【138】ノクスウォッチング
「姫、本当はずっと警護してたいけど、仕方ないから行ってくるね」
「あなたは警護じゃなくてシャノン様の傍にいたいだけでしょ。護衛は有り余るくらいに配置してますから、仕事に行きますよ」
「フィズ行ってらっしゃい。がんばってね」
名残惜しそうにするフィズに向けて手を振り、送り出す。
そしてせっかくアリスが滞在してるんだから一緒に遊ぼうと思ったんだけど――
「……アリス様、すみません……俺、今日は仕事の日なので……」
一緒にいることはできないと、申し訳なさそうに言うノクス。表情は全く変わっていないけど、それくらいは察することができるようになった。
ノクスもいた方がいいと思ったんだけど、今日はお仕事の日のようだ。
「ああ、それなら――むごっ」
アリスがいる間は別にいいよ、と言おうとした時、そのアリスから口を塞がれた。
「分かったわ。仕事は大切だし、お給金をもらっているのだもの。きちんとこなしてらっしゃい」
「はい」
ペコリと頭を下げると、ノクスはその場を立ち去った。
ノクスの姿が見えなくなった後、私は隣のお姫様に声をかける。
「――アリス、いいの?」
ノクスが傍にいた方がアリスも安心じゃない? という意味を込めて問いかける。
すると、アリスは当然よ、と言わんばかりにコクリと頷いた。
「ええ、もちろんよ。世間知らずのあの子は一刻も早く社会に慣れなければいけないわ。私がいるからという理由だけでお仕事を免除されては、あの子の成長を阻害してしまうもの」
存外ちゃんとした理由だ。アリスも色々考えてるんだなぁ。
「それに、あの子の働いている姿を見るチャンスじゃない!」
「……」
色々考えてるんだなぁ……?
どっちが本音かは分からないけど、ノクスの特別扱いをアリスが望まないならその意思を尊重しようと思う。
「ところでシャノン、私は何かやることはあるかしら?」
「やること?」
「ここでお世話になる以上、何かしらのお手伝いをするのが筋かと思ったのだけれど」
「なるほど?」
確かに筋かもしれないけど、それって他国のお姫様が滞在する時も適用されるのかな?
誰かに聞こうと思って周囲を見ると、侍女ズが微笑みを固定したままブンブンと首を横に振っているのが見えた。どうやら、お姫様にお手伝いをさせるわけにはいかないらしい。
いくらお忍びで来てるといえど、やっぱりそうだよね。
「何もすることないって」
「あら、そう?」
「うん、アリスは好きなことして過ごしていいよ」
「好きなこと。分かったわ」
真剣な表情でコクリと頷くアリス。
そして菫色のお姫様は、セレス達へと何やら話しにいった。欲しいものでもあるのかな?
リュカオンを撫でながらアリスの交渉が終わるのを待っていると、アリスがタタタッと走って戻ってきた。そして、銀色の毛並みを撫でる私の手首を掴む。
「ほっっそ!?」
「?」
「いえ、なんでもないわ。シャノン、行くわよ」
「へ?」
侍女ズとアリスのやり取りを何も聞いていなかった私は、わけも分からぬまま連行されていく。
どういうこと? とセレス達に視線を遣ったけど、三人は「シャノン様にお友達が……」と涙ぐんでいてこちらを見ていなかった。
そうだよね、人間十四年目にして初めてのお友達だもんね。ウラノス時代から知ってるアリアとラナは特に感慨深いものがあるかもしれない。とんでもない箱入りでごめん。
状況は把握できなかったけど、私はとりあえずお友達第一号について行くことにした。
レンズ越しに、庭師のジョージと一緒に花壇の雑草を抜いて回るノクスが見える。
「――なにこれ」
別に、ノクスのやっていることに異議があるわけじゃない。真面目に働いてくれているのでありがたい限りだ。
問題なのはこちら側だ。
「何って、ノクスの観察ですわ」
私の隣のリクライニングチェアに腰掛けたアリスが、事もなげに言う。
