【121】嫌味な人? 来襲
ある日、私はフィズの執務室で一緒にお茶をしていた。国の情勢や先日の騒動も大分落ち着いたので、フィズもこうやってゆっくり休憩ができるようになったのだ。
ずっと働き詰めだったからね、休めるようになったのはいいことだ。
「平和だねぇ」
「そうだね。このまま平和が続くといいなぁ」
そんなことを言いながら、フィズがカップを傾ける。
すると、傍らにいた半眼のリュカオンがおもむろに口を開いた。
「……お前達、あまりそういうことは言わない方がいいんじゃないか?」
「え?」
リュカオンに聞き返そうとした時、廊下がにわかに騒がしくなった。
「――! ――!!」
「――!?」
「――!!!」
何を話しているのかまでは聞き取れないけど、言い合いをしているのは分かる。
耳を澄ませてみると、片方はアダムの声だった。もう片方は……多分知らない人だ。
……厄介事の予感……。
視線を正面のフィズに戻すと、私の旦那様は微笑みの表情のまま静かに目を閉じていた。
現実逃避かな?
リュカオンの方を見れば、「ほら言わんことか」とばかりの顔をしている。
なるほど、フラグってやつだったか。
こんなことを考えている間も、言い争う声は近付いてくる。そしてこのまま部屋に突撃してくるかと思えば、不意に廊下が静かになった。
「?」
どうしたんだろうと疑問に思っていると、部屋の扉がコンコンとノックされる。返事を待たずに扉が開いたかと思えば、疲れ顔のアダムが入ってきた。そして、よろよろとした足取りでこちらに歩み寄ってくる。
そんなアダムの方へはチラリとも視線を向けず、フィズは紅茶に口をつける。
「ちょっと陛下、こんな物言いたげにしてる人を前によくスルーしてお茶を飲めますね」
「あはは、俺はまだそっちを見てないからアダムがどんな顔をしているかは分からないよ」
「何言ってんですか。化け物フィジカルなんだから、こっちを見なくても俺の顔なんて見られるでしょ」
「さすがの俺でも視野の広さは常人と変わらないよ」
ソーサーにカップを戻したフィズは、ようやくアダムの方へと顔を向けた。
「めんどくさそうな予感がするから、アダムの話は聞きたくないんだけど。それに、俺は今姫とお茶してるのが見えない?」
「シャノン様との憩いの時間を邪魔したのは謝ります。ですが、あいつは俺では手に負えないのでどうにかしてください」
深々と頭を下げるアダム。あいつって誰だろう……。
「フィズ、話だけでも聞いてあげようよ」
「……まあ、姫が言うなら。アダム、手短にすませてくれる?」
「了解です! 当人と話すのが一番早いと思うので、連れてきてもいいですか?」
「さっき君が言い争ってた相手? 危険人物を姫に近づけるわけにはいかないんだけど?」
「あ、危険人物ではないので大丈夫です。連れてきますね」
フィズの返事も待たず、アダムは廊下へと出て行った。
そして。戻ってきたアダムが連れてきたのは眼鏡をかけた、神経質そうな青年。
「ああ、コンラッドか。久しぶりだね。留学から戻ったんだっけ?」
「はい、長い間留守にして申し訳ありません。皇妃様も、お初にお目にかかります。コンラッド・ベイリーと申します」
コンラッドと名乗った男性は、ピンと伸びた背筋をそのまま曲げ、綺麗なお辞儀をする。
「全然構わないよ。学問の面でも他国と交流することは大切だし」
「恐れ入ります」
「それでコンラッド、さっきはどうしてアダムと言い合いをしていたんだい? 君にしては珍しいじゃないか」
「騒がしくして申し訳ございません。ですが、私としてもどうしても譲れないことでしたので」
緑眼がしっかりとフィズを見据える。
「へえ、譲れないことねぇ……一応聞いておこうかな?」
「はい、我が家は代々皇族の方々の教師を務めて参りました。嫁いでこられた皇妃様方にこの国のことをお教えするのも我が一族の役目です。しかし、私は留学をしていましたので、今日まで皇妃様にお目通りをすることは叶いませんでした。ですが、それは誰か代わりの者が授業をすればいいことです。しかし聞けば、皇妃様はこちらに来てからなんの授業も受けておられないとのこと。なので、今すぐにでも皇妃様にはこのアルティミア皇国に関することや、その他の知識を身につけていただきたく存じます」
