1 最悪な日
「ああもう、最悪だわ……」
私はそう呟き、呻きながら頭を抱えていた。
現在、私はとある社交パーティーに出席している真っ只中である。だからこのような醜態、本当は晒してはいけないのだが、あまりのショックに自制することができなかったのだ。
私がずっとずっと片想いを寄せていた人物、隣国の皇太子であり現在この国に留学されているウィード殿下がこの国の末王女ティファニー様と婚約を発表した。つい数分前のことだ。
私はこの国の公爵家の長女にすぎない。もちろん、王女様の方が遥かに身分が高いことは承知の上だった。
「だ・け・ど! どうして私を選んでくださらなかったのよ!? 私、どの令嬢よりもたくさんたくさん贈り物もお手紙もお渡ししたというのにっ。裏切られた、裏切られたわ……!」
思わず涙が溢れ出す。
この何年も何年も熟成された私の激しい恋心はどこへやればいいというのか。
金髪に青色の澄んだ瞳。初めて見つめられた時のあの高揚感を、私は今でも鮮明に覚えているというのに。
『俺はティファニー王女と婚約する』
あの凛々しいお声、先ほど聞いてからずっと耳の中にこだまし続けている。
なぜ、私にその言葉をかけてくれなかったのか。なぜあんな王女を選んだのだろう……。
一体どうしたらいいのか。
お菓子の乗っかったテーブルに突っ伏せ、私が嗚咽を必死で堪えていたその時のことだった。
一つ目だけならず、二つ目の『最悪』がやって来たのは。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「何を泣いていらっしゃるのですか」
突然頭上に降り注いだ声に、思わずハッと顔を上げた。
今は皇太子殿下の婚約発表騒ぎで大抵が私などに注目していなかったというのに。顔を声の方に向けてから、涙を拭い忘れたことに気づいたがもう遅かった。
「あ……あなたは」
そこに立っていた人物とまっすぐに視線がぶつかる。
それは、野暮ったい印象の青年だった。灰色のボサボサ髪を背に流し、縁の分厚い眼鏡をかけている。
私はその人物を知っていた。しかしあまりの驚きに、思わずそう問いかけてしまったのだ。
彼はぬぼーっとした笑みを浮かべて言った。
「お久しぶり。僕の名前はマーシュ・ディンガ。ディンガ侯爵家が長男です。――巷では、『沼の貴公子』だなんて呼ばれているらしいですねぇ」
目の前に、噂の『沼の貴公子』が立っていることをやっとのことで理解し、私は戦慄した。
しかもドロドロに汚れたハンカチをこちらへ差し出されている。
嫌な予感がして背筋がヒヤリと冷たくなるのを感じる。
そしてそれは、少しも間違っていなかったのだった。