【153】教皇猊下が今日も尊い とある神官視点
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俺は代々続くミスティ教の神官だ。だが、ただの神官ではない。教皇猊下の隠密としてそのお姿を拝見することの許された、極々限られた者のうちの一人なのだ。
俺達は猊下にお仕えするために幼き頃から厳しい訓練を受けている。さらには、秘密保持のために自らで厳格な条件を魔法で課しているので、猊下の情報を外部に漏らすことはない。
訓練は確かに大変だったが、それで猊下のお側に侍ることができると思えば苦ではなかった。
だが、我々のような者が視界に入るなどおこがましいので、猊下にもできる限り姿は隠している。猊下もずっと影から誰かに見られていてはご心労が溜まるだろうと、ミスティ教の隠密はなるべく距離を取る方針なのだ。
プライバシー大事に。
俺も猊下の御身をお守りするためにずっと側についているものかと思ったので、同じく隠密である父からそれを聞いた時は少々意外に思ったものだ。
父は猊下の弟君がいらっしゃった時から仕えているので、俺よりも大分先輩である。
対して、俺が猊下の近くに配属されたのは割と最近のことだ。なので、猊下の弟君のことは知識としては知っていても、実際にお姿を拝見したことはない。
ただ、とても仲睦まじいご兄弟だったようだ。
特に猊下のご愛情が深く、料理なども猊下自らがお作りになっていたらしい。人気のない山の上ではあるが、お二人は和気藹々と暮らしていたそうだ。
ただ、猊下の隠密として配属された当初、俺はその話には懐疑的だった。
なぜなら、猊下は笑うどころか、表情が抜け落ちていたからだ。何の感情も浮かべず、話さない猊下は、ただそこに在るだけだった。
だが、当時の俺はそのお姿が神聖なものに見えて仕方がなかった。これこそが、猊下が神にも等しい存在とあがめられている理由だと思った。父にそれを話したら鼻で笑われたが。
「はぁ、お前は何も分かってないな」
やれやれと肩を竦める父。
古参アピールをされているようで若干腹が立つ。まあ、実際父は猊下の弟君がいた頃から隠密を務めていたので、俺よりも古参であることに間違いはないのだが。
「今の猊下だってそりゃあもう素晴らしいぞ。直視するのも畏れ多いから、俺達は目元を布で覆ってるくらいだ。だが、猊下にはもっと素晴らしいお姿があるんだよ。……もう、見ることはないかもしれないけどな」
悲しげに目を伏せる父は、弟君を失った猊下の心中を慮っているのだろう。
父とそんなやり取りをしてから数年経っても、猊下のいらっしゃる御山は静かなままだった。
だが、ある日突然、それは起った。
神聖図書館のある山に、珍しく人が訪ねてきたのだ。この山に入ることは暗黙の了解的にタブー視されているが、公式に禁止されているわけではない。
怪しい者ならばすぐに排除しようと思ったが、それはこの世のものとは思えぬ程愛らしい容貌の少女だった。
下手をしたら、初めて猊下のご尊顔を拝見した時と同じくらい驚いたかもしれない。
妖精のような顔の少女は、狼の聖獣に跨がっていた。だが、その狼からもどこか、猊下と同じような気配を感じる。
この時点で、俺は彼女達に危険はないと判断した。むしろ、彼女達と猊下の邂逅に自分という不純物が紛れ込んでいていいはずがないと判断し、山の中腹ほどの場所で待機することにしたのだ。同じように、他の隠密にもなにかあればギリギリ駆けつけられる距離で待機するように伝達した。
なので、その後にどんなやり取りがあったのかは、ご本人方以外の誰も知らない。
だが、その少女の訪れは、我らに福音をもたらした。
――猊下が、笑うようになったのだ。
猊下の微笑みを初めて見た時は、周囲にブワリと花が咲き誇ったかと錯覚した。冬だったのにも関わらずだ。
完璧な美貌に少し細められた瞳、ゆるりと弧を描いた薄い唇。
――え、尊っ。
俺の手は知らぬ間に組まれ、膝は地面につき、祈りの体勢になっていた。瞳からは自然と涙が溢れ出る。
猊下がクスクスと微笑んでいる目の前の光景が信じられない。ここは理想郷だったのか……?