「だ~か~ら、シャノン様に今更授業なんて必要ないんだって!」
つらつらと話し終えたコンラッドに、アダムが噛みつく。
「アダムはこう言っていますが、皇妃様はまだ十四歳です。皇妃として立つのに十分な教養はおろか、基本的な知識も身につけられているとは、到底思えません」
「……コンラッド、君の聡明さは俺も認めてるよ。だけど、少々視野が狭いようだね。たかが年齢だけで物事を判断するなんて」
「っ!」
フィズの圧にコンラッドがひるむ。
「フィズ、そんなにいじめちゃダメだよ」
「え? でもこいつ姫のことバカにしたよ?」
「コンラッドさんが言ったのはただの一般論だよ。十四歳が未熟なんて当たり前のことでしょ? 実際、私も自分の教養が完璧とまでは思わないし」
今の言葉でバカにされたとまでは思わない。ただフィズは過保護だし、以前の出来事もあるから私が蔑ろにされることに敏感になってるんだろう。
そう言うと、フィズの発していた威圧の雰囲気が止んだ。
「ほら、見てよコンラッド。姫ってばこんなに賢いんだよ?」
「ええ……」
「姫に授業なんて必要なくない?」
黙り込むコンラッド。フィズの言うようには思えないようだ。まあ、そうだよね。
「でもフィズ、フィズはどうしてそんな私に勉強をさせたくないの?」
「え? だって勉強ってつまらなくない? 姫にはあんまり辛い思いはしてほしくないんだよ。姫の知識量は十分だし」
「勉強はそこまで嫌じゃないよ」
「そう?」
「うん」
私がフィズに返事をするや否や、コンラッドが一歩前に出た。
「皇妃様の同意は得られましたので。それでは、明日は九時から十時半まで歴史の授業、それから昼までは外国語、そして昼休憩を挟んだ後に法律、外国語、礼儀作法をそれぞれ一時間半ずつ学んでいただきます夕食後も、一時間は復習にあててください」
「さっきも言ったけど、そんな過密スケジュールありえないから」
アダムがコンラッドに詰め寄る。
「皇妃様に足りないものを補うためには当然のスケジュールかと。基礎を固めるには時間がかかるものですし」
「うちのシャノン様は体が弱いんですけど? そんな生活してたら、こんなか弱い生物なんてすぐにぽっくり逝っちまうわ。あと、シャノン様の知識は十分って話全然聞いてなかったなお前。今更シャノン様に基礎なんて、大人に改めて足し算の仕方を教えるようなもんだぞ」
「話は聞いていましたよ。信じていないだけで。どうやら、陛下もアダムも皇妃様を大切にするあまり目が曇っているようですから」
コンラッドの言葉に、アダムがこめかみに青筋を立てた。フィズもアルカイックスマイルを浮かべたまま、不穏な雰囲気を醸し出している。
「――そのスケジュールは我も看過できぬな。シャノンが体調を崩す。それに、既に知っていることを一から教わるのも時間の無駄だしのう」
その言葉と共に、リュカオンがのっそりと歩み出た。
角度的に見えていなかったのか、姿を現したリュカオンを見た瞬間にコンラッドが目を見開く。
「し、しん、じゅう、さま……?」
「うむ」
リュカオンが鷹揚に頷くと、コンラッドがカッと目を見開いた。
「……!!」
言葉を失ったように、口をただパクパクとさせるコンラッド。
そして、コンラッドはそのままパタリと後ろに倒れた。
「え? 大丈夫?」
「大丈夫大丈夫、生の神獣様を見て感激しただけですからすぐに起きます。こいつ、重度のミスティ教信者なんですよ」
呆れ顔でコンラッドを見下ろしながら、アダムが言う。
「我の神々しさも罪だのう」
静かになった室内で、リュカオンが満更でもなさそうに呟きを落とした。
◇◆◇
翌日。
コンラッドの授業を受ける前に、まずは私がどの程度できるかテストをすることになった。
テストにはリュカオンにコンラッド、私の護衛のオーウェン、アダムにフィズまで同席している。
「コンラッドが不正しないように、俺達が見張ってるんだ」
