【113】ノクスとクラレンス
翌日、離宮のメンバー全員を集めてクラレンスの口から今回の騒動の全貌が説明された。こちらで雇うことになった以上、クラレンスが間者だったということは対外的には隠される。だけど、離宮のメンバーには全てを話しておきたいというのが本人たっての希望だ。
これから一緒に働くのに隠し事があるのは面倒だと。
曲がりなりにもスパイだったことでうちの使用人達の反感を買うかと思いきや、そこは弁の立つクラレンス。主がクズだったのと、術によって逆らえなかったことを殊更に強調してみんなの同情心を買っていた。
だけど一同の心が目に見えて掴まれていたのは、私のことをベタ褒めしている時だ。「シャノン様を見た瞬間、雷に打たれたような衝撃を感じた」だの、「こんな主にお仕えすることができたら、これ以上の幸せはない」だの、よくそんなに話せるなと感心するくらいペラペラと話していた。
「本心ですよ?」って言ってたけど、シャノンちゃんは半信半疑だ。
クラレンスの演説の甲斐あって、離宮の面々は受け入れモードだ――ただ一人以外。
私の目の前では、二人の人物が無言で見つめ合っている。
一人はクラレンス、そしてもう一人は、クラレンスに罪を被されそうになったノクスだ。ノクスの腕の中にいる狐もクラレンスを睨み付けているけど、多分状況は分かっていないだろう。ただノクスのまねをしているだけだと思う。
心なしかいつもより険しい顔をしているノクスとは対照的に、クラレンスはいつも通りの穏やかな笑みを浮かべている。
「君を身代わりにしようとしたことは本当に悪いと思ってるよ」
「……」
クラレンスの言葉には何も返答をせず、ジト目で見つめ続けるノクス。
ノクスは何事にもあまり頓着しなさそうだったから、ちょっと意外な反応だ。
「確かに僕はめんどくさがりだし、お世辞にも性格がいいとは言えないけど、シャノン様にお仕えしたいって気持ちは本当だから、そこは信じてほしいな」
クラレンスは微笑むのを止め、真摯な瞳でノクスを見つめる。
「………………分かった。それは信じる。……そもそも、シャノン様が決めたことに、異論はない……」
「ありがとうノクス! 仲良くしようね」
「仲良くはしない」
「え」
珍しくキッパリと言い切ったノクスは、そのまま去っていった。だけど、腕の中の狐が「キュ~?」とのんきに鳴いていたので、いまいち緊迫感はない。
パタンと閉じた扉を見て、クラレンスが肩を落とす。
「――あ~、行っちゃいましたね……」
「そりゃそうだよ」
「う~ん、罪をなすりつけようとしただけで怒るようには見えないんですけどねぇ。僕の見立て違いでしたかね?」
「これに関しては完全にクラレンスが悪いのに何言ってんの」
「確かにそうですね。彼には申し訳ないことをしました」
……本当に思ってるのかな。
クラレンスは既にいつもの胡散臭い仮面を被ってしまっているので本心は分からない。
まあ、ノクスとクラレンスにはほどほどに距離をとってもらおう。この離宮もそこそこの広さがあるし、こっちも気を遣えばそこまで関わらないでしょ。
その時の私はそんな風に考えていた。
――しかし、二人の関係は私の予想していた通りにはならなかった。
「ノクスおはよ~」
「ノクスノクス、一緒にごはん食べよ~」
「あ、ノクスだ~!!」
ノクスの姿を見つけるや否やクラレンスが駆け寄っていく。この数日間でよく見る光景だ。クラレンスに気付いたノクスはうげっと嫌そうな顔になった後に逃げようとしたが、既にクラレンスに捕まった後だった。
「ねぇねぇノクス何してんの? 手伝おうか?」
「いらない……あっちいけ……」
「え~? なんでそんなこと言うの?」
「キュー!!!」
しつこく絡みに行くクラレンスに、狐が抗議の鳴き声を上げた。ちょっと前ならクラレンスに対してもビビり散らかしてただろうに。狐も成長してるんだね。感動。
「え? 狐も遊びたいの?」
「キュッ!? ギューッ!!!」
「そっかそっかぁ、じゃあ三人で遊ぼうね」
「フッシャーッ!!!」
あえてかどうかは知らないけど狐の鳴き声を曲解しまくったクラレンスは、とうとう威嚇されていた。
全身の毛を逆立て、尻尾を二倍に膨らました狐をノクスが撫でる。
「よしよし……」
「キューン……」
「狐ちゃんごめんね~」
クラレンスも狐を撫でようとしたけど、再び猛烈な威嚇を受けて手を引っ込めていた。
「――姫~? いる~?」
フィズの声が聞こえてきたのは、ちょうどその時だ。
「いるよ~!」
私が言い終わるより前に、クラレンスの姿がブレた。
だけど次の瞬間には、片腕でクラレンスを捕らえたフィズが目の前に現れる。逃げようとしたクラレンスをフィズが捕まえたんだろう。
クラレンスはフィズの姿を見ると、もはや反射的に逃げてしまうみたいなんだけど、きちんと毎回捕まっている。
「毎回毎回飽きないの? どうせ捕まるんだから大人しくしておいてくれないかなぁ」
「貴方の声を聞くと無意識に体が動くんですよ……」
「そんなことでよく間者ができてたねぇ」
フィズがのんきに言う。
いやいや、この人、間者時代もフィズのこと避けまくってましたよ。むしろあまりにも姿を現さないって理由でフィズが疑ってたくらいだし、普通に任務には支障が出てたのでは?
