【151】そうですね、殴らせてください
頭に鍋を被り、お玉を手にして神聖図書館へと一歩足を踏み入れる。
だけど、いつもなら出迎えてくれるはずのおじ様は、そこにはいなかった。
「……あれ?」
そこにあるのは、静かな空間に佇む大量の本棚だけだ。
「お昼寝中かな?」
「赤ちゃんじゃあるまいし、昼寝などせんだろう」
今、リュカオンの言葉に変な副音声が聞こえた気がしたんだけど……気のせいかな。
ワッシャワッシャとリュカオンの頬を撫でくり回していると、背後でシュタッと人が着地する音がした。
「うぉっ」
どこから現れたんだろ。
というか、背後じゃなくて正面からくればいいのに。
突如現れたその人は、白いローブを目深に被っていた。さらに、その隙間からチラリと見える目元は白い布で覆われており、口元は神官服の高い襟で隠されている。
どこかで見たような格好だね。
これだけ全身で主張していれば、ミスティ教の人だということは聞かなくても分かる。
「あの、おじ様はどこにいますか?」
「……こちらへ」
それだけ言って歩き出した神官さんの後ろについて行く。すると、神官さんは神聖図書館の外へと出て、木々の間にひっそりと存在する細道を歩き出した。初めて通る道だ。
少し歩くと、開けた場所に出た。先は崖になっているようで、かなり見晴らしがいい。
空が広く見えるその場所に、おじ様はいた。
……あれ、神官さんがいない。いつの間に。
少し視線を逸らした隙に神官さんが姿を消していた。道案内を終えたから、自発的に姿を消したんだろう。現れるのも急なら、いなくなるのも急だったね。
隠密の人だろうから気にしなくていいだろうと、視線をおじ様の背中へと戻す。
おじ様は、まだこちらには気付いていない。そして、おじ様の視線の先には、ぽつんと建っているお墓があった。
こちらから表情は見えないけれど、その背中はどこか寂しそうだ。
リュカオンと一緒に木の陰に隠れ、お墓の前で佇むおじ様の姿を窺う。だけど、おじ様は中々動かなかった。
ただ息を殺し、おじ様の行動を待つ。
「……退屈だのう……」
暇を持て余したリュカオンが、おそらく無意識に尻尾を一振りした。
ガサガサッ
「あ」
大きく振られた尻尾が落ち葉に当たって音が鳴る。それは、静かなこの場所で相手の注意を引くには十分な音量だった。
顔を上げれば、おじ様の瞳が私達の姿をしっかりと捉えていた。
「あれ? どうしたんですかシャノンちゃん、そんなかわいらしい格好をして」
おじ様には、私の武装がかわいらしい格好に見えるようだ。
だけど、どこかいつもよりも落ち込んだトーンで話すおじ様に、まさかあなたにぶつかりに来ました(物理)なんて言えるわけがなかった。
シャノンちゃんは空気の読める十四歳なのだ。
「え、ええと……おじ様に、お料理を習いに……?」
「ふふ、どうして疑問形なんですか? 今度は料理の特訓がしたくなったんですね」
苦し紛れに絞り出した嘘だったけど、鍋とお玉も相まって疑われはしなかった。
「でも困りましたね、うちには今あまり食材のストックがないんですよ。まずは、買い出しから一緒に行きましょうか」
「……はい」
この鍋を料理に使う気は全くなかったけれど……まあいっか。
そして、私達はいつも通りの変装をして街に出た。
服装はおじ様に借りた外套を着て隠してある。にしても、よく私サイズの外套なんてあったな……。
それから市場に到着したはいいけれど、私には到底なにを買えばいいか分からなかった。
特に作りたいものがあるわけでもないので、メニューはおじ様にお任せだ。
見たこともない食材が買い物籠に吸い込まれていくのをただ眺める。
せめて籠は持とうと申し出たけど、半分以上が埋まっている籠は、到底私が持てるものではなかった。食材の重み、侮りがたしだ。
「シャノンちゃん、僕が持ちますよ」
「……お願いします」
結局、籠はおじ様が持ってくれた。
所狭しと並んでいる見知らぬ食べ物を興味津々で眺めていると、バタバタという足音が聞こえてくる。
そちらを見れば、男の子が駆け回っていた。元気だなぁ。
「ちょっと! 走るの止めなさい!!」
後から追い掛けてきた母親らしき女性が注意するけど、男の子はキャッキャとはしゃいで走るのを止めない。
ところ狭しといろんなお店が出てるし、商品も並んでるからぶつかりそう……。だけど、母親らしき女性は大荷物を抱えているので子どもを追い掛けることができないようだ。
「ねぇ君……」
男の子を止めようと近付いた瞬間、男の子が酒瓶の置いてある棚にぶつかった。
それは結構な衝撃だったようで、大量の瓶がこちらに向かって落ちてくる。
自分達めがけて落ちてくる瓶が、やけにスローモーションに見えた。
「――シャノンちゃん! 危ない!!」
腕を引かれ、強く抱き締められる。
ガッシャーン!!!