父が言っていたのは、こういうことだったのか。
どうしてここに画家はいないんだ。いや、ポッと出の画家に俺ですら長年拝見することのできなかった笑顔を見せるのは非常に業腹だからいいか。
記録に残すことはできないが、この記念すべき光景を記憶に残さねば。
俺はカッと目を見開き、芸術のごとき猊下の微笑みを脳裏に焼き付けることにした。猊下をガン見するなど畏れ多いことだが、今日だけは許してほしい。
やば、顔が良すぎるだろ。なんの感情も浮かべない顔こそ神秘的だと思っていたが、笑顔の方がもっと尊かったわ。
これ、多分変顔してても猊下から神々しさが失われることはないぞ。いや、猊下の素晴らしさは内面にこそあるので、どんな容貌をしているのかなど関係ないのかもしれない。
笑顔が戻られたことに涙ぐみつつも、俺は父達の世代の隠密達の心情を慮った。
猊下のこんな尊い姿を知っていたら、それが失われた時にはどれほどの心痛だっただろう。
あの時、悲しげに目を伏せた父の心情の片鱗が、漸く理解出来た気がした。
もちろん、猊下に笑顔が戻られたのを見た父は号泣した。「まるで……弟君がおられた頃のようだ……」と、歓喜に涙していた。
父がこんなに感情を露わにするところなど見たことがなかったので、俺も少し感じ入ってしまった。
まあ、俺の知らない猊下の表情豊かな様子を知っているのは嫉妬心しか浮かんでこないがな。
とりあえず、俺達の間であの少女と狼が超重要人物として認定されたのは間違いなかった。
――後に皇妃様と神獣様であったと判明したので、俺達は文字通りひっくり返ったわけだが。
それから、猊下が茶葉やお菓子をご所望されることが増えた。
それも、あの少女とお茶飲み友達というものになったからだろう。
我々は大喜びで最高級茶葉を用意し、流行のティーセットを整え、子どもが好きなスイーツをリサーチした。そして各々が我先にと献上をした。いやぁ、あの頃は全員生き生きしてたな。隠密とは思えないくらいの浮かれっぷりだった。
結果、神聖図書館には一気に物が溢れたが、それでも猊下は我々に苦言を呈されることはなかった。
それどころか、少し微笑んで「ありがとう」と仰るのだ。
我々は泣いた。
少女と出会って以来、猊下が元の無表情に戻るようなことにはなっていない。
それどころか、少女が来ている時の猊下は常に微笑みをたたえている。
猊下は、弟君がいらっしゃらなくなって以来中断されていた料理も再開された。あの少女に振る舞うためだろう。
だが、長年のブランクを気にした猊下は、まだ少女にちゃんと食事を振る舞うのには踏み切れていないようだ。
そんな猊下も尊い。
だが、料理の練習を始めたことで猊下の食事量が増えたので、我々はお互いの肩を叩き、喜び合った。
***
季節は変わり、猊下と少女――皇妃様が街に出る日は、もちろん我々は影ながら護衛をした。
普段の俺達は、なにもずっと猊下の側に張り付いているわけではない。神聖なる空間を我々の頻繁な出入りで乱すわけにはいかないからだ。なので、通常は山の外で待機していることが多い。
猊下のお側に寄るのは、物品の受け渡しなど、用事のある時くらいなものだ。
だが、この日ばかりはいつもよりも近い距離で護衛をさせていただいた。街は人通りも多く、何があるか分からないからな。
だから、普段よりも猊下と皇妃様の顔がよく見えた。
――いや、二人の顔がよすぎる。
二人とも意味が分からないくらい整った顔立ちをしているので、多少服装や色を変えたところで庶民の服を着た高貴な方々が誕生するだけだ。食事や生活環境がいいから、肌も髪もすべすべのツヤツヤだし。
むしろ、一般市民に紛れることで異質とも思えるその美貌がさらに際立っているようにすら思える。
それから、子犬に扮した神獣様も。
――神獣様、そんないかにもこの世の全てを知り尽くしています、みたいな顔付きの子犬なんていないですよ!! でも小さなお姿もとてもかっこいいです……!!
