【125】串焼き屋リトライ!
フィズは、予想以上に超人だった。
崩れそうになった木材を蹴り戻したり、スリの犯人を捕まえたり、それをなんてことない顔をしてこなすんだもん。
私の旦那様は、本当にすごい人だ。
今だって――
「誰か! 誰か早く駆けつけて引き上げろ!!」
ざわつく人々の視線の先には、三階の窓に手でしがみつき、今にも落ちそうになっている男の子がいる。
外でも見ている最中に足を滑らせてしまったんだろう。体は完全に外に投げ出され、窓枠を必死に両手で掴んでいる。
今から階段を上って駆けつけても間に合うかは微妙だけど、問題ない。なぜなら、この場にはフィズがいるからだ。
「よっと。君、大丈夫?」
男の子を抱え、開いていた窓から部屋の中に入るフィズ。
直前まで隣にいたはずだけど、いつの間にか男の子のところに移動していた。もちろん、階段を上っていったのではこんなに早く到着するわけがない。
「……あの人、普通に壁走ってましたけど、本当に人間ですか?」
私の隣で窓の方を見上げていたクラレンスがぼやく。
「フィズ、かっこいいねぇ!!」
「のんきですね」
そう、なんとフィズは外壁を走って男の子のところに駆けつけたのだ。
物語の中に出てくるヒーローみたいで、とてもかっこよかった。
一応、私も男の子を魔法で受け止める準備はしてたんだけど、取り越し苦労だったね。まあ、スピードでフィズに勝てるわけないか。
男の子を部屋の中に戻すことに成功したフィズは、カラカラと窓を閉めると、今度は階段を使って下りてきた。
フードを被ったフィズは群衆に紛れ、コッソリと私達のところへと戻ってくる。
「お待たせ~」
「あれ? 階段使ったの?」
「うん、僕別に階段アンチじゃないし。三階から飛び降りたりしたら目立っちゃうでしょ?」
「それで言うと、さっきの壁登りはこれ以上ないくらい目立ってたけどね」
私の懐に入り、顔だけを出しているリュカオンもコクコクと頷いている。私の顔のすぐ下にリュカオンの頭があるから顔は見えないけど、きっと今は呆れ顔をしていることだろう。
「あれは不可抗力だよ。緊急事態だったからね。さあ、行こうか」
私の手を取り歩き出すフィズ。
「――にしても今日はトラブルが多いね。前回来た時はこんなことなかったんだけど」
「陛下がトラブルに愛されすぎてるんじゃないですか? 即位してからもトラブル続きだし」
「あはは、陛下って誰だい? 変なあだ名をつけないでくれよ。僕のことはフィズと呼ぶように言ってるだろう? あと、そのトラブルの一つを引き起こした張本人には皇帝陛下も言われたくないんじゃないかな」
クラレンスの腕をガシッと掴むフィズ。その拍子に、クラレンスは「ヒェッ」と情けない声を上げていた。
フィズが怖いならおちょくらなきゃいいのに。
そんなやり取りをしながら歩いていると、女の人達の話し声がふと耳に入ってきた。
「さっきの人すごかったね~」
「ね~! めちゃめちゃかっこよかったよね!」
絶対にフィズのことだと思うけど、女の人達はこちらに気付かずに歩き去って行った。フードを被っている甲斐があるね。
「んふふ、すごい人が現れたって噂になっちゃうね。騎士団にスカウトとかされちゃうかもよ」
「そしたら抜き打ちで潜入とかしちゃおっか~」
「あはは、大丈夫ですよ。お二人はどう見てもお忍び貴族にしか見えませんからー」
乾いた笑いを漏らしながらクラレンスが口を挟んでくる。
「まさかまさか、こんなに完璧に変装してるんだから貴族になんて見えるわけないよ。何のために何時間も侍女達と服装を試行錯誤したと思ってるの」
