【140】おじ様の嫉妬再び
朝起きると、一枚の手紙がセレスから手渡された。
「シャノン様宛にお手紙が届いてますよ」
「ん? 私宛に?」
「はい。でも、差出人の名前が書いてないんですよね。手触り的に危険物は入っていないようですが、処分しましょうか?」
「一応中身は確認しておこうかな」
セレスから真っ白な洋封筒を受け取る。
セレスの言う通り、どこにも差出人の名前は書いてない。ただ、触れただけで分かる上等な封筒だ。
「リュカオン、これ開封しても大丈夫?」
封筒を差し出すと、リュカオンはスンスンと一嗅ぎ。
「うむ、問題ない」
リュカオンのお墨付きも得たので、ペーパーナイフで開封する。
中に入っていたのは、一枚の便箋だ。だけど、普通のものよりも分厚く、上部と下部には繊細な植物の模様が描かれている。
そんな手紙のど真ん中には一言、『会いたいです』。
「……」
誰かも分からぬ相手からこんな手紙が送られたら恐怖を覚えそうなものだけど、私は差出人に心当たりがあった。
こんな上等な便箋を用意できて、私の離宮に手紙を届けられる相手――
――全く、なんて誤解を生みそうな呼び出し方だろう。
◇◆◇
初の呼び出しだったので、私はリュカオンと一緒に手紙の送り主の元へとやってきた。
玄関扉をノックするや否や、中から人が現れる。
「やあ、いらっしゃい」
「こんにちは、おじ様。なんですか、このお手紙は」
開口一番に問いかけると、おじ様は照れくさそうに微笑んだ。
「先日神獣様に会いたい時は会いたいと言えと言われたので、そうしようと思ったのですが……その、いざ便箋を前にすると何を書けばいいのか迷いに迷いましてね……結局ああなりました」
きゅん。
おじ様のあまり見せることのない不器用な一面にシャノンちゃんキュンとしました。なるほど、アリスやフィズは普段こんな気持ちなのか。
むぎゅ~っと抱きしめたくもなるわけだ。大変腑に落ちました。
そしていつもの部屋に入ると、おじ様が眉尻を下げた。
「急に呼び出してすみません。無傷だったというのは報告でも分かっていたんですが、どうしても直接無事を確かめたくて」
ああ、そういえばあの襲撃事件があってからは神聖図書館には来てなかったか。
「偶然通りかかった一般市民の方達が加勢をしてくれたおかげで助かりました」
「そうですか、それは見上げた一般市民の方がいたものですね」
ニコニコと微笑むおじ様。
「……おじ様」
「なんですか?」
「さすがにあの格好はあからさますぎますよ」
「あ、やっぱりですか?」
コクリと頷く。
襲撃犯の確保に協力してくれた一般市民二人は、思いっきり神官服を着てたもの。
「誤魔化されたフリをするのも難しかったです」
「まあ、本当ならシャノンちゃんの前に現れる予定ではありませんでしたからね」
たしかに、あの格好で往来を歩いていたら視線の的だろう。逆にどうやって目立たないようにしてるのか気になるけど、多分隠密の人達用の裏ルートとかあるんだろうなぁ。
「彼らは神殿に仕えてるんですから、あんまり私用で使っちゃ可哀想ですよ」
こうやって私が固辞すると思ったから、おじ様は護衛の存在を私に伝えなかったんだろうけど、やっぱり言わずにはいられなかった。
「本人達はとても喜んでましたよ? お茶っ葉を買いに行くだけでも歓喜しているので、シャノンちゃんの護衛を頼んだ日には感涙にむせび泣いてました。襲撃犯の確保にも協力したとのことなので労いの手紙を送ったんですが、喜びのあまり失神したようです」
「信者だぁ」
信仰対象である教皇に頼られただけでも嬉しかったのに、直接ではないとはいえ手紙で褒められたのは相当嬉しかったんだろうな。
「僕は引きこもりで頼み事もあまりしないので、シャノンちゃんの護衛業は大人気ですよ。彼らの楽しみを奪わないでやってもらえませんか?」
「……そういうことなら……」
「ありがとうございます」
感謝をするのはこっちだと思うけど、なぜかおじ様がお礼の言葉を口にする。
そして、おじ様はこの話は終わりだとばかりに、まだ少しだけ湯気が上がっているカップを口に運んだ。それからカップをソーサーに戻し、ふぅと一息。
「――そういえば、シャノンちゃんのお友達が、離宮に住み始めたそうですね」
「……」
私はおじ様からソッと視線を逸らした。
やっぱりくるよね、その話。
「シャノンちゃんの夫である皇帝陛下はまだしも、まさかポッと出の少女にシャノンちゃんとの同居を先越されるとは思いませんでした」
言葉の節々からチクチクとトゲを感じるね。ブラックおじ様だ。
助けを求めてリュカオンを見遣ったけど、我関せずな顔をしてらっしゃる。
「友人でも同じ屋敷で暮らせるのに、僕がこれだけしか会えないのはおかしくないですか?」
「……たしかに、そうかもしれません……?」
そう言われると、そんな気もしてくる。
小首を傾げていると、隣のリュカオンがのっそりと上半身を起こした。
「つまりは、もっと会う頻度を増やせと言いたいのだろう。そんなまだるっこしい言い方をするでない」
「まあ、端的に言えばそういうことですね。ところで、お友達とは何をして遊んでいるんですか?」
「ええと……」
ノクスの観察……とは言えないね。
「チェスをしたりしてます」
「チェスですか、随分懐かしい遊びをしていますね」
「おじ様もするんですか?」
「流行り出した当初に遊び尽して、それ以来やってないですね」
「流行りだした当初……」
どんだけ前の話だ?
