11 許してくれますか
好きだと言われて胸がときめかない人間がいるだろうか。
私はそんなことを思いながら、深くため息を漏らした。
それはもちろんできればイケメン貴公子が良かった。ダサ男なんて望むところではない。でも――。
私にこんなに真摯になって、想ってくれる人なんて初めてだったから、少しだけ嬉しかった。
でも認めたくなかった。こんなダサい男に心を許してしまいかけているだなんて。
実際にマーシュ様に魅力があるとは私には思えない。話も合わないし、『沼の貴公子』と一生を過ごすのはごめんだと思う。
……思うけれど。
相変わらず何を考えているかわからない瞳にじっと見つめられ、私は動けなくなった。
断ってしまえばいい。
『お慕いしておりません』と言ったばかりでプロポーズを仕掛けるなんて非常識すぎる。これがもしも政略結婚でないというなら、おかしいではないか。
「何度おっしゃっても無駄です。もういい加減、諦めたらどうですの」
「贈り物が汚らしいのはすみませんでした。……でもそれは貴女が好きだったから」
「私の魅力などわかっていないでしょう。ろくに社交界にも出ない引きこもりが。あなた、貴族として不真面目にもほどがあるわ。身なりも整えずに……それでこの私と釣り合うと?」
「ええ、僕は沼がお似合いですよ。華など高望みだ。それでも、貴女に振り向いてほしい」
ああ……なんて馬鹿なのだろうこの人は。
私はもうずっとあなたに振り回されてばかりだというのに。あなたのことを考えない日が、あれから一度でもあったと思って?
『沼の貴公子』を見つめ返す。
体が小刻みに震えるのがわかった。私はこの人の虜になるのを恐れている。底なし沼に沈んで二度と這い上がれなくなってしまうのだから。
「誰でもいいくせに」
悔し紛れに呟いてみる。
そうだ。マーシュ様は元々誰でも良かったのだ。いくら私をこうやって口説いていたとしても、自分に懐いてくれる良物件が現れたらすぐに捨ててしまうだろう。彼と気が合う令嬢がいるかは知らないが、どこかを探せばいるかもしれないし。
そう言ってやろうと思った、その時。
「――――!?」
突然マーシュ様が大きく一歩私の方へ歩み寄って、がっしりと私の体を包み込んだ。
思わず喉の奥で漏れる悲鳴。一体何が起こったのか、しばらくは理解が及ばなかった。
「貴女の代替品がいるわけがないですよ。金にモノを言わせて従順な子を飼うだけでは僕の気は済まない。貴女がいいんです、デレー」
私は今、マーシュ様に抱かれている。彼の癖の強い匂いがすぐそばでした。臭い。温かい体温。悪臭すら漂っているはずなのにどこか心地いい感触だった。
「私はあなたが嫌いよ……」
「必ず好きにさせてみせます」
「私、別の人のことが好き。今でもよ。あなたみたいなダサくて泥臭い男……大嫌い」
はは、と愉快げな笑いが頭上から聞こえる。
私は彼の胸に顔を埋め、決して表情を見られまいとした。それでも肩が震え声が上擦り、感情を隠し切れなかった。
「だけどっ……。ねえマーシュ様、私を許してくれますか」
――あなたの気持ちに応えられない私を。
――あなたに婚約破棄されたいと願っていた私を。
――どんどんあなたという沼にハマっていくのを楽しんでいて、いつの間にかあなたに惹かれてしまった私を。
私は馬鹿である。大馬鹿である。
こんな男を自分が好きになったことを否定したかった。最初でこそ本当に婚約破棄したいと思ったが、彼の真剣さを知るうちに考えが変わっていって。それでもやはり『別れたい』という建前を崩せなくて、ずっとずっとわがままを言っていた。
嫌いというのも本当だ。贈り物は汚いし社交パーティーには出たがらないし、沼の話ばかりするし……。
なのに、私を愛してくれているのだということがわかってしまって。そのことが私にとってはたまらなく嬉しかった。
だから、
「許すに決まってるじゃないありませんか。……むしろ、無理矢理に貴女を手に入れてしまおうと思う僕を貴女は許してくださるのかと聞きたいですね」
その一言に私は――落ちてしまった。
「構いませんわ。牢屋に放り込むでもキスするでも何でも、ご勝手になさればいいじゃないの」
私の顔はリンゴのように真っ赤に染まっていただろう。
どれだけ足掻こうとしても無理だった。やはり、マーシュ・ディンガという沼には抗えなかったのだった。