【133】拗ねる教皇様
それから、私の生活の中にアリスとの交流が加わった。
アリスとの関わりは新鮮で、私の生活に大きな刺激をもたらした。
「シャノン、私今日初めて洗濯を外注せずに自分でやったのだけれど、とても大変だったわ。手がすごく荒れるのよ。それに、冬だったら水が冷たくて洗濯どころではないと思うわ」
「そ、そんなに大変なんだ……!」
衝撃だった。
いつの間にかきれいになっている服の裏にはこんな苦労があったのか……。
あまりのカルチャーショックに暫く固まっていると、ここぞとばかりに頬をこねくり回された。……そんなに触りたいもんかね。
私は魅惑のほっぺの持ち主なのかもしれない。
「でも、アリスの手、全然荒れてないよ?」
私の頬を撫でる指先は滑らかだ。
「洗い物をした後はハンドクリームを塗りまくっているもの。この白魚のような手を維持するのも楽ではないわね」
「白魚の手って自分で言うんだ」
だけど、確かにアリスの手はつやつやのスベスベだ。
その話を聞いた日、私は帰り道にハンドクリームを買った。これは侍女達に渡す予定だ。私の服を洗濯してくれてるのは侍女達だろうから。
ちょっと奮発していいのを買っちゃいました。
そして離宮に帰り、侍女三人衆にハンドクリームを差し出す。
「みんな、いつもありがとう」
「シャノン様……!! 天使……っ!!!」
感激したらしい侍女達にむぎゅむぎゅ抱きしめられる。
「みんな仲いいねぇ」
そんな私達を、通りかかったルークが微笑ましげに見ていた。
……そういえば、最近おじ様に会ってないな。
リュカオンとティータイムをしている時、ふと思った。
自分の口にケーキを運ぶ私の手が止まったことに気付いたリュカオンが、あーんと口を開いた状態のままどうしたのかとこちらに視線を向ける。
……とりあえずリュカオンにケーキを食べさせてあげよう。
フォークの上に載せたショートケーキを運んであげると、リュカオンがむぐむぐと口を動かす。
「リュカオン、最近私達、おじ様に会いに行ってないね」
「……そういえば、前回から間隔が空いているな」
リュカオンが考え込むように宙を見る。
「拗ねているかもしれんのう。そろそろ会いに行くか」
「だね。私もおじ様に会いたいし。おじ様のことだから拗ねてはないと思うけど」
クスクスと笑いながらそう言うと、リュカオンがそうか? とでも言いたげに片眉を上げる。
「案外拗ねてると思うがな」
「えぇ? あの大人で余裕たっぷりなおじ様だよ? 拗ねたりしないって」
気も長そうだし。
「ふ、では行って確かめてみることにしよう。ちょうど、今日はもう暇だしな」
リュカオンが時計を見る。
今は午後の二時だ。ちょこっとおじ様のところに遊びに行って帰ってくるのでちょうどいい時間だろう。
ティータイムを終え、私達はおじ様のいる神聖図書館へと転移した。
いつもは私達が神聖図書館の玄関前に転移するや否や出迎えてくれるおじ様だけど、今日は中々姿を見せない。
少し待つと、扉からおじ様が顔を出した。
「二人とも、よくいらっしゃいました。どうぞ中に入ってください」
普段と変わらぬ、爽やかな笑顔でそう言うおじ様。
ほら、拗ねてなかったよ? とリュカオンを見ると、リュカオンはなぜか微妙な顔でおじ様を見ていた。
図書館の中に入り、いつもの部屋のソファーにリュカオンと一緒に腰掛ける。
そして、既に用意してあったカップのもとにティーポットを持ってくるおじ様。
「……?」
その所作にどこか違和感を覚えてジッと観察していると、おじ様の手がプルプルと震え出した。ティーポットの注ぎ口とカップの縁が当たってカタカタと音を立てる。
「お、おじ様……? 大丈夫ですか?」
「問題ありませんよ。シャノンちゃん達と会うのが久々なので少々緊張しているだけです」
「そ、そうですか……」
有無を言わせぬおじ様の笑みに、私は大人しく引き下がるしかなかった。
ちなみに、リュカオンは何かを察したのか、この時点で既に呆れ顔だ。
おじ様が紅茶を注ぐのを無言で見届けた後、リュカオンが口を開いた。
「お主、寂しかったなら素直に寂しかったと言えばよいであろう」
「別に? 僕は長生きなので、何ヶ月でも何年でも待てますから」
「シャノンとは比較にならないほど長く生きているくせにつまらぬ意地を張るでない。ほら、うちの子がフレーメン反応をした猫のようになっているだろう」
リュカオンが目を丸くして口を半開きにする私の方をチラリと見遣る。
「なんですか、この上なくかわいいって言いたいんですか?」
