【116】世間知らズの街歩き
あっという間にお出かけ当日になった。
私の特徴的な髪と瞳の色を魔法で茶色に変え、目立たないように変身する。
服装も、侍女ズが選びに選び抜いてくれたシンプルなワンピースだ。
「シャノン様、本当に行かれるのですか……?」
「ご無事で帰ってきてくださいましね。ああ、心配でたまりません……」
「いいですかシャノン様、悪い人ほど善人の皮を被っているので、そう簡単に初対面の人間を信用してはいけませんよ。お菓子をあげると言われてもついて行ってはいけません。シャノン様なら皇都中のお菓子を買い占めたとしても痛くもかゆくもありませんからね」
おお……セレスの圧が強い……。
「うんうん、気をつけるよ」
「絶対に神獣様から離れてはいけませんよ」
「分かった」
力強く頷いてみせるけど、侍女ズの顔はまだどこか晴れない。
「シャノン様はぽやぽやされているから心配です」
「ええ、こんなかわいい子、悪人でなくても持って帰りたくなっちゃいますもの。少なくとも私なら持ち帰ってとりあえずおいしいごはんを与えます」
ラナさん? 大真面目な顔で何を言ってるのかな?
「みんな心配しすぎだよ。私も最近はリュカオンと一緒に魔法の練習もしてるし、安心して!」
ポンッと自分の胸を叩く。
そうこうしているうちに出発しないといけない時間になったので、私は「お土産買ってくるね~」と言い残して離宮を出た。
おじ様とは、せっかくなので現地で待ち合わせをすることにした。といっても、待ち合わせ場所は街の入り口だけど。
私もおじ様もお出かけ初心者だから、街中で待ち合わせをしたら出会えるかどうか分からないからね。
待ち合わせ場所である門の前に着いたのは、指定の時間ギリギリになってしまった。だけど、まだおじ様の姿は見えない。
まだ来てないのかな……?
キョロキョロと辺りを見回していると、犬に扮したリュカオンにチョイチョイと前足で背中をつつかれた。
「ん?」
「シャノン、あちらを見ろ」
小声のリュカオンに促されて視線を向けた先には、どんよりとしたオーラが発生している一角があった。その中心には、一人の男性がうずくまっている。
「リュカオン、あれってもしかして……」
「もしかしなくても、そうだろうな」
リュカオンは、どこか遠い目をしてそう言った。
私達はキノコが生えそうなくらいジメジメしている男性のもとに歩み寄る。
「……お、おじ様……?」
おそるおそる話しかけると、男性がパッと顔を上げた。少し濡れた藍色の瞳が私を見上げる。
「し、シャノンちゃん……!」
「あ、やっぱりおじ様だ」
おじ様の背中をよしよしと撫でてあげる。
おじ様も一生懸命市井に馴染もうとしたんだろう、シンプルで少し使用感のある服を着ている。
……それでも、内側から滲み出るオーラはあんまり隠し切れてないけど。
道行く人の数はあまり多くないけど、みんながチラチラとおじ様を見ながら去っていく。単純に顔がいいせいかもしれないけど。
「にしてもおじ様、どうしたんです?」
「人……思ったよりも人が多くて……」
「……」
ううっ、と口元を押さえるおじ様。
おじ様、一体何年間引きこもってたんだろう……。
和平記念式典の時には大勢の前に姿を現したけど、あれは観衆とは距離があったし、全身が見えないような服を着てたからなぁ。こんなに間近で人が行き来しているのは久々なんだろう。
そもそも人の多いところが苦手なのもあると思うけど。そうじゃなきゃ引きこもらないもんね。
そんなことを考えていると、リュカオンが鼻でおじ様をつついた。
「お主、そんな調子で大丈夫なのか? まだ街の中に入ってもおらぬが」
「だ、大丈夫です」
なんとか立ち上がるおじ様。
ふむ。
「リュカオン、小さくなって」
「うむ」
周囲の視線がないことを確認し、成犬サイズだったリュカオンが子犬サイズになってくれた。
「はいおじ様」
私は子犬サイズのリュカオンを抱き上げると、おじ様のトップスの中に突っ込んだ。すると、おじ様の襟ぐりの中からリュカオンが顔と前足だけをピョコンと出す形になる。
うむ、と一人で頷く私の行動に、二人がクエスチョンマークを浮かべる。
「シャノンちゃん、これは……?」
「リュカオンが一緒だと安心。怖いものなんてなくなるから、今日はおじ様に貸してあげる」
むふん、とドヤ顔をする。私ってば、なんて名案なんだろう。
すると、なぜかリュカオンもドヤ顔になった。
「ふむ、それでは今回は教皇についていてやることにしよう」
「?」
リュカオン、なんか急に機嫌がよくなったな……。まあ、上機嫌なのはいいことか。
うんうん、と頷いた私は、おじ様の手をとる。
「おじ様、はぐれちゃうから手を離しちゃだめですよ」
「は、はい」
私の手をギュッと握り返すおじ様。
よしよし。
「シャノンも成長したのう……」
おじ様の手を引いて歩き出す私を見て、リュカオンが何やらしみじみと呟いていた。
街中に入ったら、あまりの人の多さにおじ様がパニックになって走り出したりしないか心配だったけど、どうやらその心配はいらなかったようだ。
「うわぁ、記憶にあるのとは大分様変わりしてるし、人も増えてる……。シャノンちゃん、絶対に離れないでくださいね……」
人の多さにビビり散らかしたおじ様は、後ろからギューッと私に抱きつきながら歩いている。これならどんな人混みの中でも離れようがないね。さすがおじ様だ。
背中におじ様をくっつけながら、私はズンズンと前に進む。
