【閑話】うちの子が世界一かわいい sideリュカオン
尻尾が濡れる気配で、我は目を覚ました。
両前足に力を入れ、上半身を起こす。すると、目の前には予想通りの光景が広がっていた。
「……我の尻尾はおしゃぶりではないのだが……」
眠るシャノンを見下ろしながら独りごちる。
むにむにと動くシャノンの口には、我の尻尾が見事にインしていた。なんなら、我の尻尾全体が抱き枕のようにシャノンに抱きしめられている。
寝相は悪くないはずなのだが、いつの間に頭と足の位置が逆転したんだか……。
大人びた一面もあるシャノンだが、基本はのほほんとした甘えん坊だ。無意識に我の尻尾を抱き枕にすることもしばしばある。
「――へくちっ」
そこで、シャノンが小さくくしゃみをした。
寝ている間にシャノンが動いたせいで掛け布団もズレてしまっていたので、口で咥えてシャノンの上に戻してやる。
布団が戻って温かくなったから、シャノンの表情がむふんとご機嫌になる。寝ているにも関わらず表情が豊かだ。
……うちの子、控え目に言ってもかわいすぎないか……?
シルクのような肌触りのほっぺから、すぴょすぴょとまぬけな寝息まで全てが愛らしい。
尻尾が濡れるのに多少違和感はあるが、取り上げてシャノンの安眠を阻害したらと思うとそんなことはできない。
ただでさえこの度の騒動で疲れが溜まっているのだ。というか、シャノンがこの国に来てからは騒動しか起きていない気もするが。
いずれの騒動もシャノンに原因があるわけではなく、巻き込まれた形ではあるのがなんとも……。まさか巻き込まれ体質ではあるまいな?
嫌な予感に、思わず尻尾をパシリと動かしてしまい、その拍子に尻尾がシャノンの手から離れる。
「ん~……!」
「ああ、すまんすまん。尻尾をやるからもう少し寝ていろ。まだ起きるには早いぞ」
我の尻尾を探して手を彷徨わせ始めたシャノンに、慌てて尻尾をやって寝かしつける。睡眠不足は体調不良の元だからな。
尻尾を抱き込んだシャノンは、再び穏やかな寝息を立て始めた。
あ~! 愛い……!!
なんだこのかわいい生物は。
こんなかわいいの、嫁になんてやれぬ。あ、既に旦那はおったか。
……まあ、あやつならいいか。
金も地位も力もあるしな。
それから二時間ほどすると、シャノンが目を覚ました。
「おはよ~リュカオン。……あれ? なんか私、逆さになってるねぇ。しかもリュカオンの尻尾がべちょべちょ……」
しなっとした尻尾の先を真面目な顔で見つめるシャノン。
「――もしかして、犯人は私だね……?」
もしかしなくてもお前だ。真剣な顔で何を言っているのだ。
「証拠隠滅しないと……」
とんちんかんなことを言って我の尻尾を拭くシャノン。
子どもの思考回路は分からんな。いや、この子だからか。
「シャノン、拭くならもっと丁寧に拭いてくれ」
「ハッ! そうだね、せっかくのモフモフがダメになっちゃう」
素直なシャノンは、先程とは一転、丁寧に我の尻尾を拭い始めた。
よきよき。
これまではあまり有用性を感じたことのなかったこの尻尾だが、最近ではあってよかったとヒシヒシ感じている。
何もない所で転ぶシャノンを受け止めたり、タオルを用意するのを忘れたまま顔を洗ったシャノンの顔を拭いてやったり、そしてシャノンが寝るときにはブランケットや抱き枕の代わりにもなる優れものだ。お得すぎる。
なにより、シャノンがこの尻尾を気に入っているしな。柔らかくほどよい温もりもあって、安心毛布のように思っているのだろう。
着替えて身支度を整えたシャノンは、朝食へと向かった。
シャノンはあまり自覚はしていないようだが、食が太い方ではない。胃袋が小さいのだろう。だが、出されたものは全て食べようとするので量を調節してやる必要がある。
