第六十話 黒の指輪
「やれやれ、ひどい目に遭った」
なんだか、前にもこんなことを言った気がするな。
「だ、大丈夫ですか?」
フラウが心配そうに俺を覗き込んでくる。
俺とフラウは訓練場を後にして、街に戻ってきた。
カイゼルはきっと、今ごろまた始末書地獄だろう。
今度は王子相手だ。
前回の比ではない。
ざまあみろ。
<マリアルクス>の城下町は美しかった。
石造りの住居や商店が軒を連ね、街を横断する運河を船が渡る。
まるでヴェネチアを彷彿とさせる風景だ。
だが、かと思えば、商店には武器屋や怪しげな魔法薬を売る店があり、遠くには、近代的な商業ビルを思わせるギルドがあったりする。
さらに、周りを見渡せば、ケモミミ尻尾の獣人や、まんまドラゴンなドラゴニュートなんかもいる。
そんな光景を見ていると、ノスタルジックな気分を金属バットでぶん殴られるような、何とも言えない気分にさせられた。
俺とフラウは、そんな街中をぶらぶらと歩きながら、ある店を探していた。
「お、ここにするか」
「まじょうや?ですか?」
「ああ。
魔法の杖を専門に扱っている店だ」
フラウにそう教えながら、俺たちは『魔杖屋』と書かれた店のドアを開けた。
「いらっしゃい」
小さな丸い老眼鏡をかけた老婆が、こちらに目だけを上に向けて覗き込んできた。
どうやら、彼女がこの店の店主のようだ。
「初めてなんだが、自分に合う杖を探している」
俺はその老婆に声をかける。
「ジョブは?」
老婆は読んでいた新聞をたたみながら尋ねてくる。
「スペルマスターだ」
「へえ」
俺がジョブを答えると、老婆は少し驚いたような顔で、眼鏡に手を当てた。
老婆が何事か呟くと、透明な眼鏡のレンズの色が薄い青に変わる。
「あんた、ヒューマンだろ?
若いのに、もうそこまで進んでるのかい。
なかなか優秀なんだねえ」
老婆は色の変わったレンズ越しに、俺をじっと見つめている。
「ふむ。
魔力量もなかなかだね。
それなりにまともな修練を受けてきたようだ」
それだけ言うと、老婆は再びレンズの色を戻した。
「そうさねえ。
スペルマスターに合う杖となると、」
老婆はガサゴソと棚の中を探し始めた。
「ああ、あんた。
戦闘スタイルはどんなんだい?
このまま魔法を突き詰めて賢者を目指すのか、
魔法剣士とか魔弓師みたいに、武器に魔法をのせる魔法戦士なのか、
自らの肉体や拳を魔法で強化する魔拳士なのか、
それによって、杖も変わってくるねえ」
「そうだな。
刀に魔法をのせたいから、魔法戦士になるのかな」
「ああ。
それだと、杖は邪魔になるねえ」
俺の返答を聞くと、老婆は棚を探すのをやめて、自分のローブの袖をごそごそと探り始めた。
「ほれ。
これがいいだろう」
そう言って老婆が出してきたのは、黒く輝く指輪だった。
「これは?」
「こいつは、『黒の指輪』って言って、杖の代わりになる魔法発動体だよ。
純粋な魔法使いタイプ以外は、だいたいそういう身に付けるタイプか、武器自体に杖の術式を組み込むことが多い。
ただ、武器に杖の術式を組み込むのは現代では失われた技術だから、基本的には皆、指輪とか耳飾りとかを身に付けて、魔法発動体としてるんだ」
「なるほど」
「これは世に2つとない良いものだから、大事に扱いなよ」
老婆はひひひと笑いながら、指輪を渡してきた。
「そんな大層なものをいいのか?
そこまで大金は持ってないぞ」
「あんた、ルル様のお弟子さんの連れだろう?
今度、その方に少々魔力を融通してもらいたい。
魔力が足りなくて作れなかった杖があってね。
その話を通してくれれば、お代はいらないよ」
老婆は初めから、俺がルルと繋がりがあるのを分かっていたようだ。
魔法士からすれば、ルルは神のような存在らしい。
よって、その弟子のプルも相当な存在のようだ。
確かに、それなら指輪ひとつ、たいして惜しくもないのだろう。
俺はプルを店に連れてくることを約束して、指輪を受け取った。
後日、店にやって来たプルは老婆に魔力を提供したが、供給過多で、結局杖の作成は失敗してしまったようだった。
老婆は少し落ち込んでいたが、まだまだ改良の余地があるということだ!と、さらに意欲を燃やすこととなったのだった。
「キレーですね」
俺の左手の人差し指にはめられた『黒の指輪』を見て、フラウが呟いていた。
確かに、吸い込まれそうなほどに深く、美しい黒だ。
そして、指輪を身に付けてから、はっきりと分かるほどに魔力が充溢している。
老婆曰く、自身が持つ魔力を無駄なく循環してくれるらしい。
つまり、これが本来の俺自身の、現状での魔力というわけだ。
先ほどの数十倍はある気がする。
それだけ、魔力の効率的運用は難しいということだろう。
それを、この指輪は全て代替してくれている。
なるほど。世に2つとない代物と言うだけはある。
自身の戦力増強を図ろうとはしていたが、これは思わぬ収穫だった。
そうして、ロリカイゼルのせいでひどい目には遭ったが、指輪も手に入り、その日は宿に戻ることになった。
明日、フラウの武器をドワルの所で受け取れば、いよいよ西の<アーキュリア>へと向かうことになる。