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【147】一時の別れ





 それから程なくして、離宮の庭に一頭の虎が現れた。

 最初に気付いたのはリュカオンだ。床にベタッと伏せていたリュカオンが唐突にピクリと耳を動かし、ムクリと起き上がった。


「リュカオン」

「来たぞ」

「え、何が?」

「外を見ておれ」

「?」


 リュカオンに促されて窓から外を見る。すると、離宮の敷地を囲っている木を飛び越えて白い巨体が現れた。

 巨体に似合わずスタッと着地をしたそれの背中には、二人の人間が跨がっていた。

 壮年くらいの男女が一人ずつだ。まさか――

 私はガバッと隣のフィズを見上げた。


「来たみたいだね。思ったよりも早かったなぁ」


 のほほんと笑ってらっしゃる。

 そんなフィズの視線の先では、どことなくアリスの面影を感じる二人が白虎から下りてくるところだった。

 いや、アリスが二人の特徴を引き継いでるのか。

 そんな二人を見て、アリスがポツリと呟く。


「お父様……お母様……」


 ですよね。

 国王夫妻、虎に乗って来ちゃったよ。


「お父様とお母様が虎で……」


 あ、やっぱり気付くよね。

 ふらりとよろけたアリスをノクスが支えた。


「まあまあ、過程なんてどうでもいいじゃない。早く顔を見せて安心させてあげたら」

「……それもそうですわね。ノクス、行きましょう。連れて行ってちょうだい」

「はい」


 ノクスはアリスを抱き上げると、そのままアリスの両親のもとへと向かった――ベランダから。

 外に出ると、そこからなんの躊躇もなく飛び降りるノクス。


「ちょっ! そこからじゃなああああぁぁぁぃ!!」


 叫び声と共に眼前からアリスの姿が消えた。

 ノクス的にはアリスを早くご両親に会わせてあげようと思ったんだよね……。


 ――それから数秒後の庭には、両親に力強く抱きしめられるアリスの姿があった。










 その日の夜更け、アリスが私の部屋を訪ねてきた。


「シャノン、入ってもいいかしら」

「もちろん!」


 そして入ってきたアリスの腕には、チェス盤と駒が抱えられていた。

 部屋の中に足を踏み入れたアリスがニッコリと笑う。


「――中々眠れなくて。一戦しない?」

「! もちろん!」




 カツンカツンと、チェス盤に駒を置く音が妙に大きく聞こえる。深夜で他に音がないからだろう。


「ご両親とは話せた?」

「ええ、たくさん話して、たくさん怒られて、たくさん抱きしめられたわ。お兄様や妹達までは来られなかったみたいだけれど、両親に会えただけでも夢みたいよ」

「そっか、よかった。私のところに来ちゃってよかったの?」

「いいのよ。二人とも、一頻ひとしきり話したら気絶するように寝てしまったもの。道中で体力を使い切ってしまったみたい」

「あはは……」


 そりゃあ、普段は最高品質の馬車で移動する人達が鞍もなしに虎で移動だもんね……。むしろここまで辿り着いたのが奇跡だ。


「二人にはくれぐれも健康で長生きするように言っておいたわ。私が起きる十年後まで、元気でいてもらわないと困るもの」

「そっか」

「ええ。まあ、二人ともまだまだ若いからそんな心配も杞憂なのだけれど……」


 そこで、アリスが顔を上げてこちらを見た。


「――シャノン、そんなに泣いていたら盤面が見えないわよ」

「え」


 目元に手を当てると、大粒の涙がボロボロと溢れ出て私の頬を濡らしていた。


「シャノン、泣かないでちょうだい」

「でも、私……私がもっとがんばってたら……アリスが失う時間がもっと少なく……」

