第九十六話 アマネと影人と世界の扉
「影人様たちは、もう行ってしまわれるのですね……」
聖女様がしおらしく寂しそうな表情を見せた。
「そうですね。
まずは<ワコク>で情報を集めてから、法王の言っていたエルフの大森林とやらに行こうと思います」
「あ、あの!
私も!…………いや、やはり、なんでもないです」
「…………」
聖女様は目線を落とし、口をつぐんだ。
「聖女様。
今回は本当にありがとうございました。
少なくとも、これで今後、奴隷になる人は確実に減ったでしょう。
フラウのような子供をこれ以上増やさないで済みます」
「そんなっ!
お礼を言うのはこちらの方です!」
慌てて頭を上げた聖女様と視線が絡まる。
「あ、の」
「はい」
「わ、私は、その、影人様が、の、ことが、」
「…………聖女様」
「え!あ、はい!」
「私はフラウの姉を探し、いずれは魔王とも戦うかもしれない。
そのために、旅を続けていかなければなりません。
今は、他のことに目を向けているわけにはいかないのです。
聖女様も、聖女様として、これからも頑張ってくださいね」
「…………」
聖女様はうつむいてしまった。
「…………はい」
そして、か細い声で小さく返事を返した。
「あの、」
「ん?」
「最後に、お願いがあるのですが」
「なんでしょう?」
「私のことは、ミツキと同じようにアマネと呼んでください。
あと、敬語もなしで」
「え、いや、それはさすがに」
聖女様相手にそんなことは出来ない。
「私に言わせずに逃げたのですから、それぐらいはいいでしょう?」
聖女様は顔を上げ、いじわるな表情で笑ってみせた。
バレてたか。
俺はそれに苦笑しながら返す。
「分かりました、いや、分かったよ。
アマネ」
「よろしい!」
そう言って笑うアマネは、もう元の輝かしい笑顔に戻っていた。
「……ミツキお姉ちゃん。
私はダメな子なのかもしれないです」
「どうしたの?」
「ご主人様が他の女の子に優しくしてるのを見ると、なんだか、もやもやするです。
ミツキお姉ちゃんとか、プルとかなら平気なんです。
でも、聖女様が、その、ご主人様とお話してると、なんだか、落ち着かない、です」
「はは~ん」
「な、なんですか!?」
ミツキがフラウの頭にぽんと手をのせる。
「それは、女の子なら誰でも芽生える感情よ。
それをこじらせずに大事にしてあげなさい。
その感情に名前をつけられるようになったら、きっとフラウはもっと素敵な女性になれるわ」
「ん~。
よく分からないのです」
「じゃあ、それは宿題ね!
あ、影人に聞くのは禁止だから!」
「わ、分かりました~」
「なんの話だ?」
「ふふふ、女同士の秘密よ~」
「?」
「さ!さっさと<ワコク>に行きましょ~」
「おー」
「あ!待ってください!
ミツキお姉ちゃん!」
「やれやれ」
そうして、俺たちは大聖堂をあとにした。
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魔王の万有スキル『世界の扉』
任意の場所に繋ぐことができる扉を出現させる。
ただし、他者のパーソナルスペースとなる室内には扉を設置できず、空が見えるオープンスペースである必要がある。
また、結界などの閉塞空間の場合、たとえ室外であっても扉を通るには制限がかかる。
制限とは魔王の魔力である。
つまり、魔王が<マリアルクス>に単身乗り込んだ時も、魔王はその魔力を大きく制限されていたことになる。
また、『世界の扉』を他者のスキルスペースに繋げることで、他者のスキルを奪取することが可能。
なぜ、他者のパーソナルスペースには入り込めないのに、他者のスキルスペースには侵入できるのかは謎だが、女神が魔王の「すべてが欲しい」という希望に対して、それを叶えるとともに、その野望に制限を設けたためではないかと推測される。
そして、現在。
人間の領域にかかる結界と、<ワコク>自体とに張られた、カエデ姫の二重の結界を通過するのにかかる制限は、魔王の魔力を一般人と同等にまで下げていた。
つまり、今の魔王は大人の男1人に簡単に組み伏せられるほど華奢で非力な少女なのである。
そんなリスクを侵してまで彼女はなぜ<ワコク>に侵入したのか。
その狙いと、魔王はまもなく接触する。
「おっ!
キレイな姉ちゃんだねえ!
これ食いな!」
「えっ!
いいのっ!
やたっ!」
「おや、あなた見ない顔だねえ。
この国は良い国よ。
ほら、これもお食べ」
「わーい!
ありがとー!」
魔王は皆から食べ物をもらって、ほくほく顔で歩いていた。
口の周りにソースをつけながら、たこ焼きを頬張る。
「あ~、久しぶりだわ~。
やっぱり日本人に粉ものとソースは必須ね。
お寿司はないのかしら。
醤油が恋しいわ~」
魔王はとろけるような表情で食べ歩きを楽しんでいる。
せっかく口うるさい側近の魔族の目を盗んできたのだ。
少しぐらい楽しんでもいいだろうと魔王は胸を踊らせていた。
その美しい容姿とは裏腹な、無邪気な少女のように弾ける笑顔に、道行く人がたびたび振り返った。
「「きゃっ!」」
そして、街角で魔王は誰かにぶつかる。
「し、失礼しました。
大丈夫ですか?」
そう言って手を差し出してきたのは、長く艶やかな黒髪が美しい振り袖の女性だった。
その女性は、魔王が探していた人間だった。
いけない!
私としたことが、久しぶりに市井に出られた嬉しさから、人にぶつかってしまいました。
「し、失礼しました。
大丈夫ですか?」
「あ、いえ、こちらこそ、ごめんなさい」
そう言って私の手をつかむ女性は、とてもキレイな少女だった。
濃い桜色の艶やかな髪がまっすぐ腰の下まで伸びてて、口紅のような薄い真紅の大きな瞳がきらきらしていて、薄く結ばれた口元が柔らかく口角を上げている。
「素敵なお召し物ですね。
身分の高いお方でしたか?
だとしたら、大変失礼しました」
立ち上がった少女が深く頭を下げる。
ずいぶんしっかりしている。
いったいいくつなんだろう。
うら若き少女のようであり、妖艶な女性のようでもある。
不思議な魅力を持った女性。
「いえいえ、たいした者ではないです。
こちらも勇み足でしたし、お気になさらないでください」
「ひ、カエデ様っ!
こちらでしたかっ!」
……テツ、姫様って言いかけましたね。
「迎えが来たようです。
では、私はここで」
「はいっ!
また!」
少女は輝くような笑顔を見せると、さっと私たちの横を通りすぎて走っていった。
「今の方は?」
「旅の方ですかね。
少しお話をしただけです」
そう言って、私たちも歩き出す。
また?
彼女の言葉を思い出して振り返ると、その少女はもう見えなくなっていた。