【129】懐かしい遊び
筋肉痛が無事に治った私は、また暫くは王城と離宮を往復するだけの日々を過ごしていた。
「――パーティー?」
フィズの執務室に置いてあるソファーに座っている私は、傍らの旦那様を見上げて聞き返した。
「うん、これまであまりにもやらなかったせいでせっつかれているんだ。これまでは情勢が不安定だからで言い逃れてたんだけど、王城内の人員の補充も終わって、みんな大分仕事に慣れてきちゃったからねぇ」
それ自体はいいことだけど、パーティーを開かないうってつけの理由がなくなっちゃったんだね。
「フィズはそんなにパーティーが嫌なの?」
「うん」
即答だった。
一片の迷いもなく頷くフィズ。
「全く興味もない人達と話したりするだけなのにお金だけが飛んでいくイベントだよ? できることならやりたくないさ。ただ、皇族の求心力を損なわないためとか、貴族達を皇都に呼び寄せてお金を落とさせるとか諸々が絡んでくるからやらないわけにはいかない……ってアダム達がうるさくてねぇ」
フィズはそう言いながらチラリとアダムを見遣った。あくまでも自分の意見ではないと主張したいらしい。
これまで一生懸命息を潜めていたアダムは、苦笑しつつも口を開く。
「いやぁ、これはもう仕方ないですよ。公務の一つだと思って割り切ってください」
「ってことだから、嫌々準備中なんだよ」
もう嫌々って明言しちゃってるじゃん。
「パーティーの名目は?」
「ユベール家の失脚で国内の貴族の権力図も変わったし、代替わりをした家もあるから、皇帝への顔見せとか主要貴族同士での友好を深めて一致団結しようねって会」
「なるほど」
これ、私も出席した方がいいのかな?
ウラノスにいた時も含め、パーティーって碌に出席したことないんだけど……。
すると、そんな私の心を読んだようにフィズが言った。
「姫は無理して出席することはないよ。窮屈な衣装でそこそこ長時間拘束されるだろうから姫には負担になるだろうし。もちろん、姫がパーティーに出てみたいということなら止めはしないけど」
「ん~」
私、これまで皇妃らしいことって何もしてないんだよね。
本当はもっとパーティーをしたりお茶会を開いたりとかしないといけないと思うんだけど、無理強いされない環境に完全に甘えている。
ふむ、そろそろ一回皇妃様らしいことをしておくべきかな……。
私もフィズも目立ちたいタイプではないので、歴代の皇族に比べても露出は少ない方だろう。というか、私に至ってはあの和平記念式典以来公には姿を現していない。
「本当はこんなめんどくさいこと、全部兄さんに丸投げしたいんだけどねぇ」
フィズがぼやく。
そういえば、最近お義兄様に全然会わないね。
「真面目そうなお義兄様なら、国の運営に必要なことなら進んで準備を進めそうだけど」
「それがねぇ、あの人って本っ当に人前に姿を見せるのが苦手なんだよね。デスクワークとか裏方仕事ならすごい優秀なんだけど、社交とかはてんでダメ。昔、パーティーを開くことを強要するなら兄さんも出させるよって言って以来、それ系統の話題には沈黙を貫いてるよ」
「それもう脅しじゃない?」
「話し合いだよ」
……物は言いようだね。
チラリとアダムの方を見ると、無言で首を振っていた。まあ、そういうことなんだろう。
「まあ、そんな感じで兄さんも断固拒否してるくらいだから姫が出なくてもなんの問題もないよ」
「そっか。じゃあ次の一回だけ出ようかな。私まだ正式な形でお披露目してないし」
一応和平記念式典の時、遠目に顔は見られたはずだけど、あれはほぼヴィラ・ユベールとのバトルだったからなぁ。あれでお披露目をしたと言い切るのは苦しいだろう。
「そう? 姫が一緒なら俺も嬉しいな。退屈なだけのパーティーだと思ってたけど楽しみになってきたよ」
フィズもちょっぴり乗り気になったらしい。アダムに視線で感謝された。
「ドタキャンもありだからね」
「なしですよ」
フィズの言葉にすかさずアダムが訂正を入れる。
あれだね、フィズは私に甘すぎるね。
そんなことを考えながら足元のリュカオンを撫でると、紫の瞳がこちらを向いた。
「シャノン、出席したくなくなったら我がなんとかしてやるからな」
こっちもか。
そんなこんなで私の初パーティー出席が決まったので、離宮の使用人達に報告する。
すると、みんなは一瞬目を見開いて固まった。
静寂の後、最初に口を開いたのはアリアだ。
「し、シャノン様がパーティー……?」
「う、うん、もしかして、何かダメだった……?」
一回も参加したことないけどシャノンちゃん出禁になってたりする?