「シャノンは十分頑張ってくれたわ。私が両親と未来の話をできたのも、全てシャノンのおかげよ。……だから、どうか涙を止めてちょうだい」


 眉尻を下げて微笑むアリス。

 アリスを困らせたくはないのに、私の涙は中々止まってくれなかった。

 対面のアリスがハンカチで拭ってくれるけど、私の涙は絶え間なくアリスのハンカチを濡らす。


「……シャノン、もしかして寂しがってくれてるの……?」


 さびしい? ……そっか、私はさびしいのか……。

 なんだか腑に落ちた。

 私の心が痛いのは罪悪感せいだけかと思ったけど、十年もアリスと話せないのが寂しいのもあって私は泣いてるのか。


「シャノンは器用だけど、自分の感情にはちょっぴり不器用なのね……」

「……そう、なのかな……」


 私は働かない頭で自分の駒を動かした。


「あの強い旦那様とこの神獣様がついているから大丈夫でしょうけど、なんだかシャノンのことが心配になってきたわ……」


 不安そうにこちらを見るアリス。その紫色の瞳に映っている私は、リュカオンに鼻をかませてもらっている。

 たしかに、こんな体たらくでは心配にもなるだろう。


「――そうだシャノン、眠りから覚めたら巫女の力は使えなくなってしまうのだし、最後にあなたのことを視てみてもいいかしら」

「え、でも体は……」

「一回くらい大丈夫よ。まあ、ちゃんと使えるか分からないけれど。試すだけ試してみてもいいかしら」

「え……」

「とりあえず試してみるわね」

「あ、ちょっ――」


 止める間もなく、アリスの瞳が淡く光り始める。

 その瞬間、妙な感覚に襲われた。瞬き一つの間に、これまでの人生が走馬灯のように頭の中を駆け巡る。


「――っ」


 そして私の頭の中の映像が収まると、アリスがゆっくりと瞳を閉じた。


「――そうだったの。シャノン、あなたも数奇な運命のもとに生きていたのね」

「……何が視えたの?」

「シャノンのこれまでの人生とその周辺事項。そしてこれからの人生が少しだけ」

「そっか……」


 それからアリスは目を伏せると、そのままゆっくりと頭を下げた。


「え!? どうしたのアリス!?」

「知らなかったこととはいえ、無神経なことを言ったわ。私が国に帰らない理由をあなたに話した時のことよ」


 その言葉で記憶を探れば、つい先日のアリスの言葉が脳裏に蘇った。


 『わたくしは大切な人達が禁忌に手を染めるのは嫌なの。誰かの屍の上に立ってまで、私は生き延びようとは思わないのよ』


 他意のない言葉だったから気にしてはいなかった。だけど、それを聞いた瞬間ドキリとしたのは確かだ。

 ――まるで、自分のことを言われているようだったから。

 アリスは、私の両親のことも視えてしまったんだろう。だからこそ、自分が無神経な発言をしてしまったと省みているのだ。


「気にしてないのに」

「私が気にするのよ」


 すると、対面のアリスが回ってきてギュッと私のことを抱きしめた。


「シャノン、この言葉をあなたに言うのは間違っているかもしれないけれど、言わせてちょうだい。私、あなたがこの場にいてくれてとても嬉しいわ。生きていてくれて、ありがとう」

「――っ」


 私はアリスの背中に回そうと手を持ち上げたけど、少し躊躇った後に手を下ろした。 


「そして、お節介だけれど言わせてちょうだい。シャノン、あなたは本当にご両親に愛されていたのよ。あなたがここにいることが、ご両親の愛そのものだもの。それから、あなたの伯父様達とも、もう少し話してごらんなさい。彼らも、急に愛する身内をなくしてどうしたらいいのか分からなかっただけなのよ。あなたのことを愛していないわけじゃないわ。重たい愛の行き場をなくしてこじらせただけだから、許してあげられそうなら許してあげて」