「……そうですねー」
あっさりと引き下がるクラレンス。だけど、出来の悪い子猫を見る目が妙に気になるんだけど……しかも棒読み。
むぅ。
「まあまあ姫、せっかくのお出かけなんだからむくれないの」
「フィズ、『姫』じゃないでしょ? 今はお忍びなんだから」
「あ、そうだね……ええと、シャル。それじゃあ屋台に向かおうか」
「うん!」
フィズに名前を呼ばれるのは新鮮だ。偽名だけどね。
それから、私達は串焼きの屋台へと向かった。
「――おお! 嬢ちゃん! 久しぶりだな!!」
屋台のおじさんは覚えていてくれたらしく、私の姿を見るや否や手を振ってくれた。
駆け寄ろうとしたら躓き、体が傾いたところをフィズに支えられる。
「ふふ、ひ……シャルは目が離せないね」
「お手間をかけます」
「いいえ」
体勢を整え、今度は歩いて屋台へと向かう。
「おじさま、こんにちは」
「ああ、こんにちは。会って早々に転びそうになるからヒヤヒヤしたぜ。そっちは……嬢ちゃんの兄貴達か?」
「兄貴じゃなくてだん――」
旦那様と護衛って言うのはまずいか。
この歳で結婚するのなんて、それこそ王侯貴族の政略結婚でしかありあえないし。
「はい、お兄様達です」
「そうかそうか、嬢ちゃんの身内だけあって見目麗しい兄ちゃん達だな」
「どうも」
爽やかな笑みを浮かべたフィズが会釈をする。
全く血は繋がってないけど、フィズもクラレンスも美形だもんね。
「陛下と兄弟とか……なんて恐ろしい……。というか、この二人の身内認定されるなんて恐れ多すぎるんだけど……」
ニコニコと笑うフィズの後ろでは、死んだ顔のクラレンスがボソボソと独り言を呟いていた。
もはや出会った当初の爽やか青年の面影は全然ないね。
「――なんにせよ、また会えて嬉しいぜ。前に嬢ちゃん効果で客が集まった時からリピーターが来てくれるようになって、うちの売り上げも上がったからな。前回手伝ってくれた礼も含めて、今日は俺におごらせてくれ。もちろん、兄ちゃんとそこのワンコの分もな」
ウインクをすると、おじさんは調理に取りかかった。
私達は屋台の隣にあるベンチに腰掛け、お肉が焼けるのを待つ。
「そういえば、もしかして嬢ちゃんはあの後クイズ大会に行ったのか?」
「はい、おじさまに教えてもらったので」
「もしかして、優勝したのか?」
「しました! カフェの無料券ももらいましたよ!」
ドヤァと胸を張る。
「そうかそうか。とんでもない別嬪の嬢ちゃんが優勝をかっさらってったって聞いたから、嬢ちゃんのことかな~と思ってたんだよ。答え合わせができてスッキリだ」
笑いながら、おじさんは串刺しにしたお肉をひっくり返す。
「にしても、人形みたいにかわいくて頭もいいなんて将来は引く手あまただな。兄貴達は気が気じゃないんじゃないか?」
「あはは、そうだね。うちの妹は誰にもやらないよ」
「ですね。僕もこの子に寄ってくる生半可な虫は蹴散らしてやるつもりですよ」
貼り付けたような微笑みで答えるフィズとクラレンス。二人が纏っている空気は、吹雪のように冷たい。
おじさんもその空気感を肌で感じたのか、ブルッと身震いをしていた。
「んん? 火を使ってるはずなのになんか寒気がするんだが……。でも、こんなシスコンの兄貴達が二人もいたら、未来の嬢ちゃんは相手探しには苦労するかもしれねぇなぁ」
兄貴達は嬢ちゃんの相手に求める条件も厳しそうだし、とおじさんは続ける。
「ふふ、それは大丈夫です」
「ん? どうしてそんなことが言えるんだ?」