私のそんな考えは杞憂だったようで、ブンブンと首を横に振られた。
「こんなに愛らしいシャノン様を堂々と世間に見せつけられる機会があることがアリアは嬉しいんです!」
「ええ、ええ、世界一かわいらしい皇妃様をお披露目しましょう」
「和平記念式典ではせっかく力を入れましたのにそれどころではなかったようですから、リベンジしましょう!!」
ラナやセレスもやる気満々のようだ。
「まずはドレス選びですね、新しいのを仕立てましょう」
「髪飾りやアクセサリーもですね」
「ほぼほぼ減っていない皇妃予算を使う時が来ましたね」
テキパキと話し合う侍女ズ。頼もしいね。
対照的に、男性陣はポカンとしてそんな侍女ズを眺めている。うんうん、分かるよその気持ち。私も当事者のはずだけど置いてかれ気味だもん。
侍女達が盛り上がる様子をぼんやりと眺めていると、クラレンスが一歩前に出てきた。
「ちなみにシャノン様、会場内の警備には僕達も参加させてもらえるんですか?」
「王城の騎士達が警備してくれるからクラレンス達は大丈夫じゃ……あー、クラレンス達も入れるようにフィズに言っておくね」
「お願いします」
満足したようにニコリと笑うクラレンス。
普段の言動的に一見やる気がなさそうなクラレンスだけど、その実尽し系だからね。今のも「王城の騎士がいるから僕達行かなくていいですよね?」ではなく「僕達も会場内で警備させてくれますよね」と言いたかったのだ。
勝手に天井裏とかに侵入して警備されるより目の届く場所にいてもらった方がいいよね。
クラレンスが一歩下がって元の位置に戻ると、セレスがこちらを向いた。
「シャノン様、さっそく明日仕立屋を呼びますね。どんなドレスがいいか考えておいてください」
「分かった」
私もどうせなら可愛いドレスが着たいからね、真面目にドレス選びしますよ。
仕立屋さんは明日来てくれるように手配をしてくれたので、今日は明日に向けて早めに休むことにした。英気を養うのだ。
ドレスを仕立てるだけで大袈裟なと思われるかもしれないけど、私の体力のなさを甘く見てはいけない。私のポテンシャルなら採寸をしている最中に力尽きることなど容易だ。
誇れることじゃないけど。
ただ、目下の問題は別のところにある。
「――眠れない……」
早めに休もうとベッドに入ったのはいいけど、全く眠気がやってこない。
隣同士で横になったリュカオンを撫でていると、部屋の扉がコンコンとノックされた。
「どうぞ~」
返事をすると、アリアが部屋に入ってきた。その手には厚めの板のようなものが持たれている。
「アリアどうしたの?」
「手つかずになっていた部屋の整理をしていたらこんなものが出てきましたので。シャノン様が眠るまでの暇つぶしになればと思って持ってきました」
そう言ってアリアがサイドテーブルに置いたのはチェス盤と駒だ。
「チェスだ」
「ええ、一時期ハマってましたでしょう?」
「うん」
祖国の離宮にいた頃、ルールを覚えた私は誰彼構わずチェスを挑みまくっていた時期があった。一ヶ月くらいチェス漬けになってたかな。
それからはあんまり触れていなかったので懐かしい気分だ。
この駒の形とかがかっこいいんだよね。
「まだ眠れないのでしたら一戦しませんか?」
「やるやる!」
アリアには私に眠気が来ていないことなどお見通しみたいだ。さすがよく分かってる。
「今ホットミルクも持ってきますね」
「おお!」
ホットミルク!
