第二百九十五話 いただきます、ごちそうさま
「その、ご主人様の持つ魔人の刀はそれだけ別のものが配合されてるです」
「別のもの…………あっ」
フラウは自信なさげにまごまごしながら話していたが、そこまで聞いて、俺もようやく合点がいった。
「命の実か!」
「はいですー」
フラウの姉のサリアをエルフの大森林の最奥にある命の樹から解放した際に得た黄金のリンゴ。
たしかにあれは食べ物のカテゴリに入ると言えなくもないか。
「え、でもあれってドワーフの頭領がさんざんトンテンカンして加工したんでしょ? 食べ物っていうには硬すぎない? おまけに金色だし。私の感覚的に微妙なんだけど」
「……たしかに」
たとえリンゴの形をしていても硬すぎる上に金色をしていたら、俺もそれを食べ物ではなく金属と判断するかもしれない。
俺たち転生者をトレースして暴食の価値観が出来上がったのなら、俺やミツキがそれを食べられると判断しなければならないのだろう。
「ああ。命の実か。あれなら食えるぞ」
「え?」
「そうなのか?」
俺たちが悩んでいると女王があっさりとそう言ってのけた。
「ああ。神樹の上層にたまに実るからな。ルルは見つけると喜んで取ってきてたぞ」
「女王は、その調理方法を知ってるのか?」
「当然。ルルは自分で調理なんてしないからな。月影の魔女が来るまでは我がずっと料理番をやっていたんだ」
……ルルっぽいと言えばルルっぽいな。
「じゃあ……」
「ああ。抽出さえしてくれれば、あとは我が何とかしよう」
「よかった……」
フラウが安心したように息を吐く。自信がなかったのはどう加工調理すればいいか分からなかったからか。
「やったわね! ご飯食べられるわよ!」
ミツキが嬉しそうに暴食に飛び付く。
「……どうかな。今まで、それでさんざんぬか喜びしてきたから」
だが、暴食の表情は晴れなかった。まだ信じられないといった様子だ。無理もないな。
「……よし。まずはやってみよう」
これはもう実際に見せてやる方がいいだろう。
「はいです!」
俺が黒影刀をフラウに渡すと、それを魔人の短剣で挟むようにして床に置いた。
その方がイメージしやすいそうだ。
「……やるです」
フラウはその前に膝をつくと、3本並んだ剣を挟むように手を置いた。
「……魔人の短剣起動」
「おお」
フラウがそう言うと、黒影刀の両側に置かれた魔人の短剣が輝いた。
「魔人の刀と同期……完了」
短剣に同調して刀も同じように光を放つ。
「魔人の刀をフルコピー。かつ分離コピー。
命の実の要素だけを右に。残りを左に」
「……すごいな」
フラウが呟く通りに刀が纏っていた光が刀のシルエットとなって浮かび上がり、そこからリンゴの形をした光が分離した。そして、それぞれが魔人の短剣へと吸い込まれるように同化していく。
「コピー完了。魔人の刀との同期解除。
続けて右の魔人の短剣からコピーした要素を抽出」
そして、右側に置かれた長剣の方から金色に輝くリンゴが実体を帯びて顕現した。
「……まるで、3Dプリンターだな」
魔人の短剣っていうのはアルゴリズム、プログラム進行みたいなものだな。
ひとつひとつをAかB、1か0で判断して進めていく。
フラウはそれを何となく理解してやってのけているのか。使い方は魔人武器の持ち主になれば自然と頭に入ってくると言うが、ここまで自分の文化圏にないことも出来るようになるのか。
「……ふう」
フラウは現れたリンゴを手にのせると、短剣にコピーされた他の要素を消去した。
「ご主人様。刀、ありがとうございました」
「ああ。すごいなフラウ」
「えへへ」
フラウから黒影刀を受け取りながら頭を撫でてやると嬉しそうに頬を赤らめた。
「女王様。お願いしますです!」
「ああ」
フラウは金色に輝くリンゴを女王に差し出す。
「少し待っててくれ。調理場を借りるぞ」
女王は魔人の鎌を出現させながらキッチンへと消えていった。まさかとは思うが、そんな大きな鎌で命の実を切るのだろうか。まあ、切るのだろうな。
「……」
暴食の方を見ると、興味深そうに女王が向かったキッチンを覗き込んでいた。
しばらくそのままだったが、
「あ…………っ!」
俺が見ていることに気付くと、再びサッと体の向きを変えて自分の膝に顔を埋めた。
後ろからでも耳が赤いのが分かる。
期待していないと言いながらいざ目の前に命の実が現れると気になって仕方ないようだ。
「……」
そのあともチラチラとキッチンの方を見ているのでもう放っておくことにした。
「女の子なのよ。普通のね」
その様子を微笑ましく見ていたミツキがポツリと呟いた。
「……俺たちのいた世界の概念をトレースしているならなおさらだろうな」
彼女は見た目どおりの、フラウとたいして変わらないぐらいの精神年齢の少女なのだ。
「……私、ちょっと傲慢ってやつを殺してみたくなったわ」
「……言い方は穏やかじゃないが、まあ、気持ちは分かる」
「ご主人様! 私も殺したいです!」
「……フラウ。ミツキの真似するのはやめなさい」
フラウがそこまで怒るのも珍しいが、あんまりそんなことは言うものじゃありません。
