第二百九十一話 罪と罰
「イリス、というとおまえら原罪龍を世に生み出した神の中の最上位者か?」
そもそものこいつらの元凶。
とはいえ、それはイリスがより高位の存在になるために必要なものだったようだ。そのとばっちりをモロに受けているこちらとしてはたまったものではないが。
おまけに当の本人は休眠期とかで介入できず。まあ、だからこそ彼らの封印が解けたのだが。
「……そう。まあ、生み出したというか、僕らもイリスの一部なんだけどね」
暴食が呟くように答える。
もはや喋るのも億劫だといった雰囲気。
たしかに、彼らはイリスが最上位神となるために捨てた悪感情。それが意思を持って動き出したモノ。つまり、もともとはイリスの一部だ。それを原罪とさえ呼んでしまうのはなかなかだとは思うけどな。
「……だが、そんな自分の一部に対して仕置き、とはどういうことだ?」
イリスによるお仕置きによって、この異世界には食べ物がないとのことだが。
「……僕は『食べる』ということに関して中途半端な状態で出てきちゃったから。そのせいでイリス本体に休眠期なんてものが必要になっちゃったんだ」
「……どういうことだ?」
たしかに完璧な存在なのであろう最上位の神に休眠なんてものが必要なのは少し気になったが。この世界の神であるアカシャでさえそういうものが必要だと感じない完璧性を感じたしな。
「……そもそも僕らは本能に準拠した欲求であって、本来はあっても構わないもの、あるいはなくてはならないもの、あるいは多少はあるべきもの、なんだ」
「……ふむ」
難しいが、まあ理解できなくはないな。
「で、僕、暴食ってのは生物が存在を継続していく上で本来はなくてはならないもの。それが歯止めが効かなくなって暴走した結果という成れの果ての象徴」
「……まあ、そうだな」
「……でも、神にはそもそも実体がないから食事をとるという生命維持行為が必要ない」
「だが、おまえは生まれた」
「そう。僕は本来、イリスの中にはいないはずの存在だった。僕を生み出したのは君たちだよ」
「……人間、という意味か?」
「そう」
俺が尋ねると、暴食はこくりと頭だけを動かした。
「人間のイメージがイリスに投射されて、本来はいないはずだった僕がイリスの中に生まれた。そして、イリスはそれをあるべきものではないと捨てた」
「……ふむ」
「でも、人間が抱いた暴食のイメージは実在物を食べるという行為だけで、僕はそれだけを持ってイリスから排出された。そして、外から何かを摂取する必要があるという事実だけがイリスの中に残った」
「……それはつまり?」
暴食の話は抽象性が強くて理解が難しい。捨てられた存在といえども、やはり神は神だ。
「……イリスは自身の存在の維持に他からの魔力の吸収が必要になってしまったんだ」
「他の神はそうではないのか?」
「格による。たとえばこの世界の神はかなり高位の神だから自己の存在の維持に他の何かを必要としない。でも低級の神は世界の運営とともにその世界から魔力を徴収して存在を維持してる個体もいる」
アカシャはやはりかなり高位の神のようだ。
まあ、全ての世界の記憶の管理を任されるぐらいだから当然といえば当然か。
「つまりイリスは最高位の神でありながら低級の神と同じようにしないと生きていけなくなってしまったわけか」
矛盾な存在だな。
「そう。で、最高位の神の存在を維持するのに必要な魔力は膨大。でもその全てを満たす魔力を世界から徴収したらいくつ世界を滅ぼしても足らない。だから、イリスは休眠期を作ることで魔力の徴収を抑えてる」
「そういうことか」
魔力というのは生物や自然。つまりは世界から生まれていると言われている。その発生源の根元は神自身だとしても、出来上がった世界は新たな魔力を生む。
神はそれを頂戴して自身の存在の維持に充てていた。特にアカシャのような高位な神でないならなおさら。
そして、最高位の神であるイリスにもその必要が出てしまった。イリスの存在の維持には世界をまるごと吸収するぐらいの魔力が必要。イリスはそれを防ぐために自らを眠らせて魔力の消費を抑えている、と。
「……結局は、全て自分で蒔いた種だな」
「まあね。でもそれも仕方ない。人間の信仰がそこまで神に影響を与えるとは誰も思わなかった」
……卵が先か鶏が先か、だな。
神が先にあり、人間があとから生まれたはずなのに、人間の信仰のイメージによって神が在り方を変えるか。
神があったから人があるのか、人があったから神があるのか。
「……まさに、神のみぞ知る、か」
あるいは、神でさえ知らない、かもな。
「……で、まあ、食事という概念まるごと持って出なかった僕にイリスは罰を与えた。
それが幻想異空間に僕本体を閉じ込めて、『食べる』という僕の根本概念を行わせないというもの。
原罪がその存在理由を果たせないのは人間でいうと呼吸ができないようなものかな。まあ、僕は苦しいけど死ぬことはないけどね」
「だから、この世界には食べ物がないのか」
「……そう」
自分で生み出した自分に罰を与えるというのは意味があるのか?
