【105】旦那様の悪口ですか? 許せませんね
夜、ベッドの上でゴロゴロとしながらリュカオンと話す。
リュカオンは私の隣に横になっているので、いつでもモフり放題だ。ベッドが広くてよかった。そこそこ巨体なリュカオンが乗っても全然平気だもん。
「ねぇねぇリュカオン、今日ノクスからいい匂いしなかった?」
「ふむ……? そういえば、確かに匂ったかもな」
「匂ったって……言い方。ノクス、意外とオシャレさんなのかな」
「そうかもな」
ペロペロと自分の前脚を舐め、毛繕いをしながらリュカオンが言う。
「……リュカオン、あんまり興味なさそうだね」
「男の匂いの話なんか聞いてものう。シャノンの話だから耳を傾けてはいるが……」
「リュカオンは私のことが大好きだね」
「ん? ふふ、当たり前だろう」
私の額に鼻を寄せたリュカオンは、私のおでこをペロリと一舐めした。毛繕いかな?
「というか、シャノンもそういうことに興味があったのか。乙女だな」
「もっちろんよ。ノクスの香水、どこで売ってるんだろう。私も使ってみようかな……」
普段は香水はつけないけど、ノクスが良い匂いだったから私もつけてみたくなった。
本当はパーティーとかに参加する時はつけるんだろうけど、ウラノスでもこっちでも、私はパーティーに参加しないからな。
……あれ? それって大丈夫なのかな……?
そんな懸念が頭をかすめる。
ウラノスにいた頃はともかく、こっちでもパーティーとかに顔を出してないのはどうなんだろう。……まあ、ユベール家の一件が終わってからは色々とバタバタしていることが多いから、そもそもパーティーは開かれていないのかもしれない。うん、そう思うことにしよう。
表舞台に出るのは緊張しちゃうし。
頭の中で考えを巡らせていると、リュカオンがスンスンと鼻をひくつかせた。
「香水なんかつけなくとも、シャノンはいい匂いだがなぁ。お日様のような匂いだ」
「ありがとう」
「だが、欲しいというのならば試しに買ってみてもいいかもしれぬな。シャノンが頼めばあの皇帝は喜んで手配するだろう。それか、自分で見てみたいというのならば街に行ってみるのはどうだ?」
「ん~、街に行くのはないかな。私が行くと、警備とか色々大変だから、いろんな人に迷惑かけちゃうし」
私はちゃんと気の遣える皇妃様なのだ。
「……そうか」
それだけ言うと、リュカオンが両前脚の間に私を抱き込む。
わぁ、あったかい。ぬくもりだぁ。
一見硬そうだけど、リュカオンの毛は綿毛のようなのだ。特に胸毛が柔らかい。リュカオンの胸毛に顔を埋めると、リュカオンからもいい匂いがする。
「ぬくもりの匂い……」
「ふふん、我も奴に負けぬくらい良い匂いであろう」
「うん」
なんでちょっと対抗心が芽生えてるんだろう。
かわいい奴だ。
わっしゃわっしゃとリュカオンの胸毛をかき混ぜる。
そうしてリュカオンと戯れているうちに、気付けば眠りについていた。
◇◆◇
くあ~。
あくびをしながら王城の廊下を歩く。
「これシャノン、あまりそういう可愛らしい仕草を振りまきながら歩くでない」
「は~い。確かに、あんまり品がなかったね」
「そういうことではないんだが……まあいいか」
今更だけど、サッと両手で口を塞ぐ。
すると、どこからかグフッという低めの声が聞こえてきた。
「ん?」
きょろきょろと周りを見回すけど、声の主らしき人は誰もいなかった。
声の主は見当たらなかったけど、代わりに嫌な声が聞こえてくる。
「―――とんだ皇帝だよな。あれが国のトップだと思うとゾッとする」
ん? なんですと?