「待たせたな」
「いや、待ってない。早かったな」
皆と軽く会話していると女王が皿を持って戻ってきた。
皿の上にはカットされた命の実。
べつに調理したわけではなく切り分けただけだから早かったのか。まあ、他に食材や調味料もないしな。
カットされた命の実は皮は金色だが、中身は普通のリンゴと遜色ない。
ご丁寧にウサギの形にカットされている。
「本来は果肉も金色なんだが、それだといまいち食材って感じがしないと思ったのでな。魔力を抜いて色抜きをした」
そう言われると女王の顔の色艶が良くなっている気がする。命の実の金色は溢れんばかりの魔力だったのか。
「ほら。待たせたな。ゆっくり食べるといい」
女王は持ってきた皿を暴食の前のテーブルにコトリと置いた。可愛らしい猫の装飾が施されたフォークが添えられている。
「……」
「……どうした?」
暴食はぼんやりした顔で目の前に置かれたリンゴを見下ろしていた。
やはり金色だと抵抗があるのだろうか。
「……いいの?」
「!」
暴食は信じられないといった表情でこちらを向いた。顔は驚いていたが、その目はキラキラと輝いているように見えた。
「……ああ。全部おまえのだ。好きに食べるといい」
「……」
俺に言われて、暴食はようやく体の向きを戻して皿に向き合った。
「……」
おそるおそるフォークを手に取り、リンゴに突き刺す。
「わっわっ!!」
フォークを刺しただけで果汁があふれた。それだけで命の実がとても良質な果物なのだと分かる。
暴食はこぼれ落ちる果汁の一滴さえ逃さないとばかりに手でそれを受ける。
そして、フォークで刺したリンゴをおそるおそる口に運ぶ。
シャリ……
まるで梨かと思うほどの心地よい音をたてて暴食はリンゴを食べた。
「……」
もぐもぐと一口一口を確かめるように咀嚼する。
やがて、ごくんと飲み込むのが分かった。
「……あ!」
しばらく余韻に浸っていたようだが、手で受けた果汁が指の隙間から垂れそうになっていることに気付いて慌ててそれをすすった。
「……う」
手から果汁はこぼれなかったが、違う雫が代わりに床にこぼれた。
「おいしいよぉ~」
そして、暴食は泣きながらしゃくしゃくと皿にあったリンゴをあっという間に平らげた。
「影人……」
「……ああ」
食べ終わってもまだしゃくりあげている暴食だったが、その姿が少しずつ薄くなっていた。
穏やかな笑みで彼女を見つめていたミツキも驚いた様子だった。
「……ごちそうさまでした」
暴食は両手を合わせると丁寧に空の皿に頭を下げた。
そして頭を上げると皿を持ってこちらを振り返る。
「ありがとう。とても、美味しかった。食べるってこういうことだって思い出したわ」
「……ああ」
涙を浮かべたまま笑顔で皿を返してくる暴食から皿を受け取る。
その姿はどんどん薄くなっていた。
「……消えるのか?」
「……うん。自分の力の使い方を思い出したわ。でもそれと同時に暴食の本能も再燃し始めたみたい。
だから、私があっちの世界に行っちゃう前に、この世界を私ごとまるごと食べて、暴食を終わらせるわ」
自分が封じられていた世界をまるごと食べる。彼女の本来の力はそれほどのものなのか。
「あ、ちなみにあなたたちはこの世界にとっての異物だし、私が食べるときに選定外にするから、この世界がなくなれば勝手に弾かれて元の世界に戻れるから心配しないでいいわよ」
「そうなのか」
じゃあ殿様たちもまとめて帰還できるわけか。
「あっちの暴食はどうなる?」
「アレは私とは別の存在だから消えはしないけど、もう転送先の世界はなくなるから無敵ではなくなるわ。ただの弱々しい存在になるはずよ」
「そうか……」
話している間にも、彼女の姿はどんどん薄くなっていく。もはや、ミツキが着せてやった黄色のワンピースでようやく存在を認識できる程度だ。
「……影人。世界が……」
「……」
暴食の姿が薄れるに伴って周囲の景色が揺らいでいく。今まさに世界を喰っているということなのだろうか。
「……あんまり、おいしくないわね」
暴食が苦笑している。
本来の彼女の力なら、捕食するという行為すら不要だというのか。
「あのリンゴ。とってもおいしかったわ。またいつか、食べられたらいいな」
「食べられるさ、きっと」
すべてが終わったら、彼女に命の実を供えようと思う。
「……ふふ。楽しみ、ね」
だんだんと自分の存在が疎かになっていくのを感じる。この世界が俺たちがいることを拒否しているような感覚。
まもなく、元の世界に戻るということなのだろう。
「……みんな、ありがとね」
「グラちゃん!」
「ミツキ。洋服、ありがとう。嬉しかった」
「……ううん」
もはや、声だけでしか彼女を認識できない。
「……じゃあね。私が生まれ変われるように、ちゃんと世界を守っといてね…………ありがと」
「わっ!」
彼女のその言葉を最後に目の前が真っ白になった。暴食と世界が完全に消えたのだ。
『やれやれ。所詮は人間のトレースですね。無様なものです』
そして元の世界へと戻る一瞬、俺は聞き覚えのある声を聞いたのだった。