【149】非常食にする気か!!
アリスの一件が丸く収まってから約一週間後、フィズは周りに花が見えるくらいご機嫌だった。
「姫、どこ行く? 山の方もいいけど、やっぱり定番の海かな」
嬉しそうに冊子をペラペラと捲って私に見せるフィズ。もう既に旅行の前日並のテンションである。
「姫はどっちがいい?」
「どっちも行ったことない」
「じゃあどっちも行こうか~」
「どっちも行こうか~……じゃないんですよ!」
フィズの側近であるアダムが叫ぶ。
すると、フィズがようやくパンフレットから顔を下げた。
「あ、アダム、いたの?」
「いたの? じゃないですよ。新婚旅行に行くのはいいですが、その前にあらかた仕事を終わらせてもらわないと」
「まあ、だよね。ごめんね姫、仕事を片付けるから旅行に出発するのはもうちょっと待っててくれる?」
「分かった」
申し訳なさそうなフィズに向けてコクリと頷く。
「……でも、なるべく早く行きたいな……」
ポツリとそう言い、おそるおそる顔を上げる。すると、フィズが満面の笑みを浮かべていた。
「いい子だね姫、ちゃんと自分の希望を言えて偉いね」
脇に手を差し込んで私を高い高いするフィズ。そしてよしよしと頭を撫でられる。
ちょっと我が儘言っただけでこんなに褒められるとは。お得だ。
世の中のお姫様やお嬢様が我が儘になってしまう理由が、ちょっと分かったかもしれない。
私のことをペットの猫ちゃんよろしくかわいがったフィズは、アダムに連れられてお仕事へと旅立っていった。
がんばってね~。
手をフリフリして見送った後、私はフィズが置いていったパンフレットにもう一度目を通した。
だけど、それでもまだ私のはやる心は満足させられない。
「リュカオンリュカオン、うちの書庫にも旅行関連の本ってあるかな」
「あるかもしれぬな。探しに行くか?」
「うん!」
リュカオンに乗って廊下を歩き、書庫の入り口までやって来ると、中から物音が聞こえてきた。
「あれ? 先客だ。珍しい」
書庫なんて普段は私くらいしか使わないのに、今日はどうやら既に誰かがいるらしい。
集中しているところの邪魔をすると悪いので、扉の隙間からソッと中を覗き込む。
中にいたのは、人間が二人に毛玉が一匹だ。
どうやら二人は何か話しているらしく、耳を澄ませると会話の内容が聞こえてくる。
「茶色……」
「いやいや、それただの体毛の色じゃん。狐なんてほとんどの個体が茶色でしょ」
中にいたのは、ノクスとクラレンス、そして狐だ。あの二人は、以前ではほとんど見ることのなかったペアである。
クラレンスの所業のせいで距離のあった二人だけど、どうやらアリスを国に送り届ける道中で和解したらしい。
帰ってきてからはあの二人の組み合わせを見ることも珍しいことではなくなっていた。お互いに遠慮のなくなった二人の掛け合いは、聞いていると面白さすら感じる。
邪魔しちゃ悪いし、このまま立ち去ろうかどうか迷っていると、あくびをしていた狐がこちらに気付いた。
「キュッ!」
「? ……あ、シャノン様」
クラレンスの灰色の瞳がしっかりと私の姿を捉える。
見つかっちゃったね。
扉を開き、リュカオンと一緒に書庫の中に足を踏み入れる。
「シャノン様……どうしたんですか……?」
「ちょっと本を探しに。ノクス達はなにしてるの?」
「狐の名前……考えてました……」
そう言うノクスの目の前の机には、命名に関する本が数冊広げられている。
聖獣と契約する際は、基本的に契約者が聖獣に名前を付ける。狐はノクスとの契約を希望しているので、ノクスが狐に付けるための名前を考えているんだろう。クラレンスは多分お手伝いだ。
「ついに狐呼びも終わりかぁ。なんか感慨深いねぇ」
シャノンちゃん、しみじみしちゃうよ。
すっかり狐呼びにも慣れちゃったけど、そういえばただの種族名だもんね。
……ん?
そこで、私はあることに気付いた。
私が来た時、『茶色』とかなんとか聞こえたんだけど? 名前を決めてたんだよね……?