シャノンが食べきれる量で、いかに色んな種類の美味い料理を出せるかと、料理人は毎日腐心しているらしい。おかげでシャノンも毎日食事を楽しんでいるようだから、この調子で頑張ってもらいたい。
ただでさえシャノンは細いのに、これ以上痩せては健康を害するからな。
朝食を終えた後は、皇帝への差し入れを届けるために王城へと向かう。
我らに同行するのはいつもの護衛と、元スパイの小僧だ。
「あ、クラレンスは今日も呼ばれてるんだ」
「はい、そろそろ僕はいらないと思うんですけどねぇ」
心底嫌そうな顔で小僧が言う。
こやつは皇帝のことが心底苦手なようだからな、あやつも半ば嫌がらせで呼びつけているのだろう。我としても、命じられてやっていただけとはいえ、シャノンを煩わせたこやつにはそれくらいの罰があってもよいと思っている。
一丁前にシャノンを試したことも気に食わないしな。うちの子ほど理想の主なんてそうそういないだろうに。
そして、小僧は性懲りもなく逃げようとしたので魔法で拘束して、王城に強制連行してやった。
「あはは、もしかして神獣様、僕のこと嫌いですか?」
「そなたに対して特に好き嫌いの感情はないな」
「一番ダメなやつじゃないですか、それ……」
魔法の輪で拘束した小僧を、王城までズルズルと引きずる。しかし、現地に到着すればさすがに観念したらしく、自分で歩き始めた。
「リュカオン、あんまり意地悪しちゃダメだよ?」
「意地悪などしておらぬ。こやつが来なければ皇帝が困ると思ってな、だから多少強引にではあるが連れてきてやったまでだ」
「そっかぁ、じゃあしょうがないね」
あっさりと引き下がるシャノンに小僧がガックリと肩を落とす。
うちの子は心まで綺麗だ。だが少し騙されやすいところがあるな。そこは周りがカバーすればよいだけの話だが。
さらに、うちの子は少し鈍感だ。なので、今日も周囲からこっそりと向けられている視線に全く気付いていない。小僧なんて、その視線の多さにゲンナリとしているのに。
今シャノンに向けられている視線は全て、好意的なものだ。大方、小さい歩幅で一生懸命歩くシャノンを心配しているか、愛らしいシャノンを一目でも見ようと思っているのだろう。
贔屓目抜きでもうちの子はかわいらしい造形をしているからな。たとえ皇妃という肩書きがなくとも、街を歩いていたら誘拐犯が列をなしそうなほどだ。
うちの子の真の魅力は外見ではなく中身だがな。だが、見た目が芸術品のように整っているのも認めよう。
諸々の魅力が相まって、シャノンを見るとその日はいいことがあると言われているのだ。初期の頃では考えられないような噂だな。
だが、シャノンが好意的に受け入れられるのはいいことだ。
ふふん、うちの子は世界一かわいいだろう。
離れたところから眺めることしかできない者達に、心の中で語りかける。
そんな我を見て、シャノンが首を傾げた。
「リュカオン? どうして急にドヤ顔?」
「気にするな」
「ふ~ん? 分かった、気にしない」
我は気付かぬうちに胸を張っていたらしく、シャノンの手が我のもふっと突き出た胸毛を撫でる。
「うん、今日もふわふわ。極上の触り心地だね」
むぎゅっと我に抱きつくシャノン。その愛らしさにやられ、そこかしこから声にならない叫び声が聞こえてきた。我の高性能な耳だからこそ聞き取れるくらいの、小さな叫び声だ。
かわいすぎるのも罪だのう。
暫く我の胸に頬ずりをしていたシャノンは、気が済むと我の後ろ側に回り、背中に抱きついてきた。
「……シャノン……さては疲れたな?」
「えへへ、正解。乗せてくださいな」
かわいらしくおねだりをするシャノン。それと同時に、「いくらでもお運びします……!」、「むしろ足にしてください……!!」といった囁きが耳に飛び込んでくる。