「……」

「すぐにじゃなくていいのよ。私達にはまだまだ時間があるのだから。もし許せなさそうなら、十年後、私と一緒にあの方々を殴りにいきましょう」


 うん、と小さく返事をした私の頬は、温かいなにかがひっきりなしに伝って止まらなかった。





 それから私が落ち着くまでの間、アリスと静かにチェスを打った。

 といっても、私はほとんど頭が働いていないのでただ駒を移動させるだけの作業だったけど。

 そんな状況では、勝負の結果も自明だ。


「――チェックメイト。私の勝ちね」

「あ……」


 なんともあっけない決着だった。


「多少卑怯な気がしないでもないけれど、勝ちは勝ちよ。さて、勝った方は何でも一つ言うことをきいてもらえるのだったわよね」

「うん、なんでも言って」


 すると、アリスはふわりと柔らかく微笑み、その場で深々と頭を下げた。


「――シャノン、ノクスのこと、どうかよろしくお願いします」


 アリス、あなたはどこまでも……。

 ここで応えなければ、私が廃るね。



「――はい、任されました」






 ◇◆◇






 翌日、ついにアリスが眠りにつく日になった。

 空も気持ちよくアリスを送り出したいと思っているのか、雲一つない快晴だ。


 この離宮で私とリュカオンが魔法を施し、眠りについたアリスは秘密裏に国に送られることになっている。アリスのために駆けつけたご両親も一緒に帰国する予定だ。


「ああっ! この小さくて愛らしいシャノンを拝めるのも今日が最後なのね……! 華奢な体を抱きしめさせて。しっかり記憶しておきたいの」

「……」

「嫌そうな顔もキュートね」


 すっかり出会った頃のアリスのテンションだ。

 私が断れきれないのをいいことに抱きしめてくるアリス。


「そういえば、アリスは出会った時から私への好感度が高かったよね。なんで? 私がかわいいから?」

「自己肯定感が高いのもかわいいわ。そうね、もちろんかわいいからよ。あと、私が小さい頃から大事にしていた妖精さんのお人形に似ているの。初めてシャノンを見た時は私のお人形に命が宿ったのかと思ったわ」


 そんな話をしていると、ノクスがテコテコと歩いてきた。


「アリス様」

「ノクス」


 ノクスは、心なしかいつもよりも背筋を伸ばしてアリスと向かい合う。


「俺、立派な人間になります。堂々とアリス様の隣に立てるくらい、立派な人間に」

「――ええ、期待しているわ。……って、あら?」


 少し目を見開いたアリスの視線の先を追うと、狐がテッテコテッテコと駆け寄ってくるところだった。


「キュッ!」

「狐?」


 狐がこの場に姿を現したことに、私は少なからず驚いていた。この場には私やアリス、ノクスだけでなくフィズや侍女達もいるからだ。

 人の多いところに狐が現れたことなんて今までなかったのに……どうしたんだろう。

 走ってきた狐は、ノクスを見上げて「キュッキュキュッ!!」と必死に鳴く。なんて言ってるんだろう。


「ノクス分かる?」

「いえ……初めての鳴き方で……」


 ノクスが首を傾げている間も狐が必死に鳴き声を上げ続ける。

 すると、リュカオンがのっそのっそと歩み寄ってきた。


「そこの黒いのと契約をしようと言っているようだぞ」

「契約? ……ってもしかして聖獣の?」

「キュキュッ!」


 そうだ、とばかりにコクコクと頷く狐。そして、狐はアリスの方に向き直ると「キュッ!」っと一度力強く鳴いた。

 通訳がなくても分かる

 ノクスのことは任せろ、そう言っているようにしか聞こえなかったからだ。


「そう……あなたがノクスの側にいてくれるならとても心強いわ。ノクスのこと、よろしくお願いいたしますわ」

「キュッ!」

「ありがとう。――っと……」


 その時、アリスが頭を押さえてよろけた。それをすかさずノクスが支える。


「アリス様……」

「大丈夫よ。少し目眩がしただけだから」


 微笑み、再びしっかりと自分の足で立つアリス。

 それを見届けると、リュカオンがゆっくりと口を開いた。


「――シャノン、そろそろ時間だ」




 それから、私達は庭へ移動した。

 アリスの部屋でもよかったんだけど、眠る前に青空を見たいというアリスの希望だ。魔法はどこでも発動できるようにしてるから、場所はどこでもいいのだ。


 花壇に囲まれた庭の真ん中には、柔らかい布団を敷き詰めた長方形の箱が用意してある。棺桶みたいでちょっと嫌だったんだけど、この形が運びやすいでしょうとアリスが自分で立案したのだ。


 アリスの両親やうちの使用人達に囲まれる中、アリスがこちらへと歩み寄ってきた。そして、両手で私の頬を挟み目を合わせる。


「シャノン、あなたはもっと我が儘になりなさい。もっと我が儘になって、好きなことをたくさんしなさい。人生を謳歌して、十年後、その話を私に聞かせて頂戴」

「――うん、分かった」


 私が頷くと、アリスも満足そうに一つ頷いた。

 それからアリスはノクスや両親との別れを惜しんだ後、再びこちらに向き直る。


「それじゃあ、お願いしますわ」

「――うん」


 腹をくくった私は、リュカオンと一緒に魔力を練り上げていく。

 その間にアリスが周囲をぐるりと一周見回した。


「――じゃあまた! 十年後に会いましょう!」


 うん、必ずだよアリス。


『――発動』


 魔法を発動すると、紫色の眩い光が箱形ベッドの中で横になったアリスを包み込んだ。

 眩しいけれど、どこか優しさを感じる光のベールに包まれるアリスを私達はただただ見守る。





 そして、雲一つない空と私達に見送られながら、アリスは十年間の眠りへと旅立っていった――







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<書籍2巻は2024/12/6発売です!>
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