「たしかにかわいいが、我が言いたいのはシャノンが驚いているということだ。そなたの生きた年月からしたらシャノンなんて赤子のようなものだろう。少し不安になったからってシャノンに当たるでない」
リュカオンが叱るように、諭すようにおじ様に語りかける。
すると、おじ様はプイッとそっぽを向いてしまった。
おお……こんな子どもっぽいおじ様初めてだ……。これが世に言うギャップってやつか。
「不安なんて……別に、シャノンちゃんに新しい友達が出来たから僕のことなんて忘れたのかな? なんて思ってませんよ」
思ってたんだね。
あと、やっぱりおじ様は当たり前のように私の近況を知ってるんだね。
「それを不安と言うのだ」
おじ様に向けてリュカオンが容赦なく言い放つ。その表情は、既に呆れているのを隠そうともしていない。
「全く、長く生きているくせに面倒くさい拗ね方をするのう……」
「だって……小さい子は新しいものが好きと聞きますし……。僕は若くもないし、引きこもりなので頼りにはなりませんし……」
見た目は十分若いし、知識の塊だから誰よりも頼りになるけどな。多分、この前一緒に街に行った時のことを言っているんだろうけど。私も世間知らずだし、そんなに気にしなくていいのに。
おじ様って意外と謙虚なんだなぁ。
「こんな所に一人で引きこもっているからそんなマイナス思考になるのだ。もっと外に出ろ、日の光を浴びろ」
天下の教皇様に対して容赦のない神獣様。
引きこもりがちな子を諭すお母さんみたいだね。
「会いたいのなら連絡を寄越せばいいであろう。うちの子はそんな頼みを無碍にするような子ではない」
「毎日になるけどいいですか?」
「よくないな」
リュカオン、そんな即答しなくても。
「おじ様、私の中でおじ様はもうお茶飲み友達ではなくて身内枠なんです。勝手にそう思ってるだけですけど」
「いえ! 僕もそう思ってますよ!」
食い気味に答えるおじ様。嬉しい。
「えへへ、私、おじ様なら離宮で一緒に住みたいくらいです」
「そうですか、すぐに移住しましょう」
「するな」
真顔で言うおじ様と、冷静に対処するリュカオン。
まあ、神秘のベールに包まれたミスティ教の教皇が急に引っ越してきたらみんなパニックだもんね。あと、離宮の警備をとんでもなく厳重にしないといけなそう。というか、おじ様の腹心達によって自動的に警備が厳重になりそうだけど。
「シャノンちゃんの離宮に住めば自動的に毎日会えるんですね。なんて理想的な環境なんでしょう」
「共に住まずとも、自分で会いにくるか会いたいと連絡すればよいだろう。もっと自分から動いてみてもいいんじゃないか? そなたは教皇という立場に長いこと座しているゆえ、受け身なのがよくない。周りがお膳立てしすぎる環境というのも考えものだな」
「リュカオン、今日はとことんお母さんみたいだね」
おじ様に対するお小言を始めたリュカオンに寄りかかる。
「まま……」
「シャノンが望むなら父にでも母にでもなるが、我は父の方がいいのう」
「リュカオンかっこいい」
リュカオンの首に手を回してムギュッと抱きついた。
私の狼さんの懐が深すぎる。
私達がそんなやり取りをしている間、おじ様は何やら口元に手を当てて考え込む素振りをしていた。
「受け身……もっと積極に……」
小さな声で何かを呟くおじ様。
考え込むおじ様を暫く眺めていると、おじ様が意を決したように顔を上げた。
「シャノンちゃん、高い高いしてもいいいですか?」
「ええと……別にいいですよ」
すると、嬉しそうな顔になったおじ様にさっそく高い高いをされた。
おじ様も意外と力持ちだね。ちゃんと頭の上まで持ち上げられたもん。
そして、高い高いは結構楽しかった。
傍から見ていたリュカオンは「我が言いたかったのはこういうことではなかったのだが……」的な顔をしてたけど。
「?」
おじ様に持ち上げられた時、部屋の端に何やら空瓶が落ちているのが見えた。
気になったので、一頻り高い高いをされた後、それを拾いに行ってみる。
「なんだろうこの瓶……」
なんかかっこいい。外国語のラベルが貼ってあるし。
すると、後ろから来たリュカオンが私の肩口からヒョッコリとその空瓶を覗き込む。
「なんだ? ……ああ、それは酒の瓶だな」
「お酒……」
私は無言でおじ様を見上げた。
「ああ、部屋の片付けをしていたら発掘したので、シャノンちゃん達が来る前に一人で飲んでたんですよ」
「なぬ、飲むなら我も誘え。すぐに来てやる」
「ふふ、じゃあ次は一緒に飲みましょう」
リュカオンと約束を交わすおじ様の顔は、よく見たらほんの少しだけ赤らんでいた。
様子がおかしいと思ったら、おじ様ってば酔ってたのか……。