「ええと、ちなみに今まで候補に挙がった名前は……?」
おそるおそる問いかける。
すると、クラレンスがニッコリと笑って口を開いた。
「『茶色』、『フサフサ』、『いい匂い』、『ぬくい』、『柔らかい』です」
「おぉう……」
「到底どれも名前とは思えぬな……」
というかほぼほぼノクスが狐を抱っこした時の感想じゃん。狐を抱っこしてる時も表情は変わらないけど、いい匂いとかぬくいとか思ってたんだ。
なるほど、ノクスは名付けのセンスがちょっとあれらしい。
「そうだ、好きなものの名前とか付けてみたらどう?」
「好きなもの……『アリス』……?」
「主君の名前を付けるんじゃないよ。あとこの子オスでしょう」
クラレンスがノクスの頭を軽くチョップする。
「……」
「他に好きなものはないの?」
「……串焼き、ステーキ、オムレツ」
「普通に好きなものを答えてどうすんの。しかも食べ物ばっかり。君はこの子を非常食にでもするつもり?」
「キュッ!?」
狐がギョッとした顔でノクスを見上げる。
「そんなこと、しない……」
狐を宥めるようによしよしと頭を撫でるノクス。
「もっとかわいい名前とかはどう?」
「……クッキーとか、マカロンとか……?」
お、ちょっと名前に近付いた。
「いいんじゃない? クラレンスどう?」
センスのありそうなクラレンスに意見を求める。すると、クラレンスはまだ若干渋い顔をしていた。
「あれ? まだダメ?」
「いえ、普通のペットの名前としてはかわいいと思います。ですが、シャノン様やあのお姫様の騎士として立つ時、聖獣がクッキーやマカロンなんて名前だったら格好がつかなくないですか?」
眉尻を下げて微笑むクラレンス。
確かに……かっちりとした騎士服に身を包んだ人が、緊迫した場面で「行け! マカロン!」とか言ったらちょっぴり拍子抜けかも。
なるほど、だからみんな聖獣にはかっこいい名前を付けるのか。納得だ。
「シャノン様は、どうやって決めたんですか……?」
そう言ってノクスがリュカオンの方を見遣る。
「リュカオンは元々名前があったから、私が付けたわけじゃないんだよね」
「なるほど、聖獣ではないですもんね。ちなみに、シャノン様が神獣様に名前を付けるとしたらどんなのにしますか?」
クラレンスに問いかけられる。
う~ん、リュカオンに名付けるとしたらかぁ……。
私は側らの狼さんを見遣った。
私の契約神獣であるリュカオンは、銀色の毛に紫色の瞳をした狼さんだ。今日もキリッとしてかっこいい顔をしている。
リュカオンは最初から自分で名乗ってたし、名前を付けるとしたらなんて考えたこともなかったなぁ……。
「う~ん……凜々しい顔をしてるから、リリちゃんとか?」
「我はオスだが」
「シャノン様もノクスと同レベルですね」
不評である。
むぅ、割と真面目に考えたのに。
「でも、ノクスと同レベルは酷くない?」
クラレンスを見上げて唇を尖らせる。
「いやそれ、さり気なくシャノン様の方が酷いですよ?」
「俺……そんなに……?」
「あ、ごめん」
慌ててノクスに謝る。
「そうだ、狐はなにか希望はないの?」
「キュッキュキュッ!!」
「そやつに頑張って考えてほしいそうだぞ」
リュカオンが通訳をしてくれる。
「名前は親から子への最初のプレゼントというが、聖獣と契約者の間でも似たようなものだからな。信頼関係を築く一歩目として、聖獣に似合う名前を考えるのも契約者の務めというものだ」
「そう……なんですか……」
「ああ、だから急がず、ゆっくりとお互いに満足のいく名前を考えてやれ。急いで契約をしなければならない理由もないわけだしな」
「……はい、ありがとうございます」
「キュッ」
ノクスと狐が揃ってペコリと頭を下げる。
まだ正式な契約は成ってない二人だけど、既に息はピッタリだ。
「――そういえば、シャノン様はどうしてここに?」
「ハッ! そうだった、旅行関係の本を探しに来たんだった!」
クラレンスの問いかけで私は本来の目的を思い出した。
狐の名前に気を取られてすっかり忘れてたよ。
「旅行? ……ああ、陛下との新婚旅行ですか」
「うん、二人は旅行したことある?」
「ありませんね」
「アリス様とこの国に来たのが……最初で最後です……」
「おお……」
二人共、私とそんなに変わらないね。
それもそっか、クラレンスは元々国の奥の手的な存在だったし、ノクスも拾われてからはずっとお姫様の側に侍ってただろうから、旅行をする機会なんてなかったんだろう。
「本を探すの、僕達もお手伝いしましょうか?」
「じゃあお願いしようかな」
クラレンスの申し出をありがたく受け入れる。
それから旅行初心者の私達は一緒に本を探し、国内の観光地を見てみんなで盛り上がった。