大きな音がしたので、反射的にギュッと目を閉じた。
「シャノンちゃん、大丈夫ですか?」
声を掛けられて上を向けば、おじ様が私を覆い隠すようにスッポリと抱きしめていた。
「――おい嬢ちゃん達! 大丈夫か!?」
「は、はい、なんとか」
ガッチリとした体型の店主さんが出てきて、私達の安否を確認する。
「そりゃよかった。だが、商品はダメになっちまってるだろうなぁ――って、あれ? 一個も割れてねぇな……?」
音の割に、地面に落ちた酒瓶は一つも割れていなかった。それどころか、ラベルに傷すら付いていない。
もしやと思い、子犬姿のリュカオン視線を遣れば、フン、と肯定の鼻息を返された。少しぼんやりとした光も見えたから、リュカオンが魔法を使ったんだろう。おかげで瓶は割れていないし、大量の酒瓶に襲われたはずの少年も無傷のようだ。
それから、真っ青になった少年とその母親が平謝りをしていたけど、誰もケガをしなかったし、商品も無事だったので、店主さんも少しのお小言だけで許してあげていた。
「おじ様、ありがとうございます」
「どういたしまして。と言っても、神獣様のおかげで僕が何もしなくても事なきを得たんでしょうけど」
つい体が動いちゃいました、と、おじ様は照れくさそうに微笑んだ。
そして食材を一通り揃えた私達は、神聖図書館に戻った。
キッチンに向かい、テーブルの上に荷物を置くおじ様。
あらかた食材を整理し終えると、おじ様がこちらを振り返る。
「料理は少し休憩してからにしましょうか。お茶でも――」
「――そうですね、おじ様……殴らせてください」
「へ」
急な発言に、笑顔のまま固まるおじ様。
「殴るのがダメなら、お玉で叩くのでもいいです」
「代替案にしては攻撃力は上がってるような気が……。あと、もしかしてそのお玉って攻撃手段として持ってきたんですか?」
「ダメですか?」
お玉を手にしたまま上目遣いでお伺いを立てる。
「うぅっ……かわいい! かわいいけど言ってることが暴君だ……」
「大人しく殴られておけばよいであろう。どうせシャノンの力じゃ多少攻撃されても蚊に刺されるようなものだろう」
「い、いえ、シャノンちゃんの力で殴られたところで痛くも痒くもないんですが、こんなにかわいい生物に殴られるほど嫌われたと思うと心が非情に痛むというか……!!」
二人の私の腕力に対する評価が蚊以下だってことはよく分かったよ。
むぅ、と頬を膨らませると、私の機嫌を損ねたと思ったおじ様がさらに慌てる。それを見て、リュカオンは楽しそうに尻尾を揺らしていた。
「ふむ、大分動揺しておるのぅ」
「た、助けてください神獣様」
「大人しく受け入れろ」
プイッと顔を背けておじ様を拒絶するリュカオン。
「かわいいかわいい妖精さんから自発的にこんな野蛮な発想が出てくるはずがありません。一体誰に何を吹き込まれたんですか?」
「……そなた、モンスターペアレントの素質があるから気をつけるのだぞ?」
おじ様は真剣な顔をしていたし、リュカオンは真顔だった。
「まあ、こうなったのもそなたがきちんとシャノンに向き合わなかったのが悪い。身から出た錆だ」
「向き合わなかったって……」
「そなたに対するシャノンの態度がどこか他人行儀だったのには気付いていただろう。ウラノスとの和平記念式典が終わった後にここで交わした我らの会話でそなたの胸の内や事情は分かっても、それをはいそうですかと受け入れられるかどうかはまた別の話だ。いくら聡くても、シャノンはまだ十四歳の子どもなのだぞ」
そこでおじ様はハッとしたような顔をして、こちらに目を向けた。
あの日――おじ様がリュカオンに私と血縁であること打ち明けた日。私は寝たフリをしていたけれど、本当は全て聞いていた。いや、正確には、本当に寝ていたんだけどおじ様から発される魔力の気配で起きたのだ。