ここは離宮の二階についているベランダで、私とアリスは隣同士に並んだリクライニングチェアにそれぞれ腰掛けている。――オペラグラスを手にして。
だけど、この小洒落たオペラグラスで見るのは歌劇ではなく使用人の少年の仕事風景だ。
離れたところから仕事をするノクスを見たいというアリスの要望により、急遽このセットが用意された。サイドテーブルには軽食と飲み物もある。なんて過ごしやすい環境。
お皿からマドレーヌを一つ手にとり、リュカオンの口の前に持っていく。
「リュカオンあーん」
「あー」
大きなお口でパクンと一口。
「にしても、リクライニングチェアはまだしもオペラグラスなんてよくあったね」
出不精な私はオペラを観に行く機会なんてないし、もちろんウラノスにいた頃も劇場には行ったことなどない。だから、このオペラグラスは私の持ち物ではないはずだ。
「もしかして、セレス達の私物?」
そう尋ねると、セレス達がギクリと肩を震わせた。
「……ええと、私物というか、私達三人の共用で使っているものです」
「へぇ、劇とか観に行くの?」
そんな趣味があるなんてセレス達から聞いたことない気がするけど。
すると、アリアが言いづらそうに口を開いた。
「シャノン様、たまに神獣様とお庭でお昼寝をされるじゃないですか」
「ん? うん」
リュカオンを枕にお昼寝するね。
「その時、起こさないように遠くからシャノン様の様子を窺うために使ってます」
「なるほど?」
「断じてシャノン様の愛らしい寝顔を眺めるために使ってるのではありませんよ!?」
「なにも言ってないよ」
寝顔を眺められたところで今更だし。
私の寝顔なんて、アリアとラナなんかは数え切れないくらい見てるはずだけど。
「逆に、私の寝顔なんてもう見飽きてるでしょ? 今更眺めるものでもなくない?」
そう言うと、三人が一斉に目をクワッと見開いた。
おぅ。
ビックリした私は反射的に隣のリュカオンを抱きしめる。
「シャノン様の寝顔を見飽きることなんてありません!」
「そうですよ。いつ見ても若干表情が違いますし、それが味わい深いんです」
「ええ、シャノン様の寝顔は私達にとっての栄養、毎日摂取したいくらいですわ」
「……そ、そっか」
「「「はい」」」
並々ならぬ熱意を感じる。なるほど、オペラグラスを買っちゃうのも納得だ。
というか、やっぱり私の寝顔を見るために使ってるんじゃん。
私達がそんな会話をしている間、アリスは真顔でノクスの方へと向けたオペラグラスを覗き込んでいた。
「うちの子が真人間のように草むしりを……尊いですわ……」
食い入るように庭の方を見ながら、ブツブツと呟くアリス。
「草を抜いても土に大穴が空かないなんて、成長しましたわね……」
感極まったように口元へとハンカチを当てるアリス。
あれ、似たような光景をさっき見たね。
感動の仕方もうちの侍女達にそっくりだ。
「まあ、先輩にきちんと頭を下げてお礼を言えるなんて……もう立派な真人間じゃありませんこと」
……やっぱり、アリスも親バカだね?
「……」
私は少し考えた後、手元のオペラグラスを目元へ持ってきてリュカオンの方を向いた。
「なんだ?」
「リュカオンの毛穴でも見えるかと思って」
「……見えるか?」
「全く」
銀色の毛しか見えない。
私は無言でオペラグラスを下ろした。
「何がしたかったのだ?」
「今まで知らなかったけど、オペラグラスが各所で大活躍してるから私も何かに使えないかと思って」
「どれも本来とは違う使い方だがな」
遠くの人間を見るという意味では間違ってなくもない気がするけどね。
「ただ、私にはあんまり必要なかったみたい」
「だろうな」
「うん」
もしかしたら、これは親バカさん専用の道具なのかもしれない。そうだとしてもやっぱり、私にはあんまり需要がないかな。
そう思い、私はオペラグラスをセレスに返却する。
そんな私とは対照的に、その後もアリスはノクスウォッチングを心ゆくまで堪能していた。
……うん、楽しそうで何よりだ。