未来の日記帳
どんな真面目で誠実な人でも、神様みたいな力を手に入れたら取り合えず私利私欲に使うと思うんですよね、多分......。未来を好き勝手に書き換えることができるノートが欲しいと思う今日この頃です。
相原翔は買ったばかりのノートをなくしてしまった。彼は、大学4年生で理学部化学科に所属している。今日は大切な実験があり、ノートは必須だった。なくしたことを研究室で気づいた彼は、友人にルーズリーフをもらい、事なきを得た。
翌日、大学に行く準備をしていると昨日なくしたはずのノートが鞄に入っていることに気づいた。折角だから、昨日の実験内容を写そうとノートを開くと、何やら書いてあった。
「6/3:研究室のコーヒーの補充を任される。ホワイトボードのマーカーが切れる。中華料理屋の餃子は外れだった」
誰かがいたずらで書いたのか。2行未満のその内容は、誰かの日記のようにも思える。
「ったく、誰が書いたんだよ。しかもボールペンじゃねえか。大体、6月3日は今日の日付だ」
翔はあきれながらノートを破ろうとする。その時、スマホのアラームが彼の遅刻を示唆したため慌ててノートを鞄にしまい、大学へ急いだ。
研究室に着くや否や、他のみんなが何やら盛り上がっていた。
「おつかれさまです」
彼が入ると、大学院の先輩が
「お疲れ、今研究室のコーヒーが切れちゃって補充しようってことになってるんだけどさ、誰か買いに行ってくんねえかなあ」
「俺は嫌っすよ」
ちょうどコーヒーが切れたらしい。翔がいる研究室では、コーヒーを自由に飲んで良いことになっているが、最後に飲んだ奴が新しいインスタントコーヒーを買いに行くというルールがあった。皆、それが嫌で2か月、コーヒーが切れっぱなしという事もあった。
しかし、ここ最近は研究室で入れた方が美味いし、なんかかっこいいということで皆ルールに従っていた。
「俺、最後じゃないっすもん」
「でも皆同じことを言っているんだよ」
「先輩じゃないんすか」
「いや、俺はそんな卑怯なことはしない」
なんて会話の末、結局じゃんけんで決めることになった。
翔は負けた。絶対仕組まれているに違いないと確信していた。研究室を出て大学内にあるコンビニへコーヒーを買いに歩き始めた時、今朝のノートのいたずら書きを思い出した。
まさかとは思いつつも、次にどのようなことが書いてあったかを思い出す。
「確か、マーカーが切れるんだっけ」
まあ、偶然に違いない。翔は一瞬、ノートに書かれたことが現実になるというファンタジーを想像してしまった。無理もない、こんなタイミングよく事が起こるなんて偶然とはいいがたい。研究室のコーヒーだって1か月に1度変えるくらいだ。
しかし、いたずら書きの犯人が研究室のメンバーならなんてことない。コーヒーが切れそうなことは予想できる。それに落書きできるタイミングはいくらでもある。しかも次はマーカーが切れるだ。これも予想しやすい。何ならすでに切れているマーカーと交換することだって可能だ。
翔は犯人を研究室のメンバーであると断定した。その後、案の定マーカーが切れた。先生がマーカーが切れたと言ったとき、翔は注意深くほかのメンバーを見ていたが怪しい人は特にいなかった。
ただ、研究室のメンバーであることは間違いないと確信した。他は考えられない。
「先輩かな、最近いじってたからな、その仕返しかも。しかし、確か次は餃子が何とかって書いてあったな。どう言う事だろう」
翔は最後の文を思い出しながら研究室をあとにしようとした。
「お疲れ、今日暇?」
急に友人に声をかけられた。同じ研究室の親友だ。
「うん、どうした」
「今日、うち親いないんだよね。どっか飯行かない?」
「いいね、俺も家帰っても何もないからどうしようか悩んでたんだよ」
急に外食が決まった。今日あった出来事も話したいしちょうどよかった。
「ちょうどいい機会だ。なんならこっちから中華を提案するか。それで本当だったら信じよう」
店がなかなか決まらなかったため、翔は提案した。
「今日は中華の気分なんだよね」
翔が提案すると、友人もそれに乗ってくれた。さすがに店の料理に細工はできまい。彼は、あえてわざわざ中華を選ぶことで、相手がどう出るかを確認しようとした。
しかし、彼は衝撃を受ける。まさに、失敗作というにふさわしい餃子が出てきた。カウンターに座っていたから、細工も何もしていないのがよくわかる。普通に彼らの分だけ失敗していた。友人は中華屋に文句を言っていたが、翔はそれどころじゃなかった。
家に帰り、考える。いや、考えても意味はないことは彼もわかっているが。
その奇妙なノートを机に置いてしばらくたったころ、急にノートが光り始めた。
翔は恐ろしくなり、慌てて布団にもぐった。しかし、その後は特に何も起きなかった。
2,3分ほどして彼も心を落ち着かせ、ノートを開いてみると新たに文字が書き加えられていた。しかも、6月4日の内容だった。
翔は時計を見た。時間は午前0時3分を回ったところだった。おそらく日付が変わったときにノートは光ったのだろう。
「6/4:傘をなくしたので、びしょぬれ。先生に発表内容について突っ込まれた。先輩にドッキリをかけられた。スーパーに牛乳がなかった」
翔は、すでにこのノートの効果を確信していた。
「これは今日起こることなのだろう。考えようによっては、事前に注意喚起をしてくれる素晴らしいノートだ。いや......」
