【150】ぶつかるって、物理的に?
「ノクス~、今度の休み、買い物に付き合ってくれない?」
「ん」
クラレンスの誘いにコクリと頷くノクス。なぜか腕の中の狐も一緒に頷いている。かわいいけどあなたまだ外出できないでしょ。
にしても――
「本当に仲良くなったねぇ」
そう呟くと、クラレンスが即座にこちらに気付いた。そして、ふふんとドヤ顔をする。
む、もしかしてこれがマウントってやつ?
「私だってノクスと仲良しだもん。ノクスとの付き合いはクラレンスよりも長いもん」
「シャノン様、大事なのは付き合いの長さじゃなくて深さですよ」
いつもよりも五割増しの爽やかな笑顔でクラレンスは言う。
「そうだよね~ノクス」
ノクスに同意を求めるクラレンス。
「いやいや、すっかり勝ち誇った顔してるけど、私の方が仲良しだよね!?」
「僕だよね?」
ズイッと二人でノクスに詰め寄る。すると、ノクスが僅かに眉間にシワを寄せた。
「んー……」
ま、迷ってる……!!
圧勝だとばかり思ってたから、ノクスが即答ではなかったことに私は少なからず衝撃を受けた。
ショックのあまりフラリと後ずさると、すかさずリュカオンが受け止めに私の背後へ回り込んで来てくれる。もっふりとした毛が私の背中を包み込んでくれた。
「いつの間にこんなに仲良く……」
思わず呟くと、クラレンスがふふんと鼻を鳴らす。
「シャノン様、仲良くなるのに大事なのはぶつかってみることですよ」
「ぶつかってみる……」
ほうほう、と頷きながらクラレンスの話を聞く。
すると、ノクスがジト目でクラレンスを見上げた。
「……お前、人にアドバイスできる立場じゃないだろ……」
おお! ノクスが人にツッコミを……!!
ノクスの成長を垣間見てついつい感動してしまった。
「あはは、シャノン様が我が子の成長を実感する親の顔をしてる」
「一番成長を見守られる側のはずなのだがな」
「俺の方が……多分年上なのに……」
順にクラレンス、リュカオン、ノクスの発言だ。
なんだよ、私が親みたいな顔しちゃダメなのか。
ぷぅ、と両頬を膨らませる。
「あはは、そっちの表情の方が似合ってますよ。その顔面のクオリティで慈愛に満ちた表情をされると聖母様にしか見えなくて落ち着きませんから」
顔面のクオリティ……これって褒められてるのかな?
「キュッキュキュッ!!」
首を傾げていると、ノクスの腕の中の狐が鳴き声を上げた。
どうしたんだろうと疑問に思う間もなく、リュカオンが通訳をしてくれる。
「その黒いのと一番仲が良いのは自分だと主張しているようだぞ」
「キュッフン!」
ノクスの腕の中で「その通り!」とばかりに頷く狐。そんな狐の頭を、ノクスがよしよしと撫でる。
「確かに……一番仲がいいのは、狐だ……」
「キュッ」
「「……」」
とんでもないドヤ顔でこちらを見る狐に、私とクラレンスは何も言い返すことができなかった。
それは狐の表情筋ってそんなに豊かに動くんだと思うくらい、小憎たらしい表情だった。
書庫を出て廊下を歩いていると、ちょうど少し先にフィズが歩いていた。私は反射的にその後を追って走り出す。
早歩き程度のスピードしか出ていなくても、走っているものは走っているのだ。
なるべく足音を消したつもりだったけど、そこはさすがフィズ、すぐにこちらに気付いた。
「あれ? どうしたの姫?」
「せいっ!」
こちらを振り返ったフィズの横っ腹に、思いっきり体当たりをする。
かなりの勢いだったはずなのに、いとも簡単にふわりと抱き留められてしまった。
「? どうしたの? よろけちゃった? 走ったら危ないよ」
「……」
力一杯タックルしたつもりなんだけど……。フィズからしたら、少し転んだのを受け止めたくらいの衝撃しか与えられなかったようだ。
いともたやすく受け止めたフィズは、そのまま私をお姫様抱っこしてくれた。
どこの王子様かな? いや、もう皇帝か。
「姫が元気よく走ってるなんて珍しい。かわいいね」
ニコニコと微笑むフィズの瞳はとても穏やかだ。
これはあれだ、ぽてぽてと一生懸命足を動かす子猫を見守るような、そんな目だね。
「でも、こんな廊下を走ってどうしたの? 走る練習なら、もう少し柔らかい絨毯が敷いてある所の方がいいんじゃない?」
走る練習とは? と思ったけど、とりあえずフィズの質問に答える。
「クラレンスが、仲良くなりたかったらぶつかってみろって言うから……」
「誰も物理的にぶつかれなんて言ってないですけどね」
ゆったりとこちらに歩いてくるクラレンス。その後ろからはノクスとリュカオンがついてきている。
フィズは私を抱っこしたままクラレンスを見遣った。
「君が姫に何か入れ知恵したの?」
「へ、変なことは言ってませんよ!? 人と仲良くなりたかったら、時にはぶつかってみることも大切だってアドバイスをしただけで」
ビビりつつも反論するクラレンス。
「仲良く……姫、俺と仲良くなりたいと思ってくれたの?」
「うん、私とフィズはもう仲良しだけど、もっと仲良しになりたいの」
「――っ! かわいい!! なにこのかわいい生物!!」
感極まったフィズが私を高い高いし、そのままクルクルと回る。
わぁ楽しい。
フィズは私が目を回す前に高い高いを止め、床に下ろしてくれた。切り上げるタイミングが完璧だ。さすがフィズ。
着地すると、すぐさまリュカオンが寄ってきて私の頬に鼻先を擦り付ける。酔っていないか確認しているんだろう。
スリスリを受け入れていると、不意にリュカオンが何かを思い出したようにフィズを見上げた。
「そういえばそなた、いつまで離宮にいるのだ?」
「ん?」
「すっとぼけるでない。そなたがここに滞在するのは、アリスを狙ってきた者達が万が一襲撃してきた場合に備えてではなかったか?」
「そうだったっけ?」
無駄にいい笑顔でとぼけるフィズ。
「無駄に高性能なそなたの脳みそがこの程度のことを忘れているはずがなかろう。とぼけおって」
「別に俺がいても問題はないでしょ? ねー姫」
「ねー」
「出て行く気がないのは分かった。たしかに不利益はないから我はどうでもよいが」
呆れ顔で尻尾を一振りするリュカオン。
……ん?