「というか、どんだけフィズのこと苦手なの……」
私のその呟きをリュカオンが拾う。
「エリートは打たれ弱い者も多いからな。今まで自分が一番だったのに、格段に上の者が急に現れたのだから、あやつの自尊心は粉々になったのではないか?」
「なるほど、苦い記憶を思い出すから会いたくないっていうのもあるんだね」
「そうだな」
「冷静に人の内心を分析しないでもらえますかね?」
気付けば、フィズに解放されたクラレンスがこちらを見てげんなりとした顔をしていた。
「姫、今日もこの男を借りたいんだけど大丈夫?」
「うん、いいよ」
「シャノン様! 引き留めてくださいよ! 毎日毎日僕をこんな怖い人のところにやるなんて。僕はいらない子なんですか?」
フィズの申し出を快諾すると、クラレンスが文句を言ってきた。
「う~ん、でもまだクラレンスにしかできないお仕事ってないからねぇ。来たばっかりだし。フィズが必要としてるのにわざわざ断る理由もないかなって」
「おっと、そういうガチ目の返答は控えてもらえます? 僕にも傷つく心ってものがあるので」
「ふふ、クラレンスって結構賑やかだよねぇ」
「抗議したのにニコニコかわいい顔で笑われちゃったら僕はどうしたらいいんですかね」
「従えばいいんじゃないかい?」
フィズの正論パンチにクラレンスが一瞬で押し黙った。
どんだけフィズのこと怖いんだ。
「てか、いっちょ前に姫に抗議するとか何様? こんなにかわいい生物と同じ建物に住まわせてもらっているだけでありがたく思うべきなのに」
「だな」
フィズの言葉にリュカオンが同意する。
「……はい、そうですよね……。大人しくついて行きます」
「うんうん、そうしてくれると助かるよ」
項垂れたクラレンスにフィズが爽やかな笑みを浮かべた。
現在、フィズは水面下でヒュプノー王国に圧をかけている最中なのだ。そして、和解の条件としてこちらに有利な条件を提示しているところである。といっても、事が明るみに出て困るのは向こうだけなので、あちらはこの条件を飲むしかない。だけど、万が一抵抗された時に脅す材料をフィズは集めているのだ。
先日私達を襲ってきた間者は全員、フィズとクラレンスが生け捕りにしたから、彼らも和解が成立したら向こうに返す。それまでは捕虜の扱いだ。
その捕虜達も、「こんなまともな国で俺達も働きたかった……」って言ってるらしい。ここまでまともになったのは本当に最近のことだけどね。ついこの間まではとんでもない貴族がこの国の中枢に巣食ってたから。
「姫、俺はそろそろ行くね」
「え、もう?」
ハッ、いけない。本音が勝手に口からポロリ。
慌てて口を閉じると、フィズがヒョイッと私を抱き上げた。
「いつもあんまり会いにこられなくてごめんね。今回の騒動が一段落したらどこかに出かけようか」
「ううん、大丈夫。無理しないで。ちっとも寂しくない」
「……それはそれで悲しいけどなぁ。姫が来てからあまりよくない面しか見せられてないから、景色が綺麗な所とかを見に行こう」
「……考えとくね」
「ふふ、考えておいてください」
私の頭を軽く撫でたフィズは、私を抱っこしたまま玄関ホールへと足を向ける。
「シャノン様、そんなに陛下といたければお譲りしますが……」
「クラレンスじゃなきゃ意味ないでしょ。ちゃんとフィズのお役に立ってきてね。逃げちゃダメだよ」
「……はい」
少し間があったけど、しっかりと返事をするクラレンス。
フィズのところに行くのは毎回嫌がるけど、行ったら行ったでしっかりと役割は果たしているらしい。だからこそ、フィズもクラレンスの態度には何も言わないんだろう。
「早くケリをつけてくるからね」
「うん、無理しない程度で頑張ってね」
「ありがとう」
クラレンスを伴って去って行くフィズ。
さて、私はお部屋に戻ろうかなと思ったところで、これまで黙っていたノクスが口を開いた。
「……俺、陛下、好きです……」
「え? どうしたの急に」
あげないよ?
「こやつが皇帝に好印象を抱いたのは、ただ単にあのうるさい小僧を連れていってくれるからだろう」
「……はい……」
リュカオンの推測にノクスがコクリと頷く。
なるほどね。
う~ん、ノクスとクラレンスが仲良くなるのは、まだまだ先のことかもなぁ。
まあ、とにかく頑張れクラレンス。