第三百五話 月の壊し方
「……軽い、な」
とりあえず魔人の鎚に変形させた武器を憤怒に合う大きさにまでサポートシステムさんに巨大化してもらった。
そうして出来上がったのは15メートルほどの巨大な鎚だった。
俺が持っている持ち手部分以外は、直径が俺ぐらいの太さだ。
普通ならこんな巨大なもの、持ち上げるのに相当苦労しそうなものだが、もともとの魔人の鎚の大きさ程度の重さしか感じない。
宇宙空間だからそんなもの関係ないのかとも思うが、武器自体の重さは感じるから完全に無重力というわけではなさそうだが。
『闇影の鎧の効果ですね。宇宙空間においても地上と同様の挙動を可能としながら、巨大化した魔人の鎚の重さだけは無重力空間を適用させているようです。ですので、マスターが感じているのが魔人の鎚の本来の重さだけ、という感覚は間違っていません』
「……なるほどな」
なんというか、ご都合主義というか、使い勝手が良すぎるな。べつに助かるからいいんだが。
『闇の帝王の称号と魔王スキルというものを同時に所持している状況というのが本来はあり得ないですからね。
闇の帝王は神の守護者であり、魔王は神の敵対者。
相反するふたつが同時に同じ場所に存在しているのです。これぐらいの芸当は当然かと。
もはやそれは神の領域に迫りつつあります。
もしかしたら、アカシャは最初の闇の帝王にそれをさせるために彼を失敗させたのかもしれませんね』
「……わざと魔人たちが暴走するように、それを闇の帝王が止められなくなるようにしたってことか?」
『はい。そうして神に敗れた闇の帝王が神を討たんと魔王スキルに目覚めることを期待して』
「……が、それは失敗した」
ルルや天竜、2人の巫女たちによって討たれた。
『闇の帝王の神に対する信心が思ったよりも深かったのかもしれません。攻撃特化の闇の帝王が本当に本気を出せば、他の神の落とし子たちが敵う道理はありませんから』
「……神を信じ、躊躇した結果、神の本来の期待にも応えられず、かつ討伐されてしまった、と?」
『そうなりますね』
それは、かなり酷くないか?
わざと自分に牙を剥くように仕向けて、それでも生みの親に対して本気で向かうことはできないと躊躇った子を容赦なく始末したと?
あのパンダが?
『神とは存外、かようにも苛烈で冷徹なものです。本来はそもそも感情などないですしね。
この世界に教会ができたのはわりと最近のことです。あの子は私と違って、人の祈りや信仰による影響をそこまで受けていませんから、アカシャの在り方こそが、あるいは神の原型であるとも言えるかもしれません』
……命を自由に扱える神からしたら、一個の命など驚くほど軽いのかもしれない。
いや、あるいは重さなどないのか。
単純に世界や自分の身が危ないから、自分に匹敵する『武器』を創っておきたくてそんなことを企てたのかもしれない。
どこまで計算されているのだと、ヤツの掌の上で転がされている感じもしたが、俺が思っているよりも神というものはシンプルなのかもしれない。
『そうですね。余計なことは考えず、シンプルに、合理的に。
それが我々の基本理念かもしれません』
「……そんな神とは思えないほど、貴方は人間くさいけどな」
最高神イリスの魂の一部だというサポートシステムさんは、そんな神とやらとは思えないほどに人間である俺の気持ちを理解しているように感じた。
『ふふ。私は人間の信仰に長い間浸かりすぎました。どうにも、あなた方の考え方に近いものになってしまいがちなようです』
その結果、それを危険と判断して七大罪と呼ばれる感情を捨て、名実ともに最高神が誕生したわけか。
「……まあ、どんな理由であれ俺のやることは変わらない。
奴らを倒し、フラウを助ける。
世界を滅ぼされても困るしな」
『それで良いかと。自分で処理できない私としてはありがたい限り。できる限りのサポートはさせていただきます』
「ああ」
相手は規格外すぎる存在。
助けはあればあるだけ良い。
「で、この大きさの鎚なら、ヤツの肉体である月をどうにかできるのか?」
『……微妙なところです』
「……なら、もっと大きくするか?」
必要なら、今の俺ならヤツと同等近い大きさにまで鎚を巨大化させることができそうだが。
『いえ。大きさはそれで問題ありません。というより、それ以上大きさを変えても効果は変わりません。
大きい相手に大きくした鎚を打つという認識さえあれば効果は十分に現れます』
概念的な考えはいまいち理解が追いつかないが、まあそういうものだと思っておこう。