焼き上がったお肉を容器に移しながら、おじさんは頭上に疑問符を浮かべる。
「――だって、相手はもう間に合ってるので」
それも、思いつく限り最高の条件が揃った旦那様が既にいるのだ。
「おいおい、そんなこと兄貴達の前で言っちまって大丈夫なのか? 兄ちゃん達、店の前で暴れるのは止めてくれよ?」
フィズとクラレンスが今にも暴れ出しそうな馬にでも見えるのか、おじさんはそんなことを言う。
『相手』はフィズのことだから怒るわけがないんだけど、私達を兄妹だと思っているおじさんには分からないもんね。
「――よっし、できあがり。ほい、腹一杯食べてってくれよな!」
「あ、ありが――」
差し出された容器の上には、私の顔を覆い隠すくらいこんもりと盛られた串焼きの山。
「――え、こんなに!?」
驚くほどの量があった串焼きだったけど、一つ残らず私達のお腹に収まった。といっても、八割方はフィズとクラレンスの胃袋だけど。私とリュカオンが食べたのは残りの二割だ。
フィズもクラレンスもどちらかといえば細身なのに、よくそんなに食べられるな。私が知らなかっただけで健啖家なのかな……。
「あはは、シャルが驚いた顔してる。成人男性ならこのくらいペロリだよ」
「そうなんだ……」
目をまん丸にしていたであろう私を見てクスクスと笑うフィズ。
ちなみに、今回はおじさんの要望で私達はローブのフードを深く被り、顔を隠している。また前回みたいに人がたくさん寄ってきちゃうと困っちゃうからって。
「……私も、将来はそれくらいたくさん食べられるかな?」
「え!? ひ……シャルには無理じゃないかな。第一性別が違うし。こんなに食べたらシャルのかわいいお腹が破裂しちゃうよ。いや、食べるなってことじゃないけどね? むしろシャルにはもっと食べてほしいけど」
ガシッと肩を掴まれ、熱弁される。
「そ、そっか」
「うん。それじゃあ、そろそろおいとましようか。店主、これはお代だ」
そう言ってフィズが小袋をおじさんに投げ渡す。
「ん? 今回は嬢ちゃんへの礼だから代金はいらねぇが?」
「これは僕と弟が食べた分だ。前回君の手伝いをしたのは妹だけだからね」
「だがなぁ……」
「まあまあ、お近づきの印ってことで。うちの妹は世間知らずなところがあるから、見かけた時には少し気にかけてやってくれると助かる」
「ああん? そりゃあ当然だろ。子どもは大人が守ってやるもんだからな」
何言ってんだとばかりに片眉を上げるおじさんに、フィズはクスリと微笑む。
「君みたいな考えの大人で皇都が埋め尽くされることを願っているよ。じゃあ」
ゴミを捨てると、フィズは私達を連れ立って歩き出した。
私もおじさんに手を振ってからフィズの後に続いて歩き始める。そして、そのすぐ後にはクラレンスも着いてきている。
ちょこちょこと歩いてフィズに追いついた私は、はぐれないようにしっかりとフィズの手を握りしめた。
この通りは人も多くガヤガヤとしているから、そんな私達の背中を見送りながら呟いた店主の声など、私には届いていなかった。
「――はぁ、あの兄ちゃんは平民に擬態する気はあんのか? どう考えても高貴なお方にしか見えねぇんだが。それに、この袋もやけに重たいし。ぜってぇ料金以上の金は入ってんだろ」
ジャラリと音のする袋は、串焼きの代金にしてはやけに重量がある。
「あの兄ちゃんの言ってた通り、これからも見かけた時は嬢ちゃんをよろしくってことかねぇ……。まあ、世間知らずそうだしな」
いつか嬢ちゃんが困ってそうな時にこの金は使おうと決め、店主は代金の入った小袋を自分の荷物の奥深くに仕舞った。