まあ、譲らんがな。もし奴らが申し出たとしてもシャノンは断るだろうし。
シャノンが素直に甘える相手というのは意外に少ないのだ。だからこそ、我はついつい甘やかしてしまうのだが。
シャノンが乗りやすいように、廊下の床に伏せをする。すると、シャノンが我の背中によじ登り、跨ぐように座る。
シャノンの体が安定したことを確認して曲げていた脚を伸ばすと、シャノンが我の頭に抱きついてきた。
「ふふふ、しゅっぱ~つ」
ご機嫌なシャノンが言う。
「グハッ……!」
「ぎゃんかわ」
「もはや特別天然記念物」
……今日はいつにもまして賑やかだな。
小声だからシャノンには聞こえていないが、我の耳はしっかりと拾っている。
今はシャノンを刺激しないようにとの要請が皇帝から出ているが、とりあえず新規の雇用も落ち着いたようだし、そろそろ王城の使用人達とも少しずつ交流をさせてもいいかもしれんな。
まあ、それはおいおいでいいだろう。シャノンの負担になるといけないし、使用人達もこんなかわいい生物といきなり関わるのは刺激が強すぎるだろうから。
皇帝の執務室の扉をくぐれば、皇帝が満面の笑みで待ち構えていた。
「フィズ~」
「姫いらっしゃ~い」
我の背中に乗っていたシャノンを抱き上げる皇帝。
……我らもいるのだがな。
まあ、二人の仲がいいのは良いことだ。
シャノンと皇帝の心の距離は徐々に近付いている。保護者と子どものような関係だが、政略結婚にしては大分良好な関係を築けていると言えるだろう。
……にしてもこやつら、両方とも面がいいから共にいると絵になるなぁ。今改めて思ったが。
二人の周りがキラッキラして見えるぞ。
そう思ったのは我だけではなかったようだ。皇帝の側近――アダムと言ったか、奴もシャノン達をガン見している。
……そういえば、奴は面食いだったか。であれば、この二人が並んでいる光景は垂涎ものだろうな。
ペンを持った手がシャカシャカ動いているところを見るに、シャノンと皇帝の絵を描いているのだろう。見たところ絵を描いている紙は何かの書類っぽいが、それ大丈夫なやつか……?
いささか心配になったが、既に描いてしまっているものは仕方がないので止めないでおく。後で描いた絵を見せてもらおう。
「――陛下って、絶対小さい子とかをかわいがるタイプじゃないのに、シャノン様のことは溺愛してるんですねぇ」
不思議そうに元スパイの小僧が呟く。
まあ、博愛主義とはかけ離れたところにいるだろうな。それでもシャノンをかわいがるのには奴なりに色々な思いがあったのだろうが、一番は――
「シャノンは世界一かわいいからな、皇帝が溺愛するのも当然だ」
――うちの子がかわいすぎたからだろう。そうに違いない。
うむ、と一つ頷くと、小僧がなんとも言えぬ目を向けてきた。
「……」
「何だ」
「いえ、神獣様も大概だなぁと思って」
「おいっ! 失礼だぞ」
小僧を護衛の騎士が注意する。別にいいがな。
「現状、シャノンの一番の保護者は我だからな。我がかわいがらないでどうする」
文字通り、シャノンのために命をかけたあの者達の分まで、愛情を注ぐのだ。
言い切った我を見て、小僧が肩を竦める。
「……もしシャノン様に反抗期が来たら、陛下も神獣様も荒れそうですね」
「縁起でもないことを言うでない。シャノンに反抗期など、よくもそんな恐ろしい想像ができるな。そなたに人の心はないのか?」
「え、そこまで言われます?」
なんと恐ろしいことを言うのだこやつは。
万が一そんなことになったら、シャノンは我に「近寄らないで」とか言うのだろうか……考えないでおこう。
――もし、もしもシャノンに反抗期が来たら、我は千年ぶりに泣いてしまうかもしれぬな。