第二百九十三話 見せられた世界
「……フラウ? ミツキ?」
俺の住んでいた家に入ると、フラウとミツキの姿がどこにもなかった。
それに景色も変わらない。もはや懐かしさすら感じる俺のかつての家だ。
「……女王もいないか」
隣に並んでいたはずの女王の姿もない。
これは、俺だけなのか?
他の皆も同じように自分の生家にいるのか、あるいはちゃんと共通の空間に行けたのか。
『父さん、いってくるね』
「!」
そのとき、家の奥から懐かしい声が聞こえた。
「……侑人」
姿を現したのは弟の侑人だった。
だが、俺の記憶にある弟の姿よりも幾分成長しているような気もする。
それにこの姿は……。
『気をつけて行ってこい』
「!」
侑人に遅れて玄関に姿を現したのは、
「……親父」
最後に見たときよりも細く、小さくなった父親だった。
『侑人……』
『ん?』
親父が靴を履く弟に心配そうな顔を向ける。
どうやら2人には俺のことは見えていないようだ。
『……仕事、辛くないか?』
「……」
親父は申し訳なさそうな顔で弟に尋ねる。
俺がいたときは弟は仕事には携わっていなかった。
そして、いま弟が着ているのはかつて俺が着ていた仕事着だ。上下真っ黒の黒装束。
一般人に紛れるような場合でなければ仕事のときはこれを着て仕事に出向いていた。なんでもウチの伝統の衣裳らしい。
そしてそれは、次期当主となる者だけがその身に纏うことを許された。
つまりこれは……。
『辛くない、って言ったら嘘になるかな』
『侑人……』
「……」
侑人は靴を履き終えるとすっと立ち上がり、眉を下げて頼りなさげに笑った。
そういや、弟は靴を履くのに時間がかかるんだったな。
『……だって、兄ちゃんと姉ちゃんが2人とも逝っちゃった仕事だし、それに僕は、ほとんど仕事には関わってこなかったんだ』
『……』
「……」
やはり、これは俺がこっちの世界に来たあとの風景。なんなら同じ時間軸なのかもしれない。それにしては2人が年をとりすぎてる気もするから、あるいは未来の景色か?
どちらにせよ、俺も桜もいなくなった世界線の話か。
『しかも、兄ちゃんも姉ちゃんも歴代最高の当主になるって期待されてたんだ。そのあとを引き継ぐ僕の身にもなってほしいところだよね』
『……そうだよな』
「……」
『……僕はね、怒ってるんだよ』
『……』
「!」
侑人は穏やかな性格で仕事には向いていなかった。怒っているところなんて見たこともない。
『……だって2人とも、あんなに仕事を頑張ってたのに……、ぜんぜん家の仕事をやろうとしない僕のことを責めたりしなかったのに……、なんで、なんで2人とも僕より先に死んじゃったんだよって……。
僕は当主を継ぐために仕事をやることに対して怒ってるんじゃないんだ。2人が、家族が、僕より先にいなくなっちゃうことに、僕は怒ってるんだよ』
『……侑人』
「……」
侑人が物心つく頃には、母親は病気でもうこの世にいなかった。
まだ幼かった侑人は俺たちが仕事のときは家の人間に面倒をみてもらったりもしていた。
『……だから、僕はいなくなった2人が安心できるぐらい、立派な当主になってやるんだ』
『!』
「……」
情けない顔で微笑んでいた侑人は決意に満ちた立派な男の顔に変わっていた。
『それで家族をつくって、長生きして、ひ孫とかに泣きつかれながら死んでやるんだ!』
そう言って笑う侑人の顔に、もう不安はなかった。
『……そう、か』
「……ふっ」
親父も少しだけ肩の荷がおりたような、安心したような顔をしてみせた。
『……ん?』
「!」
そのとき、侑人が俺の方を見たような気がした。
『どうした、侑人?』
親父も振り返るが、親父は俺には気付かない。
『……何でもない。いってきます』
『? ああ。いってらっしゃい』
侑人はゆったりと首を振ると玄関から出た。
俺はなぜだか吸い込まれるように侑人に続いて玄関を出た。
『……兄ちゃん』
「!」
玄関を出て扉を閉めた侑人が空を見上げてそう呟いた。
『……兄ちゃんと一緒に海に消えた、兄ちゃんの愛刀があったでしょ。真っ黒の』
「……」
そうだった。俺がよく使っていた刀は、そういえば黒影刀と同じ、全体が黒塗りの刀だった。海に流れてしまったのか。
『答えはその中に……ううん。あの子が、きっと答えを持ってるよ』
「……」
侑人はいったい何を。
いや、あるいはこの光景は俺が俺自身に見せている光景の可能性も……。
『……兄ちゃん。僕はもう大丈夫だから、こっちのことは心配しなくていいよ』
「……」
『姉ちゃんと、仲良くね』
「侑人!」
歩き出した侑人の姿が薄くなっていく。
なぜか俺の足は動こうとしなかった。
『……いってきます』
「侑人!」
そして、侑人の姿が完全に見えなくなると世界は止まり、白黒の、色のない世界へと変わった。
「……これは」
今度はいったい、何が起こっている?