「不正なんかしませんよ。アダムがいなくても、そこの護衛が目を皿にして見守っていますし」
そう言ってコンラッドはチラリとオーウェンに視線を遣った。
コンラッドとの初対面の場にもいたオーウェンは、コンラッドの言い草に大層お冠だ。今の時点で、オーウェンのコンラッドへの好感度は最低と言ってもいいだろう。今もうっすらと睨み付けているし。
「科目は歴史、数学、外国語、法律、礼儀作法です。制限時間は特に設けませんので、解き終わったら声をかけてください」
「は~い」
テスト用紙が配られたので、早速ペンを手に取った。そして、一度問題全体に目を通す。
ふんふん、適正な難易度だね。専門家でもなければ解けないような問題は出されていないらしい。
意地の悪い問題ではないことが分かったところで、最初のページに戻り、サラサラと問題を解いていく。
「……字は綺麗なようですね……」
回答欄に書き込んだ私の文字を見て、コンラッドが呟く。
うん、やっぱりコンラッドは意地悪なんじゃなくて、ただただ真面目なだけなんだろう。
ずっと私を見ていたら暇じゃないかなと思ったけど、周りのみんなは各々仕事をしたり、本を読んだりと暇つぶしを始めてくれてよかった。リュカオンにいたっては私の足元で寝てるし。
コンラッドはリュカオン用に何か敷く物を持ってこようかと言っていたけど、必要ないと断わられていた。普段も地べたとか床に普通に座ってるしね。
二時間ほど問題と葛藤した後、私は「はいっ」と手を上げた。
「ん? どうしました? ああ、もうお昼の時間ですね。残りの問題は一旦昼食を摂ってからで構いませんよ。到底午前中だけでは解き終わらない問題数ですし――」
「あ、解き終わったよ」
「え?」
全て埋まった回答欄を見せると、コンラッドはあんぐりと口を開いた。
「え、もう? 分からなくて適当に埋めただけじゃ……」
「それは君が丸つけで確かめればいいでしょ」
椅子から立ち上がったフィズがそう言いながらこちらに歩いてくる。
「……そうですね。私は答え合わせをしますので、皆様は休憩をしていてください。昼食に行かれても大丈夫ですよ」
「だってよ? どうする姫」
「ん~、まだそこまでお腹空いてないし、待ってようかな」
なにせ自信があるので。点数が楽しみだ。
「左様ですか。では、すぐに済ませますので少々お待ちください」
「――ま、満点……!?」
採点を終えたコンラッドが、回答用紙を見詰めながらプルプルと震える。
「信じられない……最後の方は結構な難易度の問題も混ざっていたはずなのに……」
「だから言ったでしょ? 姫は賢いよって」
なぜか私よりもドヤ顔をしているフィズ。その後ろでは、アダムも同じように胸を張っている。似たもの主従だ。
「これで姫には詰め込み教育が必要ないって分かったかい?」
「はい……。皇妃様、申し訳ありませんでした」
素直に頭を下げるコンラッド。
「ついつい陛下やアダムが皇妃様を甘やかしているばかりに授業など必要ないと言っているんだと思い込んでいました。主が間違っている時は諫めるのも臣下の役目と、気を張るばかりにきつい言い方になってしまい……」
「気にしてないから大丈夫だよ」
多分、コンラッドは将来私が恥をかかないようにと思って勉強をさせようとしてくれてたんだろう。その思いはなにも悪いことじゃない。
そこで、リュカオンが伸びをしながら口を開いた。
「だが、我はシャノンに教師をつけるのには賛成だぞ。市井での暮らしなどはシャノンも明るくないからな、シャノンの知らない分野を学べばいいだろう」
「そうだね。そういうのもコンラッドは教えてくれるの?」
リュカオンの言う通り私もまだまだ学ばなければいけないことはあるので、コンラッドを見上げてそう問いかけた。
「――はい、お望みとあらば」
コンラッドはほのかに微笑み、しっかりと頷いた。
結局、コンラッドの授業は週に数回、数時間だけすることになった。当初コンラッドが言ってたのに比べたら大分余裕のあるスケジュールだ。
そして、小手先調べの初回授業で「私、やっぱりいらないですかね……?」と言われるのは、また別の話。