彼は、そこで閃いた。もしこのノートが未来の出来事を表すノートなら、書き換えることで自分の好きなように未来を書き換えられるのではないかと。
そこで彼は試しに、
「6/4:道に100万円がおちていた」
と書いてみた。彼は、あえてあり得ないことを書くことによって実験をしたのだ。
その日は雨だったので、傘を持ち家を出る。通学路を注意深く観察しながら大学へ向かう。すると驚くべきことに、100万円の小切手が道に落ちていた。
翔は心臓の高鳴りを抑えながら、ノートの管理に最善の注意を払った。誰かにこのノートの存在がばれてしまったらまずい。必ず狙われる。誰にも鞄を触られないように注意深くノートを守り続けた。
それ以降、毎朝ノートを書き換える生活が始まった。彼の生活はとても華やかなものになっていた。午前0時になると書き加えられる文に、斜線を引くことで効果を消すことができることも分かった。
何も怖いものはない。身に何か危険が迫ればノートが教えてくれる。毎日が理想の完璧な生活だった。
1か月後、そのノートの使い方に慣れてきた翔は、扱い方が雑になっていた。それがまずかった。研究室でノートの書き換えを行っていた時、不意にトイレに行きたくなってしまった。
トイレから戻るとおいてあったはずのノートがなかった。翔は焦った。ノートの効果を知っている彼は冷や汗が止まらなくなってしまった。
「もし、誰かに見つかってしまったらどうしよう。確実に取られる。自分のいいように使われる。ノートを使っていた僕は、真っ先に消されるのではないか」
色々な考えが翔の頭をよぎった。しかし、冷静さを保ちつつ彼は注意深く他のメンバーを観察した。もし取られたなら、この中に確実にいるはずだ。
「あれ、このノート捨てたはずなのに」
先輩が呟いた。
「先輩、どういうことですか」
語気を強めながら聞くと、どうやら見た目が全く同じノートだったため、一瞬目を離した時に間違えて取ってしまったらしい。
「その捨てたノートは今どこにあるんです。ゴミ箱が見当たらないんですけど」
あのノートを捨てられるわけにはいかない。折角、手に入れた最高で最強のノートだ。あれさえあれば、何でもすることができる。何としててでも取り返してやる。
「ごめん、あのノートお前のだったのか。先生が、燃やしに行っちゃったよ。今から行けばまだ間に合うかもしれない」
先輩も一緒についてきた。責任を感じているのか、とても申し訳なさそうにしている。しかし、うまく取り戻せても中身が見られるわけにはいかない。いや、それよりもまず燃やされるわけにはいかない。研究室の書類系のゴミは中身が流出しないように、燃やすことがこの研究室のルールになっている。
「いつも先生がゴミを燃やしている場所は知ってる。急がなきゃ手遅れになってしまう」
彼は全力で走った。
しかし、間に合わなかった。あのノートはほかの書類とともにまさに燃やされたところだった。息を切らした先輩が、本当に申し訳なさそうにしていた。おそらく彼は実験の内容が書かれたノートだと思っているのだろう。先生には事情を説明していた。あのノートにはどの実験内容が書かれていたのか尋ねられたが、翔の耳には入ってこなかった。
「せっかくの俺のノートが......」
研究室への道を一人歩いていた。
研究室に入ると彼以外、皆不在だった。彼はしばらく現実を受け止められず、呆然としていた。燃えてしまったものは元には戻らない。覆水盆に返らずだ。しかし、ノートには燃えることは書いていなかった。なぜノートはこのことを書かなかったのか。思えば、最近の彼はあのノートにより作られたものだった。ノートの力を良いことに好き勝手しすぎたのか。神様が見かねた彼に罰を与えたのか。
「もう、なんか面倒だ......」
翔は不適な笑みを浮かべながら、目には涙を浮かべていた。ここ1か月はノートのおかげでずいぶんと楽しめた。楽しみすぎた。これからノートなしでやっていけるのか。1か月ノートに縛られていた。ノートを無くした絶望感と、将来への不安が彼を襲う。
だが、一方で彼の心の中には安心感も少しあった。この1か月は実に充実していたが、どことなく満足いくものとは違うような気がしていたのだ。ノートに支配されている自分に気づいていたのだろう。
楽しいことと辛いことが交互にやってくるからこそ、生きている楽しさを実感できる。ありきたりではあるが、やはり未来は自分で切り拓いていくものなのだ。もし、あのノートを取り戻すことができていても、本当の意味での幸福とは異なる未来が待っていたのかもしれない。
「俺の未来は......、日記帳なんかでは決まらない......」
色々と疲れた彼はそのままうなだれるように横になった。これはこれで満足いく結果だったのだ。今や彼の目つきはここ1か月で最も穏やかなものになっていた。
「今までありがとう......」
今や灰と化しているであろうノートに別れを告げると、彼は1か月の疲れをとるかのように静かに眠りについた。
その直後、廊下の向こうでベルが鳴る。しかし、満足げな表情で寝息を立てている彼は、それが、火災報知器によるものだと知ることは無かった。
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