その口から飛び出る情報の数々に、感情を堪えきることはできなかったけど。
私は、自分のスカートをギュッと握りしめる。
「……私は、おじ様と私の関係も、私に対して抱える想いも、全部直接、おじ様の口から聞きたかった。でも、全然言ってくれなくて……私も、自分から話を切り出すことはできないから知らないフリをして……。でもね、私の騎士が、人と打ち解けるにはぶつかってみるといいよって教えてくれたんです」
「シャノンちゃん……」
「でも、どうやったらいいか分からないから、いろいろ迷走して……」
話している途中で、おじ様が私の背中にフワリと手を回した。そして、少しぎこちなく、だけどしっかりと私を抱きしめる。
「……そうだね、全部僕が悪い。シャノンちゃんが聞いてただろうからいいと思って、直接話すことを避けた臆病者が悪いんだ。君は、まだたった十四歳の女の子なのに。身内である僕が、誰よりも守らないといけないのに……」
それから、おじ様は、私の背中を撫でながらポツリポツリと話をしてくれた。
自分が私の父親の兄であること。自分から弟を奪った女性との子どもである私にどう接していいか分からなくて、積極的に関わろうとしなかったこと。
それから、自分に神獣の血が入っていることや、ミスティ教の創設者がおじ様だということ。
さっき見たお墓は、おじ様が建てた私のお父様のお墓だということ。
――そして、お父様とお母様が命を懸けて私の命を長らえさせたこと。
以前、狸寝入りを決め込んでいた時に耳にした内容だけど、おじ様は全て、一から丁寧に説明してくれた。
話し終わる頃には、二時間以上が経過していて、私もおじ様も喉がカラカラだった。
「シャノンちゃん、本当にごめん。だけど、君のことを慈しむ気持ちは本物なんだ。君が幸せになるためなら自分の命も惜しくない。こんな臆病者でも、君の家族にしてくれないかな……?」
おそるおそるこちらを窺うおじ様。
「――せいっ」
不安げなおじ様のシミ一つない滑らかな頬に、私はグーパンチをお見舞いした。
予想もしていなかっただろう私の攻撃に、おじ様は目を白黒させる。
「もう命を懸けられるのは御免です。……だから、健康で長生きしてね――」
「――伯父様」
「!」
目の大きな瞳がハッと見開かれる。
音は変わらないけど、そこに込めた想いは今までとは明確に異なる。そして、それを伯父様も感じ取ったようだ。
伯父様はその後、泣きそうな、それでいて幸せそうな笑みを浮かべた。
「――ありがとう、シャノンちゃん」
◇◆◇
「シャノンちゃん、自分で歩かないの?」
「歩かない。玄関まで抱っこして」
「~~っ! かわっ……!!」
「おうおう、悶えておるのう。シャノンを落とすなよ」
悶絶する伯父様をリュカオンが冷やかす。
「そんなことするはずないじゃないですか。僕はもう二度と、シャノンちゃんの身も心も傷付けるつもりはないんですから。あー、僕の姪がかわいいなー」
うりうりと頬ずりをしてくる伯父様。
「シャノンちゃん、何か欲しいものはない? なんでもいいよ。あ、教皇の座でもいる?」
「いらない」
そのテンションで受け渡そうとするには重すぎるプレゼントだ。
というか、そんな簡単にあげていいものじゃないと思う。
「じゃあ宝石とかはどう? いい鉱山を知ってるんだけど」
「いらない」
普通に宝石でいいのに、どうして大元をプレゼントしようとしてくるのか……。
この発想、どこぞのフィズを思わせるね。
――お父様、お母様、私は無事に伯父様と和解できたようです。
ただその結果、見事な伯父バカが誕生しました。





