの言い伝えを口にするようになってますよ」
今かい。
リュカオンはさぞシラーッとした目をしているだろうと思ったけど、意外にも穏やかな表情で微笑んでいた。
「教皇、権力を無駄なことに使うのは止めような、分かったか?」
リュカオンが子どもに言い聞かせるような優しい口調で伯父様を諭す。
あ、私と同じ扱いされたね。
すると、リュカオンがこちらに顔を向けた。
「シャノン、気をつけてこやつを見張っておくのだぞ、でなければいつの間にか国教が『シャノンを愛でる会』に変わっている可能性があるからな」
「え、そしたら国も乗っ取れちゃう……!?」
「なぜ前向きに検討してるのだ」
「冗談だよう」
ちょっと乗ってみただけなのに……。
話をしていると気が紛れて少しだけ船酔いがマシになると気付いた私達は、それから暫く雑談に興じた。
――そういえば、さっき窓を閉めた時、遠くの方にやたらと色の濃い雲が見えた気がしたけど、気のせい……だよね……?
人というものはその気になればどこまでも寝られるもので、昼寝をしたにも関わらず夜も問題なく眠りにつくことができた。
伯父様は昼間の流れで、ソファーを変形した簡易ベッドに寝ている。あんなにグッスリ就寝する護衛なんてどこにもいないんじゃないかな。へそ天してたもん。人にもこの言葉が当てはまるのかは分からないけど。
なにはともあれ、船酔いによる疲労で寝ていた私達は深夜に強制的に起床させられた。
誰かに起こされたわけではない。船が大幅に揺れてベッドから落ちたのだ。
「ぴぎゃっ」
「何事だ」
ベッドからは落ちたけど、隣に寝ていたリュカオンがクッションになってくれたので痛みはない。
「シャノンちゃん、大丈夫かい!?」
「う、うん」
私達と同じく、ベッドから転がり落ちて起きたらしい伯父様が駆け寄ってくる。
だけど、同じ部屋にいるはずの伯父様の声はどこか聞こえにくかった。だって、それよりも耳に飛び込んでくる音があるから――
「……すごい音……」
外からはザアアアッと激しく雨が降る音がし、時折雷の音が聞こえてくる始末だ。
「……もしかして、天気大荒れ?」
真っ暗な室内に私の呟きが落ちる。
昼間の嫌な予感が的中したのか……。
そこで、ノックをするや否やフィズが部屋に入ってきた。
「姫、無事!?」
「う、うん。フィズ、これどうなってるの?」
「突然の嵐で海が大荒れしてるようだね。あまり見ないレベルの激しさだから船員達も慌てているようだ」
フィズが言い終わったところで、船長さんが駆けつけてきた。
「陛下、舵が取れません!!」
「!」
一瞬目を見開いたフィズだったけど、すぐに冷静さを取り戻した。
「……とりあえず、どこでもいいから陸を目指して。俺と聖獣騎士達も魔法でアシストしよう。それ以外の者は転倒のおそれがあるから無闇に移動しないように伝達して」
「ハッ!」
指示を受けると、船長さんはすぐに去っていく。
「フィズ……」
「大丈夫、さすがに皇族の乗る船だから沈没はしないよ。姫のために安全性には最大限こだわったからね。……揺れだけは耐えてもらわないといけないけど」
フィズが言い終わった瞬間、船がぐらりと傾いた。
私とリュカオン、そして伯父様は再びベッドからポーンと放り出されるけど、三人纏めてフィズが受け止めてくれる。床が斜めになっている上に三人を抱えても、フィズはよろけもしなかった。
「え、体幹えぐ……」
伯父様がドン引きしたように呟く。
「こやつのフィジカルは化け物級だからな。なにシャノン、心配することはないぞ。最悪の場合は皇帝が近くの島まで泳いで船を押し進めるだろう」
「ほんとに最悪の場合だね」
そんなこと出来るわけないよ! とは言えないけど。だって身体能力の化身だから。フィズもなぜかやる気満々の顔だし。
「――おい皇帝、指揮を執りにいかなくてよいのか?」
「そうしたいところなんだけど……さすがにこの状態の姫達を放っておくのは心配で……」
「私達のことは気にしないで! 大人しく床に転がっておくから!」
「わぁ、すっごく心配な発言」
未だに私達を抱えたままのフィズが眉尻を下げる。
「うむ、我らのことは気にするでない。今の我らにできることは、せめて足手まといにならないようにすることくらいだからのう。シャノンのことは我と教皇で護るゆえ、そなたはさっさと行ってこい」
リュカオンの言葉でフィズが眉間にシワを寄せて少し逡巡する。
だけど、すぐに結論は出たようだ。
「分かった。何かあったらすぐにすぐに呼んでね」
ベッドの上にいてもどうせ落ちるだけだからと、フィズは部屋の端に私達を置く。
「それじゃあ行ってくる」
「いってらっしゃい」
そしてフィズが部屋を出て数秒後、再び大きな揺れがやってきた。
「ふぎゃあ」
「シャノンちゃん!」
ポーンと宙を舞った私を伯父様がキャッチする。
「おお、伯父様ナイスキャッチ」
「シャノンちゃん軽いねぇ。二人集めたらお手玉できそう」
「そこまで軽くはないだろう」
ニコニコと微笑む伯父様にリュカオンの冷静な突っ込みが入る。
伯父様にお手玉される二人の私……想像したらシュールだ。
すると、再び大きな揺れがやってきて私達は部屋の端から端まで転がった。
「……リュカオン、伯父様、これって後どれくらい続くの……?」
「急な嵐と言っておったし……長くても一晩ほどだろう……」
「ひとばん……」
それまで私達の体力は保つんでしょうか……。
いや、保たせるしかない!!
「リュカオン、伯父様、がんばって生き残ろうね……!」
「ああ」
「うん」
三人で円陣を組み、「えいえいおー」と気合いを入れる。
考えてみれば、リュカオンや伯父様をここまで弱らせるなんて中々できることじゃないよね。
神獣の強敵が船だとは……盲点だったね。
なんにせよ、私達の新婚旅行はとんでもない波乱から始まるようだ。