すると、リュカオンものっそりと上半身を起こした。
「我のも頼む」
「――ふふ、かしこまりました」
一瞬止まったアリアだけど、すぐに微笑んでホットミルクの準備に向かった。
この国の人達には及ばないけど、アリアも神獣であるリュカオンを神聖な存在として認識している。そんなリュカオンからのホットミルクのリクエストは意外だったのかもしれない。
うんうん、リュカオンのかわいさはもっと広めていきたいね。
それから程なくしてアリアは戻ってきた。アリアが持っているトレーの上にはカップに入ったホットミルクが載っている。
こちらまで歩いてきたアリアは、サイドテーブルの上にカップを置いた。全く音を立てないその所作からしても一流の侍女だってことが分かる。
「まだ熱いのでフーフーしてから飲んでくださいね」
「はーい」
起き上がってベッドの端に腰掛ける。すると、リュカオンがすかさず寄ってきて背もたれになってくれる。
落とさないように両手でカップを持ち、まだ湯気が上がっているそれに息を吹きかける。そして一口。
「ん、おいしい」
ホッとする。
「あ、リュカオンのも冷ましてあげるね」
「ああ、頼む」
リュカオン用の大きめカップを手に取り、フーフーと息を吹きかける。
「はい、リュカオン」
「ありがとう」
リュカオンの前にカップを差し出すとペロペロと舐める。かわいっ。
「美味い」
「ね。あ、アリアも座ってね」
サイドテーブルのところにある椅子に腰掛けるように促せば、特に抵抗することなく座ってくれた。
そして、二人で盤の上に駒を並べていく。
静かな室内では、駒を置く時のコツコツとした音がやけに耳に入ってくる。
「アリアとチェスをするのは久しぶりだね」
「ですね」
毎日のようにチェス盤を持って人を追い掛けていた私を思い出したのか、アリアがはにかむ。
駒が盤の上に並ぶと、自然と試合が開始した。先行はアリアだ。私が後攻っていうのは離宮の中では暗黙の了解になってたからね。
「懐かしいねぇ」
「ええ、本当に。目をキラキラさせて毎日チェスを挑んできたシャノン様はとてもおかわいらしかったです」
「あはは、毎日チェス盤抱えてた記憶ある」
「小さな体で胴体と同じくらいのチェス盤を持とうとするものですから、私達はヒヤヒヤでしたよ。それも抱きしめちゃいたいくらいかわいかったですが」
「抱きしめちゃいたいというか、思いっきり抱きしめられてた記憶あるけど」
それこそ、チェス盤を持ってるシャノン様かわいい!! と悶えたアリアやラナに毎回むぎゅむぎゅされた覚えがある。
アリアと雑談をしながら、チェスの駒を動かす。
「シャノン様、シャノン様はどうしてチェスをあまりしなくなったか覚えてらっしゃいますか?」
「え? ん~……」
考え込む。
そういえば、約一ヶ月間のブームが去ったあとはめっきり触らなくなったんだよね。
……なんでだっけ?
「ふふ、私は覚えてますよ。離宮の誰も、チェスでシャノン様に勝てなかったからです」
「そうだっけ?」
「はい、シャノン様がルールを覚えたての頃は勝てましたが、一週間もすれば誰も相手になりませんでした」
「……」
そういえば、チェスであんまり負けた記憶ないかも。
「あまりにも自分が負けないものですから、シャノン様は幼いながらに皆が自分に気を遣って手を抜いているのだと思ったようです。そんな状態でやっても面白くないと、シャノン様はチェスをやめてしまわれました」
「そっか、そうだったかも……」
「ですがシャノン様、私達は全員本気だったんですよ。当時の貴女には言っても信じてもらえませんでしたが、本気でやってシャノン様に勝てなかったのです。――今だって、ほら」
盤面は既にチェックメイトの図が出来上がっていた。アリアの言う通り、私の勝ちだ。
「結構本気でやったんですが、シャノン様には手も足も出ませんでしたね」
「……私、チェス得意だったの?」
「うふふ、やっと気づきましたか? そうですよ。得意も得意、大得意です」
「全然知らなかった」
「だと思いました」
目を丸くする私を見てクスクスと笑うアリア。
「シャノン様、シャノン様は自分で思っているよりもすごいんですよ? この小さな頭はとんでもなく高性能なんです」
アリアの両手が伸びてきたと思ったら、よしよしと撫でられた。
その撫で方が心地よくて、ついつい目を細めてしまう。そして、頭を使ったおかげか眠気もやってきた。
「あら、うふふ、眠たくなりましたか?」
「うん」
さっきまではお目々パッチリだったんだけどな。アリアすごい。
「ベッドに入りましょう」
「ん」
リュカオンと一緒にベッドに横になると、アリアが掛け布団を顎下まで上げてくれた。
「それではシャノン様、おやすみなさい。いい夢を」
チュッとおでこにキスをされる。
アリアにこれをされるのも久々だな。昔は悪夢を見ないようにおまじないとしてよくやってくれてたのだ。
――今日は、いい夢がみられそう。