予想はしていたが、猊下も皇妃様も慣れない街歩きには苦戦していた。手助けをしたいが、我々はあくまで隠密。あ~、保護してぇ~、という気持ちを抑えて隠密活動に努めなければならない。
てか、皇妃様かわいすぎるな?
顔は片手で掴めそうなくらい小さいし、お目々はくりくりと大きい。手足なんかもスラッと細くて真っ白だ。
だが、それだけじゃない。一挙手一投足がもうかわいらしいのだ。
市街に出るのは初めてであろう皇妃様は、大きな瞳をパチパチと瞬かせ、キョロキョロと周囲を見回している。そのせいで若干足元はおぼつかないが。
ああほら、人にぶつか――らなかったな。皇妃様の進行方向にいた者がサッと道を空けたからだ。
どうやら、猊下や皇妃様、神獣様のオーラのおかげか、周囲の人間が無意識に気を遣ってくれているらしい。
にしても、猊下が及び腰なのに対して皇妃様は興味津々で道を歩いているな。世間知らずがゆえの無鉄砲さか。
子猫がどんなものにも興味を持って飛びついていくのに似たものを感じる。
ぽやぽやのほほんとしている皇妃様は、ついつい手を貸してしまいたくなるような魅力がある。これもある種、人の上に立つ才能と言えるんじゃないだろうか。
この時、皇妃様のことをただの愛らしい少女だと思っていた俺は、その後のクイズ大会で見せられた皇妃様の聡明さに度肝を抜かれることになるのを、まだ知らない。
それからさらに月日が経ったある日、皇妃様が神聖図書館を訪ねてきた。――頭に鍋を被って。
……いや、なぜ?
ぽややんとしたかわいらしい生物の考えることはよく分からないな。まさか、手に持ったお玉は攻撃用なんだろうか。
隠密としては一応警戒した方がいいのだろうかと近くで隠れ、様子を窺っていると、皇妃様は猊下がいないことに首を傾げる。
これは……どうするべきだろうか……。
このまま猊下の姿が見えなければ、皇妃様は帰ってしまうかもしれない。皇妃様と会うチャンス逃したことを知れば、猊下は悲しまれるだろう。
皇妃様をみすみす帰したとなれば、初めて猊下のお叱りを受けることになるかもしれない。……それはまあ、悪くはないが、自分の欲望を優先させるわけにはいかない。
俺は、弟君のお墓参りをされている猊下の元へ皇妃様を案内した。
街で食材を買い込んできた猊下と神獣様、そして皇妃様は、いつもよりも長めにお話をされていた。
俺はもちろん会話の聞こえない場所で待機していたので、話に花を咲かせているんだろうな、としか思わなかったが。
だが、その日以来、猊下の表情が一段と柔らかくなった。
皇妃様方とどんな話をしたのかは分からないが、今までとは桁違いに穏やかな顔をされるようになったのだ。
それは、猊下に心穏やかに過ごしていただくという俺達の願いそのものが体現されたような光景だった。
――皇妃様、神獣様、貴女方には感謝してもしきれません。
何かあれば、我々は必ず貴女方に報いましょう。
猊下を孤独から救い、そのお心まで救ってくださったのだから。
なぜあのお二方がそれをなし得たのかは分からない。だが、猊下が笑えるようになった。これが全てだ。
彼らの関係は、猊下からお伝えされるまで我々は知らなくていいことである。
――まあとりあえず、教皇猊下が今日も尊い。