「シャノンちゃんはどうしてそんなに堂々としてるんですか?」
「こう見えてシャノンは度胸があるからな」
ボソリとリュカオンが言う。
「度胸……たしかに、神聖図書館に来たり、和平記念式典に殴り込みに行ったりしてましたもんね」
殴り込みには行ってないけどね。
「それも若さですかね。年をとると何をするにも臆病になっていけませんねぇ」
事あるごとに年寄りじみた言動をするおじ様だけど、外見は若者そのものだ。近くを歩いているお姉さん達も「イケメンがおびえてる」ってこっちを見ながら囁き合ってるし。
これ、周りから浮いてない? 大丈夫? 外見はなんとかなったけど、行動が不審者な気がする。
……まあいっか。こんなことをしている私達が教皇と皇妃だとは、誰も思わないだろうしね。
おじ様が明らかにおびえているからか、周りの人達も気を遣って私達の周りに少しスペースを空けてくれる。おかげで人混みの中でもスムーズに進むことができた。この国の民はみんないい人だね。
ちなみに、今日はおじ様と一緒に最近人気のカフェに行く予定だ。カフェまでの道のりが描かれた地図も、しっかりと持ってきている。
「そういえば、シャノンちゃんは地図を読むのが得意なんですか? 随分迷いなく進んでますけど」
「う~ん、なんとなくです。ちゃんと街歩きをすること自体初めてですから、地図を見ながら歩くのももちろん初めてですよ!」
「え」
「世界地図の見方はわかるので、いけると思います!」
「それとこれとは違う気が……いえ、なんでもありません」
何か言いたげな気配を感じたけど、途中で止めたってことはそこまで大したことでもないんだろう。
「ちなみにおじ様は地図読むの得意です?」
「いえ、外出が少ないせいかどちらかといえば方向音痴ですね。……今日は迷わず無事に帰れるでしょうか……」
「大丈夫ですよ! ここまで歩いてきた道のりは全部覚えてますから! それを逆戻りすればいいだけです!」
背中にへばりついているおじ様を見上げてそう言うと、おじ様は驚いたように目を見開いた。
「そういえばシャノンちゃんは頭がいいんでしたか。こんなに愛らしい上に頭の出来もいいなんて、どうやら天は完璧な生物を創り出してしまったようですね……」
「えへへ」
「そういえば」が少し引っかかるけど、とりあえず褒められているのはわかった。
「あれ? でもおじ様、以前に街歩きしたことあるんですよね? その時はどうしてたんですか?」
久々に街に出ようと思うとか言ってたし。
「はい、ですが、その時は弟が全て案内をしてくれたので……そうですね、僕はただついていっただけで、僕が苦手なことは全部やってくれて……」
徐々におじ様の表情が沈んでいく。
お、なんだか感傷スイッチが入っちゃった気がするぞ。これはよくない。
「お、おじ様? ほら、あっちを見てください! 出店? がたくさん並んでますよ。あれが市場ってやつなんでしょうかね? 行ってみませんか?」
尋ねると、おじ様はニッコリと笑って頷いてくれた。
「いいですね、行ってみましょう」
広い通りの左右には出店がズラリと並んでおり、店頭にはその店の商品が隙間無く並べられている。売っているものは、魚に果物、野菜など、食べ物が中心っぽい。
そして、そこでは店員さん達が元気よく呼び込みをしていた。
「いらっしゃ~い!! 新鮮な果物が揃ってるよ~!!!」
「お! 兄さん! 今日はいいのが入ってるぜ~」
「あ、あんた! これも持って行きなさいな! いいのいいの、サービスよ!」
おお……活気が凄い……。
こんな賑やかな場所、人生で初めてかも……。
あっけにとられた私は、無意識に口が半開きになってしまっていたらしい。おじ様にそっと口を閉じられて気付いた。
この通りは一際活気があって人通りも多いので、おじ様とはぐれないように前に進む。
「わぁ、知らない果物がいっぱい!」
「……切ったらシャノンの知ってる果物になるぞ……」
いろんな声が飛び交う中でも、リュカオンの呟きは耳に入った。
なるほど、ここにあるのは切られる前の形なのか……。ふむふむ、勉強になる。
その後も様々なお店を見ていく中で、私はとんでもないものを見つけてしまった。
「――あ、あれは……!」
「どうしました?」
「お、おじ様、怪しげな白い粉が売られています。あんなに堂々と売ってるものなんでしょうか……!?」
はわわっと戦く私。
私の目にとまったのは、何やら大量の白い粉を売っている店だ。
店頭に堂々と白い粉を広げちゃってるけど、大丈夫なの!?
世の中には危ない白い粉が取引されていることもあるから気をつけるようにって、昨日の夜誰かに言われたよ?
動揺する私とは対照的に、リュカオンは冷静だった。
「どうせ小麦粉とかであろう」
「小麦……じゃあ、合法な白い粉ってこと?」
すると、口元を指で隠すようにして考え込んでいたおじ様が口を開いた。
「いえ、もしかしたら、あえて堂々と売ることで監視の目をかいくぐるという方法かもしれません」
「なんと!?」
そんなことが……!?
やっぱり違法な粉だったの!?
「……お前達、少し落ち着け」
それからはリュカオンに念話で、安全な白い粉なんて世の中にありふれていることや、あんな目立つ場所で違法な粉の取引を許すほど警備はザルでないことなどを、コンコンと諭された。
『いいか? お前達は世間知らずなんだ。そのことを自覚し、妙な勘違いで暴走しないようにするのだぞ』
「はい」
「すみません」
リュカオンさん、私達世間知らズの引率、よろしくお願いします。