話し声の聞こえてきた方向に勢いよく顔を向ける。すると、そこには騎士服姿で歩いている、二人組の男性がいた。
ペラペラと口の止まらない男性に対し、もう一方の男性は顔を顰めている。
「今の陛下に代わってから王城はずっと忙しないじゃないか。いいのは顔だけで、仕事なんかできやしない。みんな騙されてんだよ」
「おい、止めとけよ」
「いいや、止めないね。あの無能皇帝に、俺ぁ堪忍袋の緒が切れてんだ」
「いいや止めてもらうね」
「「!?」」
話しながら歩いていた二人がギョッとした顔でこちらを向く。
「こ、皇妃様……」
ズンズンと歩いて二人の前に歩み出る。そして騎士二人の顔を見上げた。
「……」
「「……」」
無言で見つめ合う私と騎士二人。
向こうは私の言葉を待っているんだろうけど、どうしよう……完全にノープランだった。フィズの悪口が聞こえてきたから、反射的につい……。
すると、後ろにいたリュカオンが私の耳元に鼻先を近付けた。そして、小声で私に語り掛ける。
「シャノン、まさか何も考えてなかったのか……?」
コクリ。
正面を見たまま頷く。だけど、リュカオンから返事はこなかった。もしかしたら、私の計画性のなさに絶句しているのかもしれない。
「申し訳ありません皇妃様。ご気分を害されましたよね」
黙っていると、先程顔を顰めて片割れの話を聞いていた方が、私に頭を下げてきた。
そして、隣の騎士の頭を押さえつける。
「おい、お前も謝罪しろ!」
「断る。俺はただ事実を言ってただけだ」
「はぁ!? 何言ってんだお前! こんな女の子を悲しませて謝罪の一つもできないなんて、騎士の風上にも置けないぞ!」
「無能な皇帝に嫌気が差して何が悪い! 主が悪ければ腐るのも騎士だろ!」
「お前、最近一体どうしちゃったんだよ。前はそんな奴じゃなかっただろう」
目の前にいる皇妃(私)をよそに言い合いをする騎士達。二人とも、完全に頭に血が上っちゃってるよ。
だけど、それはどうでもいい。
まともな方の騎士さんの言葉にピンときた私は、ある可能性に思い至った。そして、自分のポケットをごそごそと漁る。
「……こ、皇妃様? どうなさったんですか?」
急に自分のポケットを漁り始めた私を、これまで言い合いをしていた二人が怪訝そうに見る。
ポケットの中に目的のものを見つけた私は、再びフィズの悪口を言っていた騎士を見上げた。
「ちょっと屈んでくれる?」
「へ? なんで俺が……」
「屈んでくれる?」
強めに言えば、渋々そうにではあるけど屈んでくれた。一応皇妃の命令だからね。
本当はこんな言い方したくないけど、フィズの悪口を言う人に私が厳しくなるのは仕方がないだろう。
嫌そうな顔をして腰を折る騎士の鼻に、ポケットの中に入っていたブツを押し当てる。押し付ける手に少し力が入ってしまったのはご愛嬌だ。
「むごっ……! 何をっ―――って、あれ?」
サシェを鼻に押し当てられ、憤った様子だった騎士のトゲトゲしい雰囲気が、一瞬で霧散した。そして、我に返ったかと思えば、一瞬で血の気が引いたように顔を青褪めさせる。
「お、俺は……今まで一体何を……。ハッ、こ、皇妃様、誠に申し訳ございません……!!」
ひれ伏す勢いで頭を下げる騎士さん。あまりの変わりように、今まで諫めていた方の騎士さんも目を見開いている。
私が騎士さんの鼻に押し当てたのはもちろん、最近は常に携帯しているミントのサシェだ。もちろんヒイラギ付き。
これで我に返ったということは、この騎士さんがおかしくなっていた原因はすでに明確だろう。
「ふぅ、よかったよかった。これで元に戻らなかったら、シャノンちゃんってば、どうしてやろうかと思ったよ」
「……シャノンお前、もしかして結構怒っていたのか?」
「あったりまえでしょ!」
ふんす、とリュカオンに返す。
「ほ、本当に、申し訳ありません」
頭を下げ続ける騎士さんは、今にも消えてしまいそうなほど縮こまっている。
「騎士さん、もう謝らないでいいよ。顔を上げて。騎士さんが悪いわけじゃないのは分かってるから」
「いいえ、申し訳なさ過ぎて顔を上げられません」
尚も顔を上げない騎士さん。
「……話も聞きたいし、とりあえず移動しようか」
周りの目もあるし、騒ぎが大きくなる前に場所を変えた方がいいだろう。
私達は、空いていた応接室に移動した。
そして、様子のおかしかった騎士さんに話を聞こうと口を開いた瞬間、部屋の扉がバンッと開かれる。
「!?」
「姫!!」
扉を破る勢いで入ってきたのは、血相を変えたフィズだった。
「フィズ、どうしたの?」
「聞くに堪えない暴言を吐いた奴と姫が対峙していると聞いたから、大急ぎで駆け付けてきたんだよ。ああ、姫、可哀想に。怖かったね。こんな小さくて可愛らしい女の子の悪口を言う下郎なんて、どうしてやろうか……」
むぎゅ~と私を抱きしめるフィズ。ついでに、宥めるようにポンポンと背中を撫でられる。
「フィズ、心配してくれるのは嬉しいけど、暴言は私に対してじゃないよ」
「え? じゃあ誰?」
首を傾げるフィズに、リュカオンが「そなただ」と容赦なく告げる。
「あ、俺? な~んだ。姫、俺は慣れてるからいいんだよ」
「よくないよ!」
ケロリとした様子で言い放つフィズに悔しくなり、私は自分のスカートを両手で握りしめる。
「……私は、いつも頑張ってるフィズが悪く言われるのは悲しい……」
「姫……」
僅かに目を見開くフィズ。
そして、つい見惚れてしまうほどの美しい笑みを浮かべたフィズは―――
「―――え、やば。うちのお姫様ってばめっちゃ尊い。むしろ尊すぎるんだけど」
「おい、シャノンはうちの子だぞ」
「まあまあ神獣様、細かいことは気にしないで」
細かい所でいきり立つリュカオンを、フィズがどうどうと宥める。
そして、フィズの澄んだ瞳が私を映した。
「でも確かに、姫が悲しむのはよくないね」
「うん、フィズはもっと自分を大事にしてね。じゃないと私が悲しむからね」
「ふふ、分かったよ」
分かってくれたらしい。フィズがふわりと微笑む。
そして微笑み合う私達―――
「……お前達、ほのぼのするのはよいが、こやつらのことを忘れてはいないか?」
「「あ」」
私とフィズの声が重なる。
呆れ顔のリュカオンが見遣った先には、居心地の悪そうな騎士さん達二人がいた。
「特にシャノン、この二人はお前が連れてきたんだから、自分だけは忘れてはいかんだろう」
「……」
ごもっともでございます。