神が考えることはよく分からないな。
しかし、死ぬことはないが呼吸ができないレベルの苦しみを永遠に味わうというのは地獄の苦しみだろうに……。いっそ、死んでしまえてしまった方がどれほど楽か。
「だが、おまえは何でも喰えるんだろ? べつに家でも木々でも、適当に食べればいいじゃないか」
あっちの世界のおまえはそれこそ何でも喰ってたぞ?
「……言ったでしょ。人間のイメージが投射されたって。僕が食べられるのは人間が食べるものだけ。ちなみに野菜とか、そのまま食べられる自然物もここにはないよ」
「……難しいな」
その辺に草や木は生えてるが、たしかにそれは普段食べるようなものじゃない。この話ぶりなら当然、魚なんかもいないんだろうし。
「この世界のおまえが何かを食べれば、おまえは満足するのか?」
「……うん。僕にはもはや暴食とまでいう欲求がない。何かを食べることができれば、それだけで僕は満足して、外の世界にいる僕も消えるよ」
それで殿様は食べるものを探していたわけか。
「……いま俺の目の前にいるおまえは本体ではないな?」
「……うん。僕は君の家にいるよ。君の仲間が見張ってる」
やはり、山の上の大きな力はこいつの本体か。そして、ミツキがそれを見張っていると。
「……向こうの世界にいるおまえは何なんだ?」
目の前にいる暴食はそれこそ拳一発で倒れてしまいそうだが、あっちはほぼほぼ無敵。まあ、こいつも多分どれだけ攻撃しても死なないのだろうが。
「……あれは僕の暴食の名残。暴食であるために常に飢餓状態でいるためのジレンマが暴走した状態。あれが何とかこっちに食べ物を送ろうと頑張ってる。でも、ここに来れるのは丸ごと喰われた生きた人間だけ。でも、僕は人間は食べない」
「……まさにジレンマだな」
死んだ人間やその一部なら食べられると人間がイメージしているのもかなり怖いがな。
「そのストレスがあっちの僕を無敵にしてる」
「つまり、おまえを倒すにはこっちのおまえに食べ物を与えるしかないと」
そんなものが存在しないこの世界で。
「そう」
それは、もう無理なのでは?
「無理だよ。だからどうしようもない。これはイリスの嫌がらせ。終わることのない罰」
「あっ」
暴食はそこまで言うと、ふっとその姿を消した。
言うべきことを全て伝えたということだろうか。
「……とりあえず出るか」
おそらくここではもう何も起こらないだろう。まずは皆との合流が先だ。
イメージの世界でしかないここでは、前の世界の風景に一人でいるのは危険だ。おそらく最悪、魔力なんかの力を失いかねない。
俺は暴食が座っていたほとんど沈んでいないソファーを見ながらその家をあとにした。
「……」
外に出ると、フラウも女王もすでにそこにいた。俺が最後だったようだ。
「……」
「……」
2人は俺と同じような表情をしているのだと思う。きっと、2人もあの暴食と会ったのだろう。
「……血は、どうだろうか」
「え?」
女王が俺と合流するなりそう提案した。
「私は人間ではない。人間以外の生物の血なら、奴もそれを食べ物と認識するのではないか?」
「……うーん」
たしかに、すっぽんとかの血を飲んだりする習慣はあっちの世界にもあるにはあるが、
「さすがに吸血鬼の血を飲むという行為は、なんか食事というよりは儀式とかに近いような気がするぞ」
「ふむ。たしかにな。吸血鬼が自らの血を他人に与えるのは愛情表現でもあるしな」
ん? そういや俺は前に女王の血を飲んだような気もするが、まあ、あのときは非常事態だったか。
「……あ、あの!」
「ん?」
しばらく黙っていたフラウが意を決したように声を上げる。
「あの、たぶん、何とかなるです」
「え?」
フラウは俯いたまま、自信なさげにそう呟いた。
「……何か、あてがあるのか?」
「……たぶん」
「……ふむ」
確証はないが可能性はあるということか。
「可能性があるのならば急いだ方がいいだろう。外の世界ではまだあの暴食が暴れているだろうからな」
詳しい話は暴食本体の居所に向かいながら聞けばいいだろう。
「では、ワシは念のため他に食べられるものがないか引き続き探しておきますな。この空間では念話は使えないので、兵たちとは狼煙でやり取りをしているゆえ、ワシが残って動いた方がいいでしょう」
「分かりました」
殿様はそう言うと俺たちと分かれた。たしかにフラウが自信を持てない以上、代替手段の捜索は必要だろう。
「じゃあ、行こうか」
「うむ」
「はいです!」
そうして俺たちはミツキの待つ暴食本体がいる俺たちにとっての生家に向かうことにした。