『……マスター。マスターが一時的に寄港していた世界線を皆が待つ世界線に戻すことが可能です。実行しますか?』
「……サポートシステムさん?」
停止した世界で聞こえてきたのは万有スキル『百万長者』に付随するサポートシステムさんの声だった。
「世界線……ということは、やはり今のは俺がいた世界の、未来の話……」
『いえ、同時間ですね。どうやらマスターのいた世界はこちらの世界よりも時間の流れが少しだけ早いようです』
「……なるほど」
だから2人とも意外と年をとっていたのか。
「……今の光景を見せたのは、あんたか?」
『……お答えできません』
「……そうか」
まだ、教える気はない、か。
「まあいい。元の世界に戻してくれ。皆が待つ、今の俺の世界に」
『……承知しました』
あっちが俺の今の世界だと言ったら、心なしかサポートシステムさんは嬉しそうにしている気がした。
『……世界線の同期完了。戻ります……』
「……」
目を閉じると、目の前の世界が歪むのを感じた。
「ご主人様!!」
「……ん、フラウ、か」
「やっとお目覚めか」
「大丈夫なの?」
再び目を開けると、俺はどうやらベッドに寝かされていたらしい。
心配そうに俺を見下ろすフラウとミツキ。窓際には女王の姿があった。
どうやら俺は気を失っていたことになっているようだ。
「……ここは、どこだ?」
体を起こすと洋風の小さな部屋にいることが分かった。
「どこもなにも、さっきの家に入っただけよ。そしたらあなたが急に倒れて。でもどうやらただ寝てるだけみたいだから2階のベッドに運んで様子を見てたのよ」
「……なるほど、そうか」
夢、を見ていたようなものなのか。
なぜ俺に、あんなものを見せたのか。
「……何か、見たのか?」
「……ああ」
女王は何かを察しているのか、探るように尋ねてきた。
「……前の、こっちの世界に来る前の家族の、現在の姿を見た」
「えっ!? なにそれずるい!」
「うわっ!」
ミツキが飛び掛かってきた。
やはりミツキも前の世界の家族なんかのことは気になるようだ。
「……大丈夫なのか?」
「……ああ。俺も桜もいなくても、皆はうまくやっていたよ」
「そうか」
女王は俺が大丈夫だと答えるとただ頷いた。淡々とした対応はむしろありがたいな。
「……」
「フラウ?」
「あ、いえ~……」
フラウはなんだか複雑そうな顔をしている。
「ねー! 私は!? 私は見れないの!?」
「ああ。たぶんな」
「そっか~」
ミツキは残念そうに引き下がる。たぶん、あれは何らかの目的があって俺にそれを見せたのだろうから、こちらが意図的に見ることはできないのだろう。
「まあ、大丈夫ならばそろそろ行こう。奴は下だ」
「ああ。そうだな」
そうだ。ここには暴食の本体がいるんだ。
「フラウ。そういえば、フラウが言っていたのは大丈夫なのか?」
「……」
「……フラウ?」
「え? あ! はい! えと、大丈夫、です!」
「……そうか?」
フラウはどこか上の空だった。何か気になることがあるのだろうか。
「とりあえず下に行こう。まずは奴に会うところからだ」
「ああ」
ベッドから起き上がると俺たちは1階へと向かった。暴食の本体が待つところへと。