『問題は不完全な魔人武器で憤怒に干渉しきれるか、という点です』
「不完全? これはまだ、完全な状態ではないのか?」
『はい。全ての魔人武器と万有スキルが揃ってませんから』
「ああ、たしかにな」
元は全てがひとつとして闇の帝王に備わっていたらしいからな。
プルの持つ魔人の杖。フラウの持つ魔人の短剣。ルルの持つ『世界調整』。
それらを回収して、俺の中で再びひとつにしなければ本来の性能は発揮できないってことか。
「干渉する、というのは?」
『魔人の鎚、及び『世界動地』によって、月であるところの憤怒に干渉。その内に侵入します』
「侵入……暴食の時みたいな概念空間みたいなことか?」
『似ていますが少し違います。
あちらは空間的にこの世界とはまったくの別次元ですが、今回は憤怒の心の中。
巨大すぎる肉体に包まれた彼の中心部分に触れるのです』
「……心の中」
『フィジカルで言うところの憤怒は強すぎます。その巨大すぎる肉体を攻略するのは難しいでしょう。
外からは2人の守護者が削り、マスターはその内から憤怒を討ち破るのです』
「なるほど。理屈は理解した」
外側からだけでは倒しきれないから中からも心を直接攻撃して倒せってことか。
『そうです。ですが、不完全な魔人の鎚では憤怒の心に侵入はできても倒しきれるかどうか。
最悪、マスターがヤツに取り込まれる可能性もあります』
……取り込まれる。
ただでさえ戦闘能力的には最強の憤怒が、俺の魔人武器やら万有スキルやら称号やらを手にいれるってわけか。
『……それはまさに、世界を滅ぼす厄災の誕生を意味しますね』
「ああ。俺も、そんなのはどう間違っても生まれてほしくないな」
俺は見てくれだけデカい鎚をひと回しした。
「ようは俺に精神的な干渉。洗脳めいたことをしてくるってことだろう?
俺はそれに負けずに、心を強く持ってヤツを倒せということだ」
さっき一瞬同調しかけたヤツの憤怒の感情。
マグマのような煮えたぎる怒りが洪水のように押し寄せてきた。
一瞬でその凄まじさを感じた。
その中に飛び込んで、それに飲み込まれずに憤怒を叩けというわけだ。
『……そうなりますね』
「ふっ。安定の無理ゲーだな」
まあ、いつも通りではあるが。
『……すみません』
「あんたが謝ることはない。だいたいいつもそんなもんだ」
あっちの世界でもそんな仕事はけっこうあった。結局はやるしかないんだから、やるしかない。
『影人ー。状況は理解したわ。あんたの方に攻撃がいかないようにするから早く行きなさーい』
『ルル』
俺とサポートシステムさんの会話を聴いていたようで、ルルはすぐに対応してくれた。
『影人。これはいる? おっと』
プルは魔人の杖を掲げながら、自分に飛んできた攻撃をひょいと避けた。
月の大地の表面が急激に盛り上がり、尖った山となって猛スピードで向かってくる攻撃。
さっきの俺はそれにやられたのか。
とんでもないスピード……いや、大きさが違いすぎてそう感じるだけか。
ヤツからしたらデコピン程度の速度でも、圧倒的に小さい俺たちからすれば、それはもはや光速に近い感覚なのかもしれない。
『いや、まだ使っていてくれ』
『そ』
プルの持つ魔人の杖はもはや全開状態だった。
プルの周囲を舞う無数の流星。
あれは全て魔人の杖から生み出されたもので、ひとつひとつをプルは完全に制御してコントロールしている。
その威力はあの憤怒の攻撃を弾くほど。光速レベルに感じるヤツの攻撃をプルが避けられたのは自動防御するあの流星のおかげだろう。
それを今、プルから取り上げるわけにはいかない。
どうせ不完全ならば、俺はこのまま行くことにしよう。
ルルの万有スキルはよく分からないから使えないし。
『んじゃ、頑張って』
『ああ』
「さて、まずはどうこれをアレに差すか、だな」
近付けば光速の針の餌食。
針とはいっても、俺からすれば大地が真正面から正面衝突してくるようなものだ。
俺には到底、避けられる気がしない。
『……何やら企みがあるようだな』
「!」
この声はさっきの……憤怒か。
『いいだろう。来れるものなら来ればいい』
その声が聴こえると、目の前の大地が大きく開いた。まるで口を開いているかのようだ。
「……地獄の入口に飛び込んでこいってか」
ヤツからしたら、最凶になるための武器が自分から飛び込んできてくれるってわけか。
勝ち前提で俺を受け入れると。
「……上等だ」
俺は憤怒の誘いに乗って、真っ暗闇の深淵へと向かっていったのだった。