まあ、とにかく長いことやってないのは分かった。
「シャノンちゃんは強そうですね。お友達もチェスは上手いんですか?」
「毎回良い勝負ですよ。まだ私が勝ってますけど、続けてたら分からないです」
「ふむ、それはいけませんね。……そういえば、どこかにチェスの戦略本があったはず……。興味があれば貸しましょうか?」
「ぜひ!」
では探しにいきましょうと、おじ様に連れられて私達は廊下へと出た。
だけど、おじ様が足を向けたのは図書館とは逆の方向だった。
「あれ? 図書館はこっちじゃないんですか?」
「個人的な書斎の方に置いてあった気がするので、そちらに向かいます」
あれだけの本があるのに、さらに自分の書斎まであるのか……。
「まあ、お客さんなんて来ないので図書館の方も自分のものみたいなものなんですけど、なんとなく分けてるんですよね」
「なるほど」
大人しくテコテコとおじ様の後に続く。
「――ここです」
案内されたのは、初めて訪れる部屋だった。
おじ様が部屋の扉を開くと――中からふよふよと白い埃が漂ってくる。
「……」
部屋の中はどこもかしこも目で見えるほど埃が溜まっており、宙を舞っている埃がカーテンの隙間から差し込む光をキラキラと反射している。大量の本も埃が被っているので、タイトルを読むのも難しい。
天井には蜘蛛の巣が張っている始末だ。
「しばらく使ってなかったので汚れてますね」
「しばらく……?」
少なくとも数年は経ってると思うんだけど……しばらくとは……?
すると、リュカオンの尻尾がふわりと私の口元を覆った。
「シャノン埃を吸い込むなよ。体に悪い」
「う、うん」
「おい教皇、まさかこんな埃だらけの中にある本をシャノンに渡そうなどとは思っておらぬだろうな」
「う~ん、これは想像していたよりもちょっとひどいですね……。シャノンちゃん、申し訳ないんですけど本はまた別のものを探しておきます」
「あ、はい」
そこで、そろそろ昼食の時間になるので私とリュカオンは離宮に戻ることにした。
帰る前に、私は真剣な顔でおじ様を見上げる。
「……おじ様、今度一緒に掃除しましょうね」
「はい……」
今度一緒に掃除をする約束をしたところで、私はリュカオンと一緒に離宮に転移した。
◇◆◇
離宮に戻り食堂を覗いたけど、まだアリスが来ていないようだったので部屋まで呼びに行くことにした。
「アリス~、入るよー」
アリスの部屋の扉が既に少し開いていたので、ノックをした後に入る。
「――ゴホッ、ゴホッ!」
咳をする音が
そこで目に入ったのは――
――口から鮮血を吐き出すアリスだった。
「……え」
一瞬、何が起っているのか分からなかった。
現状を理解することを体が拒むように、音が遠くなるような錯覚を覚える。
「――っ! 人を呼んでくる!」
我に返り、すぐにルークを呼びに行こうと走り出した時、「お待ちなさい!」と声が掛けられる。
振り返れば、すぐ傍までアリスが来ていた。
「で、でも――」
血吐いてるじゃん! と私が言うよりも、アリスが声を出す方が早かった。
「これはっ、トマトスープですわ!!」
「――へ?」
振り返ると、テーブルの上には確かに食べかけと思われる赤いスープがあった。
それを目にしたことで、今にも駆け出せる体勢になっていた私の体から力が抜ける。
「なんだ、トマトスープか。早とちりしちゃった」
「全くですわ。私まだ十六よ? 勝手に殺さないでもらいましょうか」
「ごめんごめん。胸元まで汚れてるけど、どうしたの?」
「食事中につい咳き込んでしまっただけよ。私としたことが、スープを零すなんて恥ずかしい限りですわ」
そう言いながら、アリスは照れくさそうにハンカチで口を拭う。
「なんで部屋で食べてるの?」
「あまり体調が優れなかったから部屋に食事を用意してもらったのよ」
「え? 大丈夫?」
「少し咳が出るだけよ。熱はないから少し休めばよくなるだろうけど、もし人にうつるような風邪とかだったら申し訳ないから、念のためシャノンも長居しない方がいいわ」
「そうだったの。お大事にね」
これ以上いてもアリスの負担になるし、着替えたりもするだろうから私は足早に部屋を後にした。
アリスの部屋の扉をパタンと閉じる。
「――あー、ビックリした……」
人が血を吐くところなんて初めて遭遇した。トマトスープだったみたいだけど。
ふぅ、まだ心臓がドクドクしてる。
「ひ~め、どうしたの?」
「!」
聞き慣れた声が耳に届くと同時に、ヒョイッと抱き上げられた。
「あれ? フィズこそどうしたの? まだお昼だけど」
「昼食を一緒に食べようと思って戻ってきたんだ。今日はあのお嬢様が部屋で食べるって聞いたから、姫が寂しいかと思って」
フィズは私を片腕に乗せたまま食堂に向かう。
「最近の姫はあのお嬢様とばかり過ごしてるから、少しは俺にも構ってもらおうかな」
「……らじゃー」
なんだかデジャブだ。
こっちもか。