不意に視界の端に違和感を覚えてそちらを見る。するとそこには、笑顔を貼り付けたままズリズリと後退するクラレンスの姿があった。
「……相変わらずフィズのこと苦手だね」
「苦手じゃないですよ、怯えてるだけです」
模範的な笑顔で堂々と言い放つクラレンス。いっそ清々しいね。
フィズが離宮にお引っ越ししてきてからは顔を合わせる機会も少なくないし、そろそろ克服してもよさそうなものだけどなぁ。
ノクスとも和解したんだから、フィズと仲良くなるのも難しいことではなさそうだけど……。
「クラレンスもフィズにぶつかってみたら?」
「遠回しな解雇宣言ですかね? シャノン様だから許されるのであって、僕がやったらはじき飛ばされてボコボコにされますよ」
どこか遠い目をして言う。
クラレンスの中でのフィズは相変わらず暴君みたいだね。
「でも、目の前でそれを言えるくらいなら大丈夫じゃない?」
「ヒッ」
いつの間にか背後をとっていたフィズに驚いたクラレンスは、慌てて私の背中に隠れる。情けない悲鳴付きだ。せっかくの王子様フェイスが台無しだね。
「お前……主君を盾にするなよ……」
「キュゥン……」
ノクスと狐は、この上なく情けないものを見る目でクラレンスを見下ろす。
「陛下がシャノン様を害するわけないから、この場合はシャノン様に盾になっていただくのが正解なんだよ」
「騎士のくせに姫を盾にしたのは気に食わないけど、俺が姫を害するはずがないって理解は正解だね。ご褒美に一連の不躾な言動は忘れてあげよう。じゃあ、俺はそろそろ仕事に戻るから姫の護衛を頼んだよ」
「ハッ!」
フィズの言葉に、騎士らしいしっかりとした返事をするクラレンス。
そして、フィズは仕事に向かっていってしまった。
う~ん、クラレンスの言う通りぶつかってみたわけだけど、特にフィズとの仲が深まった感じはしないなぁ。
「うまくぶつかれなかったみたい」
「だから物理的にぶつかるわけじゃないんですよ……って、僕の声聞こえてます?」
頭上でクラレンスが何やらぶつくさ言っている。
「まあ、シャノン様は誰かと喧嘩したり気まずい関係になることもないでしょうし、和解の方法なんて知らなくてもいいんじゃないですか?」
あっけらかんとした様子で言うクラレンスとは対照的に、私とリュカオンは黙り込む。
「……」
「……」
「え、なんですかこの空気? なんか触れちゃいけないことに触れちゃいましたか?」
空気が一転したことで、普段の爽やかな笑顔に「やべっ」と焦るような色を滲ませるクラレンス。
「ううん。クラレンスは何も悪いことは言ってないよ」
ただ、私にも和解をしたい人はいるってだけの話だ。
そうだね、クラレンスも頑張ってノクスと和解したんだもんね。私も主として、いつまでも目を背けてちゃいけないよね。
頭の中で、親友の声が蘇る。
『もう少し話してごらんなさい。彼らも、急に愛する身内をなくしてどうしたらいいのか分からなかっただけなのよ』
――うん、いってくるね。
そんな会話をした翌日、私はおじ様のいる神聖図書館へとやってきていた。
思い立ったが吉日である。
目的はもちろん、おじ様と”ぶつかって”打ち解けるためだ。
そのための装備も万全である。
頭には鍋をかぶり、武器としてお玉を手にしている。
この装備をチョイスしたのは、私の手に届く場所にある金属がこれくらいしかなかったからだ。
剣や甲冑などのちゃんとした武器は「シャノン様はそんな危ないものに近付いちゃメ!」と、私の目や手の届かない場所に保管されている。それ系は何気にクラレンスが徹底しているので、甲冑などを持ち出すことは難しい。
そもそも本物の武器は重たくて装備したら動けないしね。
そこで、私が選んだのは鍋とお玉だったというわけだ。
料理をしに厨房に入った経験が役に立ったね。
昨日は生身のまま突撃してみたけど、フィズにはなんの効果もなかった。なので、その反省を活かしで今日は装備を強化してみたというわけだ。
むんっと意気込む私を見て、リュカオンがなんとも言えない顔をする。
「……その姿、シャノンの侍女達が見たら泣くであろうな」
さすがの私もセレス達の前で頭に鍋を被ったりはしないよ。お行儀が悪いもん。
なにはともあれ、準備は万端だ。
「――よしっ。それじゃあ、いざ出陣だよ!」
お玉を掲げた私は、神聖図書館へ向けて一歩足を踏み出した。